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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
ファッションの批評誌『fashionista』編集委員。
京都にある某ファッション系研究機関でキュレーター。
e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
http://twitter.com/ihsorihadihsa

『fashionista』の情報は↓
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Aski Kataski、あるいは布の記憶

布の記憶。記憶が脳に蓄積されるものだと考えるならば、この表現は矛盾した物言いになるかもしれない。

    2007-08 A/W colletion "Nostalgia for Unreal Past"

建築論や都市論の分野でしばしば使われる概念にゲニウス・ロキなることばがある。日本語で地霊と訳されるこのことばは、場所が持つ雰囲気──しばしば神秘的な出来事に由来すると考えられているが──ことを指す(*1)。これはすなわち、出来事の記憶が場所に宿っていると言い換えることができよう。

建築は、それが基盤とする場所=土地と分かちがたく結びついている。それでは、衣服の場合はどうだろうか。衣服は建築と異なり、固定されるべき場所を持たない。もちろん、着用者の身体は衣服がよって立つことのできる場である。だが、常に同一の場=身体に固定されているわけではなく、着用者が変わることもある。そういう意味では、次から次へと着用者が変わる古着には種々多様の記憶が──ゲニウス・ロキのように──刻まれていると考えることもできる。

ファッションにおいて、記憶という概念が問題となるのはなにも古着の場合に限らない。そのことを私たちに見せてくれるのがAski Kataskiのデザイナー、牧野勝弘である。彼は、蚤の市などで収集する19世紀から1940年代までの布を素材とし、アンティークのミシンや19世紀のパターンを用いて衣服を制作する。一般に、布はあくまで素材であるが、彼が用いるヴィンテージの布は、タブラ・ラサ、すなわちそこに意味が書き込まれる白紙のようなものではない。古着のように着用者の記憶が刻み込まれることこそないものの、そこにはすでに、布の制作者の思い、それが織られた環境、あるいはその後人の手に渡り、蚤の市で誰かの目にとまるまでじっと待っているあいだの空気、そうした他者の様々な記憶が込められている。それを、海辺の小さな一軒家で過ごした自らの幼少期への郷愁をもとに衣服へと組み立てていくことで、牧野は他者の記憶と自らの記憶を交錯させる。

記憶は時間とともに形成される。布が記憶を持つとするならば、それは時間をも自らの内に孕んでいるはずである。彼が作り出すイメージにおいても、時間の概念は巧妙に忍ばせられる。

     2008 S/S collection "misremember past"

misremember pastと題された2008年春夏コレクションでの写真のように、静的なはずのイメージが、その宙に浮いたネックレスによって、静止した時間=切り取られた瞬間として突然私たちの前に現れることがある。しかし、この写真という技法によって時間の断面を提示するのは、写真というメディアによるものが大きく、決してAski Kataskiに特有のものとは言えない。彼が行っていることは、写真による時間の直接的な表象だけではない。むしろ重要なのは、彼が針と糸によって、衣服のうちに時間と記憶を縫い付け、そこに閉じ込めていることであり、そこにこそファッションに固有の手法が介在する。ファッションにおいては時間の問題が潜んでいること、それを牧野は決して派手ではないやり方で──だがその行為はきわめて根源的な問いを孕んでいる──私たちに教えてくれるのだ。

(*1)ゲニウス・ロキという概念については、鈴木博之『東京の地霊』ちくま学芸文庫、クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ『ゲニウス・ロキ──建築の現象学をめざして』などを参照。

photo: © Aski Kataski

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