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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
ファッションの批評誌『fashionista』編集委員。
京都にある某ファッション系研究機関でキュレーター。
e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
http://twitter.com/ihsorihadihsa

『fashionista』の情報は↓
http://fashionista-mag.blogspot.com/
http://www.facebook.com/mag.fashionista

東コレ雑感

今回の東コレを見て(改めて)感じたことをつらつらと。

今回に限った話じゃないのですが、本当にこの形でコレクションを見せたいの?と思ってしまうブランドがとても多いです。
ヒカリエホール(少し前ならミッドタウンのホール)みたいな無機質な空間にとってつけたようなランウェイを作ってショーをする、そんな形式のことです。
モデルも昔ながらにスタイルの良い外国人モデルばかりを使っていて、昭和の百貨店のファッションショーを見ているような気分になります。
そんななか、sinaのショーは色々な意味で挑戦的だったな、と思います。みんながみんな、ああいう見せ方をする必要はないけど、もっと空間と演出をちゃんと考えてほしい。

ファッションって服だけじゃなかなか成立しません。その一因は情報量が少ないから(このあたりは『新潮』10月号でまとめているので興味があれば読んでみて下さい)。服というものは、写真とかモデルとか映像とか空間とか、いろんな要素を纏ってファッションになると思うんです。
どのデザイナーさんもモデルは自分たちで選びますよね。ルックブックを撮影するときの写真家もそうですよね。それと同じで、ショーをする空間もちゃんと選んだ方が絶対にいいはず。

今季のTheatre Productsのショーや2011年春夏のsiseのちとせ会館でのショーみたいに、服とぴったりあう空間でコレクションを見せると、印象が格段によくなりますよね。

今言ったようなことはデザイナー(ブランド)側だけの問題じゃありません。
JFWは、本気でデザイナーを支援したいのなら、コレクションを最大限によく見せるためのサポートをしてあげた方がいいと思います。便利だから、という理由で会場をひとつにまとめるのではなく、デザイナーがやりたい場所でやれるような環境を整えてあげるよう努力した方が、長い目で見たらメリットが大きいと思います。
LAMARCKとか、すごくいい服を作っている若手のブランドがあるのに、お仕着せの会場でやっていたらもったいないです。

あとはメディアの問題。

いまのコレクション雑誌はショーをやるブランドが前の方に掲載されるし、ウェブメディアの多くは、ショーを速報で取り上げています。なんでそんなにショーを特権化するのでしょうか。展示会形式で発表しているブランドにも面白いところはいっぱいあるのに。ショーも展示会もフラットに捉えて、その雑誌が「このコレクションよかった!」と思ったブランドを前の方に載せたらいいんじゃないでしょうか。その方が、熱が読者にも伝わるように思います。2013年秋冬のASEEDONCLOUDみたいに、ショーよりも数倍いい空間の作り方をしているところもあるんですし。

デザイナーはやれることなら好きな場所で発表したいんだろうな、と思います(多分だけど)。「ショーをやらなかったらメディアに取り上げられにくいから…」とか、「自分で場所を借りるのは交渉が大変だから…」とか、色んな理由があるんでしょう。
だったら、周りがそれをサポートしてあげられるような環境を作ってあげたらいいですよね。

「今まではこうだったから」とか「これが便利だから」とかではなく、「こうした方が楽しいはず!」ってことをみんながやっていけば、もっといい世界が作れると思うのです。

Etw.Vonneguet、リアルとヴァーチャルのあいだに

2009年に起ち上げられ、歌手Salyuへの衣装提供やJapan Fashion Weekへの参加など着実に足場を固めつつあるブランド、Etw.Vonneguet。原宿でゲリラショーとして行われた2010春夏のデビュー・コレクションに続いて、同年の秋冬コレクションは映像作品「CWOOKD」として発表された。以下、この映像を分析しながら、Etw.Vonneguetというブランドについて論じてみたい。

冒頭で映し出されるのは、コック帽を目深に被り、表情が隠された一組の男女の料理人がテーブルに向かい合って座り、食事をしているシーンである。だが、ナイフやフォークからワイングラス、皿に盛りつけられた料理まで、テーブルの上にあるのは紙に描かれた記号、言ってみればヴァーチャルなものでしかない。一方、その奥には白く塗られたワインボトルが対照的にリアルなモノとしてある。そこで淡々とヴァーチャルな食事を続ける二人。そこに毒々しいまでの赤いケーキが現れ、突然食物がリアルな存在として現前する。

一見、何を言わんとしているのか理解しがたいこの映像作品は、コレクションのイメージの提示としてだけでなく、Etw.Vonneguetというブランドの態度表明として理解することができるのではないだろうか。

