若い頃からモデルとして活躍してきた、カリスマブロガーのまつゆう*氏。ブロガー、モデル、プランナー、そしてTwitterなどソーシャルメディアを接客的に活用した活動等様々なメディアで活躍し注目を集めるまつゆう*氏に話を聞いた。
―まつゆう*さんと言えばやはりTwitterだと思うんですがTwitterはどのくらい前からやられているんですか?
私がTwitterを始めたのは2007年です。私の周りにはサービス運営者やアルファブロガーの友人が多いのでそういう情報には敏感なんです。その人たちとスカイプチャットで「今これが熱いよ」って話をしていて、一通りのサービスを試して、そのうちの一つがTwitterだったんです。
Twitterが新しいから好きというよりは、周りにそういう人が多いので自然と始めたことなんです。コミュニケーションツールとしてはすごく優れてると思うし、そもそも短い文章と写真で何かを人に伝えるっていうことは得意分野なので、すごい楽しいですね。
―Twitterを始めた頃はほとんどやっている人もいなかった状態だったと思いますが反応はあったんですか
友人同士で始めたので「フォロー30人、フォロワー30人」みたいな状態でした。最初の頃は友人同士で遊んでいました。
―フォロワーが20万人もいるのですがプレッシャーって感じないんですか
プレッシャーはあまり感じない方です。
—影響力ある人が流す情報って凄く重要ですよね
そうですね。特に震災の時はそう思いました。「冷静にtwitterの使い方をみんなに伝えること」と「間違った情報を流さないこと」をTwitterで伝えようと思いました。
―メディアに出ることで色々言われることもあると思いますが自分が言われることって気になりませんか
見たら気になることはあります。
―元々モデルをやっていて見られることになれていたからそう冷静にいられるのでしょうか
私がやっていたのはファッションモデルではなく広告モデルだったんです。「プチセブン」のモデルを1年やって、その後広告モデルに転身しました。企業広告やCMが多かったので、モデルなんですけど、新人のタレントみたいな仕事のほうが多かったんです。ファッションモデルとは違うから、自分が見られてるという感覚はそこまでなかったですね。CMもきちんと役柄があったので演技してるという感じでしたね。
―自分で自分の姿を見ている時の感覚ってどんな感じなんですか
「あぁ出てるな」みたいな感覚です。16~23歳くらいまでそういうことをやっていて、CMにトータルで50本以上も出させてもらったので、テレビを見ていると自分が良く出てくる時があるんです。それは凄く面白かったけど、自分のような感じではなかったですね。
―それこそまわりになにか言われることも多かったんじゃないんですか
当時は別に言われなかったですね。今のほうが言われます。
街やお店ですれ違って5分後とかに「今どこどこでまつゆう*見ました」とかtwitterで話しかけられることも多いですね。楽しいなって思うのは、タレントではないから、道で会った時に気さくに話しかけてくれるんですよ。「あ、まつゆう*じゃん元気?」「ブログに載ってた洋服を今買いに行ってきました」とか。そういう感じでお母さんを紹介されて「いつも娘がお世話になってます」「あ、こちらこそ」と言ってお母さんと三人で写メ撮ったりしたこともありますよ。
―ブログもツイッターも頻繁に更新していますが大変ではないんですか
大変だと思ってないから出来るんだと思います。ウェブサイト自体は1998年からやっていて、その頃から今のブロガーと言われる人たちがやってることをずっとやり続けているので私にとっては日常なんです。習慣ですね
―自分も習慣になっています。やらなきゃって思ってしまいます
私はやらなきゃとは思ってなくて、楽しいから書いちゃう。人に発信して「知ってほしい」とか、「可愛いものがあるよ」って教えたいって欲求が強い、情報の発信欲が強いんです。最初はフリーペーパーを作ろうと思ったんですけど、印刷代とかコストがかかるし、部数によって見てもらえないと思ったのでウェブを始めたんです。当初から「マガジンスタイルホームページ」というサブタイトルをつけて、「ウェブの雑誌」というテーマで作っていました。
最初から他人に伝えるという文体で書いているので、そのスタイルは最初からずっと変わっていません。私は「ファッションブロガー」と呼ばれることもあるのですが、ファッションのことだけでなくモノも美容も旅行もなんでもノンジャンルで書いているので、肩書きなどを聞かれたときは「ブロガー」にしてもらっています。
