Interview

坂部 三樹郎 × 蘆田 裕史 “ファッションとファッション批評” 4/5

“90年代は今のおそらく何倍もファッションに吸引力があった時代。文化人、ファッション以外の人が関わって、ファッションを活性化させて、ファッションを中心に動いていた。ファッションって服そのものだけではなく、今の時代の動きと接点がないと駄目”

→坂部 三樹郎 × 蘆田 裕史 “ファッションとファッション批評” 1/5
→坂部 三樹郎 × 蘆田 裕史 “ファッションとファッション批評” 2/5
→坂部 三樹郎 × 蘆田 裕史 “ファッションとファッション批評” 3/5

坂部(以下M):話は変わりますが今回の僕のコレクションに関して書いた蘆田さんの文章を見て僕は”デザイナーは歴史を知らない”ということを書いたように感じたんです。
批評家とか、文筆家が何か残さないから、デザイナーのせいにするのはおかしいという書き方、ということはデザイナーが歴史を知らなくても、それは僕たち(批評家やジャーナリスト)のせいですということですよね。文章的にはデザイナーが歴史を知らないということを前提に書いているような気がしたんです。
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蘆田(以下A):それは違います。

M:そこは僕がどう思ったかではなく、第三者的な発言なのですがあの文章を読んだら、そう思う人がいた可能性はある。歴史を知らないのは自分たちのせいで、デザイナーは歴史を知らなくてもしょうがないよねってことを言いたいのかなと感じた人はいたと思う。

A:坂部さんの場合は(歴史を)知ってるってことをわかっていたのでああいった書き方をしました。

M:僕ではなく、やっぱり書いたということは僕だけではなく読者もいますよね。

A:あの文章は僕が常に言ってる事なのですがもう少し過去にも目を向けて欲しいということ。20471120の名前を出すにあたって、若い子達は世代的にもそのブランドに関してのことを知らない人が多いと思うので(ブランドに関しての)説明をつけた方がいいのかなとも考えたのですが、20471120だとブランドかどうかもわからない、それをあえてそのまま投げてみるのも良いのかなと思ったんです。そこで何か興味を持てば、コピペして検索してすぐにそのことがわかりますよね。

M:でもそこで他のデザイナーに対してあの文章を見てどう思うのかというのも考えたのかなって。

A:正直そこまで深くは考えてなかったですね。

M:その部分にひっかかった人もいたみたいです。文章家として書いたということはそこを含めて考えなければいけない。デザイナーも読む訳ですよね。これを読むデザイナーで蘆田さんより知識があった人もいると思うんです。だからもう少し詳しい説明が僕としては欲しかった。僕は蘆田さんと話していたので蘆田さんがそういうことを意図しているわけではないというのはわかったのですがこの文章だけで蘆田さんという人を知った人にはそれは伝わらないと思うんです。

A:でもそれは僕が反発を食らうではないですが、そういう書き方しかしない、出来ない人であれば特にデザイナー側からの僕への評価がどんどん下がっていくわけですよね?そうやって時代が年月を経るごとに淘汰されていくと思うんです。

M:蘆田さんが書いてくれたのは凄く嬉しかったのですが、ブログに書かないで直接言いたいと思ったのはそこでした。あともう一つ聞きたかったのは、僕がやったことが20471120に類似していると感じた部分はどこだったのでしょうか。

A:正直坂部さんがアントワープの4年生の時にやったものや今回のショー、どちらも服として20471120ぽいというのを感じてしまうんですね。坂部さんの作った服は好みでいうと、凄く好きな服なんです。今回のも凄く好きだし、4年生の時のも好き。ただ、だからこそ余計に気になるところがあるんですよね。

M:そこが僕と食い違ってるところで、僕自身も90年代のあの動きには興味があって、むしろ好きなんです。まさに今の時代に必要なのは、あそこじゃないかって思っている。だから背景が違うところで、必要ものを見せるやり方をしないといけないというのが僕の考えだった。背景が違うというのは90年代は今のおそらく何倍もファッションに吸引力があった時代。文化人、ファッション以外の人が関わって、ファッションを活性化させて、ファッションを中心に動いていた。2000年に入りそこが収縮して、ファッションは力がなくなり、今は日本の特にモードと言われている部分はかなり孤立してしまった感がある。パワーも凄く少ない。その中で何が必要かと言ったら、やはりまたくっつけることだと思っている。ファッションって服そのものだけではなくて、今の時代の動きと接点がないと駄目だと思っていて、それを今の時代にやるというのが凄く大事だなって思った。それにそれをわざわざファッションに取り入れるというかまず生々しく見せることが何よりも大事なのかなって。
その背景の違いの部分からはどう思うのかなってことを蘆田さんに聞いてみたい。

A:僕は坂部さんが考えてる事、やろうとしてることは凄く良くわかるんです。こういう言い方をして良いのか分からないのですが、坂部さんは戦略家で色々考えて、やっている人だと思うんですよ。単純に服を作ってるのが幸せというのではなく、どうやって自分は生き残るのかという部分もそうだし、今の時代にファッションをやることにどういう意義を見いだすべきなのか、そういうのを色々考えてやっている人だと思うんです。先ほどファッションと他のところと結びつけないといけないって言ってましたよね。でもだからこそ特に今回のショーを見るとそれが後手にまわっているように思えるんですね。何かちょっと流行り始めたものがある、「じゃあそれと一緒にやりましょう」。それって坂部さんでなくても出来てしまうことだと思うんですよ。例えば、AKBが流行ったから、東京ガールズコレクションでAKB出しましょう、そういうようなことに近いですよね。

