今年に入って、1月、2月と1回ずつ仙台に行っています。3月も18日に行く予定です。目的は、写真家の志賀理江子さんの連続レクチャーに出席するためです。志賀さんは、仙台空港にほど近い北釜という場所にアトリエを借り、制作活動をしていましたが、昨年の津波に遭い、ご本人は無事でしたが、アトリエも自宅も流失し、避難所暮らしを経て、今は仮設住宅に住んでいます。そして、自分の特異な体験を軸に、写真について、自身の制作態度について、北釜という土地とそこに住む人々について、震災について、昨年の6月から10回にわたる連続レクチャーを企画し、仙台メディテークで毎月1回2時間のトークと受講者とのディスカッションを展開してきたのです(秋には書籍化を予定しているそうです)。
私が志賀さんに会ったのは、2009年のことで、当時はまだ存在していた『ハイファッション』で、後藤繁雄さんと対談してもらったときです。前の年に、『Lilly』と『CANARY』という2冊の写真集で木村伊兵衛賞を受賞、その後ニューヨークで ICPインフィニティアワード新人賞も受賞し、授賞式からの帰路、対談となったのでしたが、旅の疲れなど感じさせない急回転の対話に、新しい言語を持った写真家を見る思いでした。その後、志賀さんとの交流がさらに発展することはなく、地震のときも、震災に遭ったかもしれない志賀さんのことが記憶に立ち上ることはなかったのですが、今年に入って、ART ITから配信されたインタビュー記事を見て、びっくり。そうだったのか、と不覚を反省。自宅に帰ることもせず、被災地にとどまり続けて、作品制作以前の、地元の人のために、瓦礫の中から写真を探し、それを洗い整理する作業も行い、かつ、地元の人との交流を通して、また新しい写真の地平を開拓していこうとしている志賀さんに、頭が下がる思いがすると同時に、この生まれたての新しい熱気に触れたいと思い、レクチャーに通うことを決めたのでした。
家が流されて、持ち物がすっかりなくなってしまったのに、志賀さんは予想に反して明るくサバサバしています。「もう、ものは持ちすぎていたから、ちょうどよかったのかもしれない。今は、赤十字が買ってくれたものや、全国から届いたもので生活しています。冷蔵庫も電子レンジもありますよ。でも、おもしろいのは、贈ってもらったものを着ることになった結果、おじいちゃんが、腰ばきパンツをはいたり、赤いダウンを着たり、おばあちゃんが、ねじったようなニットを着たり、みんななんかファッショナブルになったんですよ」。避難所では志賀さんの町の人たちは、毎晩ミーティングをして、だんだん冗談が出るようになったというのです。
おじいちゃんの腰ばきパンツって、いい話。期せずして生まれた出会いにしても、これって、きっとファッションのひとつの力にちがいありません。
肝心の志賀理江子の写真については、またの機会に。まだ読んでいない人は、ぜひ志賀さんの『カナリア門』を読んでほしいです。
まだ志賀さんが賞を穫る前にロンドンで友人を介して何度かあったことがあります。その時は写真は見ていませんが人自体が凄く印象に残っています。今ロンドンで滞在している家に偶然CANARYが置いてあり、どうしているんだろうと思っていたところでした。落ち着いたら色々作品を見てみようと思います。