―以前はモデルの友人とアートユニット“チェルシー”をやられていましたが最近ではチェルシーの活動はされていないんですか。その時にファッションの本も出されていますよね
今は「チェルシー」としては活動してなくて、結局まつゆう*の個人ブログにチェルシーがそのまま移行した形になっています。
以前「チェルシーのおしゃれ入門」という本を出させていただいたのですが、その本は昭和レトロをテーマにした書籍です。数年前、昭和レトロがとても流行っていて、私自身も昭和レトロが凄く好きだったので自分の格好をブログに載せていたら真似をする子たちが凄く増えて、出版社の方から声をかけていただいたんです。それで昔あった「おしゃれ入門」っていう子供むけの本をパロディで作ろうという話になって作ったんです。
―始まりはモデルですがもともとモデルという職業に憧れていたんですか
モデルはたまたまなれてしまったというだけですね。もともと何になりたい、という意識があまり無かった時にモデルになったんです。何になりたかったのかと言われちゃうと、幼稚園の時に書いた絵が残っていて、それは「DJになりたい」だったんですよ。
―幼稚園の頃に憧れた職業がDJって凄いですね
母によくディスコに連れて行かれてたんです。親はマイケルジャクソンが大好きで、私も髪の毛がプチアフロだったんですよ。
―その時はDJとかブームじゃなかったですよね。母親が流行に敏感だったんですか
敏感でしたね。親はヒッピーの格好をしてました。
―ファッションの部分でも親に影響されたのですか
どうなんでしょう。直接の影響は受けてないと思いますが、70年代が好きというのは影響を受けているかもしれないですね。
―出身は渋谷区ですか
渋谷育ちです。生まれたところは神泉のすぐそばなんですけど、正式にはぎりぎり目黒区なんですよ。
―出身が都心だから小さい頃から遊べるし、おしゃれな人が周りにいっぱいいるというのも影響を受けているのかもしれないですね
でも昔はそんなにおしゃれな人って周りにいなかった気がします。渋谷の周辺ももっとのんびりしていたんですよ。代官山も全然栄えていなくて、目黒川もよく氾濫したりしていました。
代官山は以前は同潤会アパートがアドレスの場所にあって、その辺りに駄菓子屋さんがあって、小学校が終わったらみんなで自転車で行ってアイスを買って食べたりしていました。目黒川が氾濫すると目黒川沿いの友達が、「家の一階が水没するから今日休みます」とか。昔も桜は咲いてたけど、あんなにたくさんの人は来ないので、勝手にその辺りにシートを敷いたりビールを買ってきて、おばちゃんやおじちゃんたちが集まってお花見していましたね。
―モデルを始めたのは中学生の時だと思うのですが、その頃ってどんなものが流行っていたんですか
中学・高校生の頃は安室ちゃんや109とかコギャルが中心で、その対極としてヴィヴィアン•ウエストウッドなどが流行ってました。他にはヒステリックグラマーやベティースブルーなど、いわゆる「キューティー系」みたいなものが流行っていたと思います。
その頃の女子高生はだぼだぼのニットに、ルーズソックスというスタイル。私はそれとは逆行していて、小さいベストにハイソックスを履いて今の女子高生っぽい格好をしていました。
みんなルーズソックスを履いていたので、友達から三足千円のルーズソックスセットをプレゼントされて、「私たちと遊ぶ時だけはこれを履いて」みたいなことを言われて、学校のロッカーにそれを入れてました。ルーズを履かないと一人だけ目立ってしまうからみんなも履いていたと思うんですよね。
髪の毛もみんなアムラーだったから、そういう髪型が流行っていたのですが、私は古い映画が大好きで、「ジーン・セバーグみたいにしてください」って言ってベリーショートにしてたんです。
髪の毛もベリーショートだし、しかもルーズソックスはいてないし、ぴちぴちだし、当時はキューティー系の女の子が少なかったので、そういう意味では目立っていたと思いますよ。
―プライベートでも制服を着ていたりしたんですか
プライベートは普通の服を着ていました。モデルをやってるときは、企業広告のオーディションが多かったので、自分のカラーを出し過ぎないほうが良いと思っていたので、スキニーのデニムと、上は白のカットソーやボーダーなど、いつもシンプルな格好しかしてなかったですね。
―オーディションでは色を出すなと
そうは言われてなかったんですど、自分でその方が良いと思ってたんです。何でも想像できるであろう格好で行ったほうが良いだろうなって。
―でも髪の毛がショートだったらやれる仕事って限られないですか
常にベリーショートだったのではなく、もう少し長めの時もありました。その頃は広末涼子さんが凄く人気で、ショートカットが流行っていたので、「ショートで元気なモデル」ということでたくさんお仕事をいただけたんです。