M:それは凄く表層的だと思います。表面的なコラボレーションは無限にありますよね。そこで今回の評価をして欲しいとは思っていなかった。ただコラボをしたということだけで、みんなが話をしすぎなのではないかと正直思っている。前回のChim↑Pomも今回のショーもコラボレーションの仕方は全然違う。これはアニメっぽいからもっと取り入れて、これだけにしようっていう形だけでやったっていう、文字では主観的ってレベルの話になってしまう。

A:僕が今言ったのは20471120とは別の話で、「ファッションが時代を映すものだ」みたいなことを先ほど言っていたので、それを考えた時にということで話をしていました。

M:僕自身今回のショーで秋葉カルチャーとコラボした事はまったく新しいと思っていません。それは百も承知でどうコラボレーションするとファッションは活性化するかってのが僕にとっての一番の義務だった。前回のChim↑Pomもそうなんですけど、アートとファッションって表層的には一緒に出来るけど、なかなか交わってないんですよ。でもそこを実験的にでも取り込んでいかないとファッションは凄くならないと思ったので、Chim↑Pomとも継続的にやり、今回の秋葉のやつも違うグループとしてやろうと思っている。表層的なコラボだけで終わることはファッションを活性化させることは出来ない。今まであった歴史でもなかなか芯までコラボレーションしてる人は少ないというのが僕のイメージにあった。実験的に毎シーズンやっていたところもあったのですが僕はそれだけじゃないと思っている。今回のショーは本当の意味で両方のベクトルから見れて、面白いにならないといけないということの一本目をやらなきゃってことでやったんです。だから、秋葉カルチャー自体がとかヲタクがどうのって話ではない。その根底にまでいかないと、コラボレーションっていうのも本当の意味で完成はないと思う。

A:坂部さんにとっての完成とは何を指すんですか。

M:一番大事なのは美意識ですね。その共有しないといけない美意識というところが出てくるんじゃないかというのが僕の中にある。僕がやりたいことはファッションの文脈に置き換えて、ファッションで秋葉を表現することだけじゃない。それであればもう既に満足している。

A:ファッションの人たちと秋葉原の人たちで美意識を共有する為にということですか?

M:共有する為です。でも、寧ろファッション側の人にわかってもらいたいっていうのは凄くあります。秋葉原の必要な部分、そこってやっぱりファッションで共有出来ていないと思うんです。

A:その部分は坂部さん的にある程度成功はしたと思っているんですか?

M:僕的には最低限やったと思っています。ただ成功かどうかというのは今すぐに判断出来ることではないと思うんです。でもその部分で賛否両論が起こっている。当然なのですが、良くないという人もいっぱいいた。今でもファッションの人で秋葉カルチャーが好きじゃない人もいっぱいいるし、そことファッションとの孤立感は僕の中でまだ拭えていない。ある意味反発が起こらないとおかしいと思っている。最初からすんなり受け入れられたら、僕がやることではなかったということになってしまう。蘆田さんも思ったかもしれないけど、今更感があったと考える人もいたと思う。ただそんな大きい範囲で話をしても良いのか?という考えも僕の中にある。もっと真髄を一個一個見ていかないといけない時代なんじゃないかと思う。その為にはファッションと他とのコラボももっと軸から、もっと面白い部分、魅力まで見つけていかないといけないと思う。

A:でもそうであればプレゼンの仕方は別のやり方を考えた方が良かったのかなとは感じました。ファッション・ショーとして見るとでんぱ組が出番はちょっと長過ぎたし。

M:お金のことになると、クリエーションをピュアにするか、ビジネスも関係するかとなってしまうのでその部分で批評されると厳しいんですが、やっぱり僕があれをやるためには僕一人でやるわけにはいかない。

A:その中でももう少し坂部さんの服を目立たせるようなやり方があったのではないかと感じてしまうんです。

M:そこの部分、今でもファッションを強くした方が良かったのか正直わからないです。

A:そこに悩むのはわかります。僕が坂部さんの立場だとしても、そこで自分の服の主張を強くしても、それがうまくいったように思えないと感じる部分もあるだろうし。

M:例えばですが、MIKIO SAKABEのブランドでプレゼンする服を秋葉よりの面白いデザインにしていたのであれば、そこを強く打ち出しても良かったと思うんです。ただ今回のバランスで言うと、一番大事だったのは文化祭のノリと生々しさ。それをどうやってショーにのせるかってところが震災後というのもあり一番のテーマだったんです。エンターテインメント性を凄く気にしたかった。そうなってくると洋服は当然見せなきゃいけない、でもそれ以前の話をもう一回やらないといけない。洋服を全部見せない方法も一度考えた、でもそこはいろんなバランスから少しは見せた方がいいと考えた結果いれた。寧ろそういった部分よりもエンターテイメント性を増やすかどうかにより悩んでいた。

A:今坂部さんは悩んだ挙げ句少し見せたという言い方をしましたよね。それがまさにそんな感じに見えてしまったんですよね。申し訳程度に見せましたみたいな。

M:ただそれは最初の段階で見せると決めてからは、ああいう演出をしたのは一応イメージにあった。それよりは全く見せないかああいう見せ方をするか、そのどちらかで考えたんです。それよりもファッションショーって形で人を呼ぶかどうかの悩みが多かったですね。テーマとして、もっとエンターテインメントだけにした方がいいのか。それともファッションを入れた方がいいのか。そこがキーになっていた。翻訳っていう意味を含めると、ファッションと同じ場にいるということを一個のテーマとしてやりたかった。同じ場にいるとしたら、一番輝かしい部分は秋葉にして、一番見せちゃいけない暗い部分をあえてモードにしたら面白い、そういう考えがあった。だから正直ショーとしての完成度は高くないと思う。ただ、伝えたいことを間違えたかとなるとそうではなくて、方向性的には出来たかなと思う。

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