リアルな道具でありながら、決して道具として使われることのない木槌と電動ドリル。木槌は一度だけ女性が男性に向かって振り下ろされようとするも、その行為が遂行される前に時間が戻されてしまう。一方、道具として使われているように見えるものの、あくまでヴァーチャルなものでしかないがゆえに空虚さが強調されるナイフとフォーク。さらに、毒々しいまでに赤いリアルなケーキは、ピンセットのようなもので形を崩され、男性の口に運ばれていくかのように見えるが、その行き着く先が明示されることはない。つまり、これらリアルなモノとヴァーチャルなモノはおしなべて宙吊りの状態に置かれているのだ。両者のこの拮抗した関係は、「『生と死』『整合と矛盾』といった対極にある要素を統合し、次の段階へとシフト(止揚)させることをコンセプトとしている」(註1)Etw.Vonneguetのスタンスそのものであろう。

Etw.Vonneguetはデジタルツールによって制作された衣服をiPhoneのアプリなどで発表すると同時に、リアルなファッションへのアプローチも行っている。CGによる衣服の提案だけでは、実際にその衣服が着られることはないが、アヴァターが一定の認知度を得ているヴァーチャルな世界のことを考えれば、そこには様々な可能性が秘められているだろう。その一方で、デビュー・コレクションで顔全体をマスクで覆ったパフォーマーたちにストリートを歩かせたように、Etw.Vonneguetは現実社会との関わりを捨てることもしない。このEtw.Vonneguetというブランド自体が、「CWOOKD」においてその行き着く先を探し求め、存在の様態を模索していたモノに表象されていると言えるのだ。

リアルとヴァーチャルの狭間で揺れ動くEtw.Vonneguetが行き着く先は、果たしてどのように止揚された世界なのだろうか。

(註1) ブランドのプロフィールより。


これは2010年に京都造形芸術大学空間演出デザイン学科の成実・水野ゼミが発行した『ファッション・クリティーク』(vol. 01)というZINEに寄稿したものをちょっとだけ修正したものです。

いつもいつも、自分が過去に書いたものを見るのは恥ずかしくてたまらないのですが(だから校正も苦手だし、掲載誌は直視できません)、今月号の『新潮』(あと3日後には次号が出てしまうのでお早めに!)に書いた話(写真を使ったファッション批評)の一例になるかなあ、と思って載せました。

お知らせ2つ

このところ告知ばかりですみません。。

以前このブログでも取り上げた横澤琴葉さんの展覧会をgallery 110で行います。

会期は8月31日〜9月8日です。

エスモードの卒展で見て、この人をちゃんと取り上げたい!と思ったのがきっかけで実現しました。

詳細はこちらで。

そして同日、gallery 110の隣に「コトバトフク」というセレクトショップがオープンします。

情報はこことかここで。

横澤展、コトバトフク共通のオープニングパーティを8月31日18時から開催いたしますので、よろしければお越しください。

「book self」展

gallery 110での展覧会のお知らせです。

今回は「book shelf」と題して、メンバーが各10冊ずつオススメのファッション本を持ち寄って展示を行うという企画です。

写真集から小説まで、王道からひねったものまで色んな本が並んでるので、ファッションを勉強し始めた学生でも、既にファッションの仕事をされている方でも楽しめる展示だと思います。

http://gallery110kyoto.blogspot.jp/

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8月17日(土)〜25日(日)
12時〜19時(予定)
「book shelf」展
「本棚は自己をうつす鏡である」。

友達の家を訪ねたとき、つい本棚に目が行ってしまうという人が結構いるのではないでしょうか。
小説やマンガ、哲学書や写真集など多種多様なジャンルのものが並ぶ本棚は、その持ち主の嗜好や思考をあらわすものとなります。

私たちgallery 110の運営メンバーはこれまで数多くの本に影響を受け、感銘を受けてきました。「book shelf」では、メンバーが各自の本棚から選んだお薦めのファッション本(各10冊)を展示します。

それぞれの本には出品者の推薦コメントを付けています。また、ものによっては付箋や書き込みなど、持ち主がその本を読んだ痕跡がわかるようなものあります。各メンバーがファッションをどのように捉えているのか、各人のファッション観の一端があらわれているはずです。

もちろん、本は手にとって読んでいただけます。椅子も用意しています。
デザインのインスピレーション源を探している方、色々な服を見るのが好きな方、ファッションを考えるのが好きな方など、ファッションに興味がある方であれば誰でも一日中楽しめる展示です。

gallery 110

changefashionのニュースでも取り上げていただいたので、既にご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、京都にファッション専門のギャラリーを作ります。

設立の経緯や今後の展覧会情報についてはこちらのブログをご覧下さい。

7月14日18時〜オープニングパーティをやるので、関西の方は(それ以外の方も!)よかったら遊びに来て下さい。

凝ったケータリングなどはご用意出来ないのですが、ひたすらたこ焼き焼く予定です。

このギャラリーは貸しスペースとしても使ってもらえます。展覧会でも展示会でも受注会でもレクチャーでもフリマでも、ファッションに関することなら何でも構わないので、ぜひぜひご連絡下さい。料金は比較的安く設定しています。

