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TAKUYA KIKUTA

菊田琢也 / TAKUYA KIKUTA

1979年山形生まれ。縫製業を営む両親のもと、布に囲まれた環境のなかで育つ。2003年筑波大学卒。在学時にファッション研究を志す。その後、文化女子大学大学院博士後期課程を修了(被服環境学博士)。現在、文化学園大学非常勤講師、女子美術大学ライティング・アドバイザー。近著に「アンダーカバーとノイズの美学」(西谷真理子編『ファッションは語りはじめた』フィルムアート社2011)、「やくしまるえつこの輪郭 素描される少女像」(青土社『ユリイカ』第43巻第13号2011)など。

E-mail: tak.kikutaあっとgmail.com

その列の後ろに並ぶ

ア・ベイシング・エイプ®が次々と生み出していった「猿」のロゴやタグは、まるでクラブイベントで入場パスとして貼られるステッカーのように、その時その場にいなければ手に入らないもので、エイプ®の服はまさにそうした「いま-ここnow here」というリアリティと結びついていたのではないでしょうか。

すべてが横並びの記号となった80年代以降に漂い始めたのは、あらかじめすべてが用意されてしまっているかのような満ち足りた退屈感で、それでいて、すべてが手に入るようで手に入らないといった薄らとした空しさで、それは例えば岡崎京子が『リバーズ・エッジ』で描いていたような、あるいは吉田修一が『パーク・ライフ』で綴っていたような、存在の耐えられない軽さであった。

おそらく、90年代にクラブハウスやライブハウスが相次いで出現したのは、どこでも容易に感じられるような希薄なリアリティではなくて、「いま-ここ」でなければ体験することのできない確かさを感じさせてくれる居場所を求める傾向が強くなってきたからではないかと思うのです。それゆえに、極めて限定された空間であるからこそ、撤退していくのも早かった。

原宿のストリートファッションもそうで、「リミテッド」や「ワンオフ」といった数量限定のアイテムは、週末朝早くにエイプ®の店頭に行って並ばなければ手に入れることができないもので、それはどこかクラブハウスに通うような快楽と興奮を感じさせてくれた。あっという間に熱が冷めることは分かっていながらも、躊躇しているとたやすく誰かに奪われてしまうその機会を逃すまいと、その列に並ぶのだ。

誰も持っていないものが欲しかったのだと思う。他人とは違う自分になりたかったのだと思う。
セレクトショップに行けばある程度のものが揃っていて、ファッション誌の通りに着こなせばそれなりの格好になれる。そんな時代だからこそ、容易に手に入らないものが欲しかったし、着たかったのだと思う。
記号の差異化ゲームと言ってしまえばそれまでなのですが、それ以上のものがそこにはあったと思うのです。

別に悪ぶりたいから着崩すわけではない。だらしないからでもない。ましてや社会への反抗なんかではさらさらない。ただ同じような格好をするのが何となく居心地悪かっただけ。
90年代後半とはそんな時代だったのではないかと思います。少なくとも僕にとっては。
(続く)

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