―そういう人前に出る仕事を続けようとは思わなかったんですか
このままだったら「いつか私は女優になるのかな」と思っていたんですけど、CMのディレクターさんやスタイリストさんとかクリエイティブな人たちと一緒に仕事をしていくうちに、自然と憧れが向いていって「何かになりきるとか誰かに着せられることよりも、自分のやりたいことやお勧めしたいこと、作りたいものを作る人になりたい」という風に変わっていったんです。それで一度モデルをやめたんです。
―それでウェブの世界に入っていったんですか
ウェブサイトのプランナー、プロデュース、デザインといったお仕事をずっとやってきました。一度モデルをやめた時は、最終的な目標を立てていたわけではなくて、裏方でクリエイティブなことをやって行こうって決めて止めていたんです。Twitterブームがあって、出ることによっていろいろなことがしやすくなるということもあるし、出るのも嫌いじゃないので、結果的にまたモデルにも復帰したみたいな感じなんです。
―昨年のアヒル口ブームは凄かったですね
私は「アヒル口」自体をどうこうしようと思ったというよりは、Twitterがどういうものなのかまだあまり浸透していなかったので、「Twitterが凄く面白いということ」「Twitterにはこれだけの力がある」っていうことをいろんな人に知ってほしいなって思っていました。たまたまアヒル口のように見えるアイコンにしたらみんなが盛り上がり出して、そこでお祭りみたいになったのを出版社の人が見て声をかけてくれたんです。
「Twitterというツールを使って、大勢の人が盛り上がって数時間でオファーが来て、書籍が出て、それでテレビにも取り上げられて凄いね」っていうTwitterの威力みたいなものを何かの形にしたくて、それが結果「アヒル口」だったっていうことだと思います。実際、自分自身は「アヒル口」というよりは、親に「トゥイーティーに似てる」とは言われてました。
―今でもモデルをやることってあるんですか
スタイルがいいからというのではなく「まつゆう*というキャラでモデルに出てください」ということでやることはあります。「まつゆう*と行く~」とか「まつゆう*オススメの〜」みたいなコーナーでモデルをやることはありますけど、純粋に服を見せるモデルさんということはもうやってないですね。
―フォロワーの数が増えたのって何か大きな理由があるんですか
以前、twitterに「おすすめユーザー」というシステムがあって、それに選ばれていたんです。特に事前に説明などもなくて、ある日突然掲載されていたんです。一番最初の画面に「この人たちをフォローしたらいいですよ」ってお勧めのユーザーが20人くらい出てくるんです。女の子が私一人だったので、フォローされやすかったんだと思います。それで一気にフォロワー数が伸びていったという感じですね。
―まつゆうさん*がフォローしている数もかなりいますよね
フォローしている人も2万人ほどいますが、話しかけてきてくれた人で向こうがフォローしてくれた人はほとんどフォローを返しています。
―自分に@でされたコメントは見たりされるんですか
@で話しかけてきてくれたコメントは基本的に全て見ています。でも一日に8千人にフォローされた日があって、その時は何千件とコメントがきたので全部は見れませんでした。
―フォローしてる人がどういう人だろうとか見たりはするんですか。こういう人がフォローしてるんだみたいな
ほとんど見ないことが多いですね。面白いことを言ったりしてる人とかは、この人どんな人かなって見たりするけど基本は見ないですね。これで良かったことは、いろんなことを気にしなくなったこと。ある程度数が多くなると細かいことを気にしてたらいろいろやっていけないなって思うようになって、気にしなくなりましたね。
―確かに。大変ですね
大変だとはあまり思わないですね。そんなに困ったこともないですし。
ただフォロワー数が一気に増えた時は、例えば自分が20代前半だったら調子に乗って、「私って凄い」みたいになってたかもしれないですけど、その時は既に30を超えてたから「ここで勘違いしたら絶対だめだ」と思って、ちゃんと一つ一つ考えて行動しようと思ったんですよね。
だから取材などを受ける時にも「自分の力でフォロワーが増えたわけじゃないし、自分が人気があるわけではない」と必ず説明しています。若いうちにこういう風にならなくてよかったなと思ってます。例えば歌が上手いとかかわいいとか、何かに才能があって人気があるとか、そういうことで有名になってちやほやされてならいいんですけど。だから若いうちにそうならなくて良かったなって思っています。