あと、8月末には同じビルのなかにお店も作る予定です。そちらはまたお知らせいたします。

『vanitas』とギャラリーとお店

今日はお知らせばかりでごめんなさい。

その1。

創刊号から軽く1年以上経ってしまいましたが、ファッションの批評誌『fashionista』改め『vanitas』第2号を発行することができました。

名古屋以西では既に販売開始しており、東京は水曜日から発売の予定です。

取扱店や目次などはここをご覧下さい。

その2。

関西在住の研究者、キュレーター、デザイナーが集まって、ファッションに特化したギャラリーを開くことになりました。場所は京都です。

ギャラリー開設の目的としては、まずはファッションに特化した作品発表の場を作りたい、ということがあります。

最近、ファッションの学校を卒業して就職した後も自分で服を作り続ける人をときどき見るのですが、そういう人が作品を発表する場はほとんどありません。

もちろん、普通の貸しギャラリーを借りるということはできるのですが、ファッション専門のスペースというものがあってもいいんじゃないかと思ったのがきっかけです。

それと同時に、いいものを作っている人をきちんと歴史(文脈)に乗せたい、という目的もあります。

たとえば、僕はこの前のエスモードの卒展で横澤琴葉さん+高瀬恵さんの作品に感銘を受けたのですが、「卒展」という枠のみで展示をしている限り、残念ながらファッションの歴史に乗ることはありません。

ヨーロッパでは、山縣良和さんがアントニオ・マラス(でしたっけ?)にポンピドゥーでの展示に誘われたように、面白いものを作る学生をすくいあげることもあったりしますが、日本では残念ながらそんなことはほとんどありません。

それをファッション専門のギャラリーというところで取り上げていけば、ある種の文脈が作れるのではないかと思うのです。

そのほか、展示会や受注会への貸しスペースとしての機能も持たせるつもりです。

最近、東京以外で受注会を開催する若いデザイナー/ブランドが増えてきています。そういう人たちが気軽に使えるような場所にもできたら、と。

24平米ほどの小さな空間ですが、そんなことを考えています。

資本がまったくないため(笑)、ウェブサイトなどはまだまだできません。とりあえずTwitterで情報を小出しにしていく予定ですので、よろしければこちらを見てみて下さい。

その3。

そして勢いでお店も開くことになりました。

ギャラリーのお隣です。

服と本を中心にしたお店です。

こちらもとりあえずTwitterで情報を出していきます。ここからどうぞ。

勢いで決めたので、取扱ブランドなどは未定です(笑)

色々考えていることはあるので、また近々お知らせいたします。

(アン)スタイリッシュということ

スタイリッシュstylishという英単語があります。日本語に訳そうとしてもこれというものがありませんが(「おしゃれ」という今はあまり使わないことばがぴったりかもしれません)、この単語は普通、見た目の良さを褒めるときの言葉として使われます。

最近のブランドやショップのルックブックとかカタログを見ていると、スタイリッシュと形容したくなるものが少なからずありますよね。顔立ちの整った外国人モデルを使ったきれいな写真が使われ、レイアウトも洗練されていて、といった感じのものが。

しかしながら、stylishという言葉はもともとstyle(様式)という言葉から派生しています。そう考えると、stylishというのは「様式的」と考えられるのではないでしょうか。事実、スタイリッシュという印象を受けるイメージは、すでに一定の評価が得られ、それを「おしゃれ」だとみなす価値観が人口に膾炙し、広く共有されたものと言えます。

スタイリッシュなイメージは、いまここにおいてはポジティブな印象を生み出すことは間違いないでしょう。ですが、様式化されているということは硬直しているということと同義でもあります。悪い言い方をすれば、作り手の独自の意図や挑戦が感じられない、保守的なものでしかありません。すでにある「様式」に則っているだけなのですから。

ここで言いたいのは保守的な表現やものづくりが悪いというわけではまったくありません。そういったものも重要ですし、また需要もありますので。が、もし何か新しいことをやりたいと思っているデザイナーがいるのであれば、安直にスタイリッシュなイメージをつくるよりも、アンスタイリッシュな──英語で”unstylish”というのは「ださい」という意味になってしまうのですが、非様式化ととらえてください──イメージをつくることに挑戦してもらいたいな、と思う今日この頃です。

