Fashion Show

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究極の衣服を求め、いつしかファションデザイナーとなった、アダム浦島。
しかしながら、究極の衣服が作れず苦悩の日々を送っていた。
アダムが作ったおびただしい衣服は、人々には到底理解されず、
作品はいっさい売れることはなかった。
日々の過労により、アダムは衰弱しつつも、力を振り絞り渾身の18体を制作。
ついにアダムは人生初のファッションショーを披露することとなる。

昨年の東京オペラシティギャラリーでの展示から始まった物語(「第一章 new world order 動物たちの恩返し」、神戸ファッション美術館で発表した「第二章 the human’s no clothes はだかのアダム」、5月5日VACANTにて発表された「第三章 love affair 秘密の浦島アダム太郎」)の最終章が」ついに公開された。三部構成に及ぶ発表を行った

【第一部】「ファッションとは瞬間性の魅力があると思う。」アダム浦島がファッションショーを開催。ブルーシートのトップスやパンツには古着の靴やぬいぐるみの山が至る所に縫い付けられている。ヘッドドレスの針金にぶら下がるのはDiorの袋やレースをつけたTiffanyの袋。バッグ代わりに手に下げたミシン、ナイロンロープのトップス、日暮里の生地屋トマトの袋のベアトップの他、足下にはアニマルスリッパや風呂場用ゴム靴に樹脂で加工をした靴を履くなど日常から拾い集めたような素材をコラージュ感覚で組み込んでいる。
「煩悩や欲、そして欲が全て悪いわけではなくそこにある瞬間的な強さを表現したかった」とデザイナーの山縣氏。同時に見せたかったのは、「ファッションの永続性」だという。「ファッションの魅力や強さといった歴史に残るような本質を、様々なベクトルで混ぜる」という考えが反映された。

【第二部】制作に疲れ果てて倒れたアダム。鶴の恩返しのように、鶴の頭が飛び出したショーピース。畳をマントのようにかぶった神々が囲う中、アダムは天使に救い出される。

【第三部】「ファッションには欲があると思う」。倒れたアダムのもとに『七服神』が降臨する。宗教性が一つのキーワードになった今季、山縣氏が宗教において現在最も興味深いのは「仏教」だが、日本の根本的な宗教観など色々なものを取り込むということの象徴として、「熊手」が思い浮かんだという。「熊手」には幸福をすべて合体させ、かき集めるという幸福の象徴的な意味があり、それが日本的だと感じた。その何でもありのファッションが実はミニマムの日本の本質とは異なる角度から見る日本の本質なのではないか、という考えから取りかかった。熊手に黄金のラメを散らし、ぬいぐるみから子供服、さらには食材に至るまでとにかく何でもかき集めたような混沌とした空気感。
やがてアダムはファッションの神様として祭られる。アダムがこの時着用した黄色のニット(死装束)は東京オペラシティでも展示された、0writtenと呼ばれる生地から制作した”お金”の生地。「ファッションの歴史をもう一度自分なりに作り直してみよう」というテーマの中で、”お金”と”布”の歴史に共通点があり、かつて文化的に価値のあった”布の価値が低くなっている現在、「0(ゼロ)という価値のないものをすごく価値のあるものにしたかった」とこれまで徐々に企画してきた布を服として完成させた。

究極のファッション。彼自身の中に眠るファッションの”本質”を引き出していくことが4話に渡る物語を通しての課題だったのかもしれない。情報の垂れ流しと同じように、足を止めることもなく聞きつけた価値を垂れ流しにしている状況への疑問視。 物を作ることの根源に立ち戻り、新たな価値を考察する。
圧倒的な執着心は、言葉に出来ないが何かが喉までこみ上げているのを感じるような高揚感をもたらし、思考も感情も、まさにカオスな世界に飲み込まれるように作用した。

Photo:Tomohiro Horiuchi Text:Tomoka Shimogata


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