エスモード卒展にて

一昨日、エスモード東京校の卒業制作を見てきたのですが、とてもよい作品がありました。

横澤琴葉さん(デザイン)と高瀬恵さん(パターン)の二人組です。

ちゃんと説明したいのですが、展示が今日までらしいので取り急ぎ画像だけいくつかご紹介を。

是非、実物を色々な方に見に行ってほしいです。

(展示の詳細はこちら

writtenafterwardsの山縣さんが彼女の作品についてtwitterで少し触れているので、よろしければそちらもご覧ください。

https://twitter.com/writtenbyyoshi

©横澤琴葉+高瀬恵

ヘアメイク:チームSABFA  原康人  松原尚輝

撮影:鈴木俊則 大島千尋

ジンメル、流行、1911年

“ある品物が急速な流行の交替に屈服するにつれて、同種の品物の「安い」生産の必要が強くなる。たんに、広範な範囲の、したがってどちらかといえば貧しい人びとが、工業を彼らにかたどって規定するだけの購買力をもち、すくなくとも現代的なものの堅牢でない外観をもつ対象物だけを要求するからというばかりではなく、社会の上層すら、もしその物品が比較的安くなければ、下層の追迫によって彼らに強要される急速な流行の交替をなしえないからである。こうしてここにある奇妙な円環が成立する。流行が急速に交替するにつれて、物はいっそう安くならねばならず、物が安くなるにつれて、それはいっそう急速な流行の交替へと消費者を招き生産者を駆り立てるのである。”

ゲオルク・ジンメル『文化の哲学』1911年

(『ジンメル著作集7』円子修平他訳、白水社、1976年、57頁)

ANREALAGEの本とトークイベント

ファッションっぽい仕事をしましたので、お知らせです。

現在、パルコミュージアムで開催されているANREALAGE展に際して出版された書籍『A REAL UN REAL AGE』でANREALAGE論を書いています。

そして、展覧会のトークイベントにも出ることになりました。

平川武治さんと工藤雅人さんと一緒です。司会は森永さん。

平川さんと公の場で話をするなんて最初で最後だと思うので(もしまたあったらごめんなさい)、よろしければぜひ。

VESTOJ

つい最近、とある美術館である雑誌を見つけてとても嬉しくなったので皆様にお知らせを。

そのタイトルは『VESTOJ』、そして “The Journal of Sartorial Matters” というサブタイトルが付いています。これを直訳すれば「衣服の問題を扱う学術誌」ということです。

詳細はウェブサイトをご覧いただいた方がよいのですが、要するに僕と水野大二郎君が作っている『fashionista』と似たような目的を持っている感じなんです。

僕が見つけたのは現在出ている第3号なのですが、どうやら2009年に第1号が出版されていたようですね。

まだ全然中身を見られていないのですが、こんなのあったよ!とお知らせしたくなってブログを書きました。

個人的には第2号の特集「Fashion and Magic」が気になるのですが、そういえば、僕も今年愛知県美術館で開催されていた「魔術/美術」展のカタログにも「ファッションと魔法」みたいなお題で文章を書きました。

内容はここで『魔法少女まどか☆マギカ』について書いたものを膨らませたような感じですが、どこかで見かけたらお手に取ってみて下さい。

あと、最近は『ユリイカ』の永野護特集で小野原誠さんとの『ファイブスター物語』についての対談が掲載されています。

『VESTOJ』の話をするつもりが、なんか自分の宣伝になってしまったので、この辺でやめておきます。それにしても最近アニメとかマンガについてばかり書いたり喋ったりしている気がしますね。。

近いうちにファッションっぽいお仕事のお知らせもしたいと思います。

なんとなく誤解されていそうなことについて。

僕はよくファストファッションについて批判的に書くことがありますが、必ずしもその存在を否定しているわけではありません。

飲食業界で高級レストランとファストフードが共存しているように、ファッションでもハイファッションとファストファッションが共存してよいと思っています。

ただし、その裏で理不尽に泣かされている人がいないという前提で。

安く服が買えることでファッションを楽しむことができる人が増えるのは素晴らしいことですよね。

でも、その価値が安さだけにあるのなら、それはやっぱり成熟した文化のあり方だとは思えない。

モノに対して適切な対価を支払うのが大人ってものではないでしょうか。

でも、それが可能になるためには社会全体を変えていかないといけない。今は若者にお金が回ってこない社会になっていると思うから。お金のない人に、服にちゃんとお金を払えって言っても無理な話だし。

そして、ファッションは楽しければそれでいい、服はかわいければそれでいい、っていう人がいるのもわかります。

でも、本当にファッションが好きなら、楽しさの先にあるものを、かわいさの先にあることを考えてほしい。

ファッションにあまり興味がない人もそうするべきだとは思っていないです。

(そんなことができたらどんなに素晴らしいことかとは思いますが。)

だって身の回りのこと全部について細かく考え始めたらきりがないし、疲れてしまうから。

だから、せめてファッションが好きな人だけは、楽しさやかわいさだけで終わってほしくないのです、と願っているのです。

僕が二日続けてブログ書くなんて、明日雨が降りませんように。