2011年より服作りのプロジェクトを開始したKENJI HIKINO。大学卒業後に服飾専門学校で洋裁の基礎を学んだのち、東京コレクションブランドやアパレル企業での生産管理、パリコレクションブランドでの企画生産アシスタントと様々な立場から業界で経験を踏んでいる。
誰もが知るスタンダードな素材でいかに新しさを届けられるかを追求し、人々の生活や感情といった身近なものに敏感になることで生まれる独創的なシルエット。彼の言葉に服、そして服に出会う相手への暖かく、引き締まった思いを感じた。
KENJI HIKINO 2013-14 A/W Collection
KENJI HIKINO 2013 S/S Collection
―大学卒業後に大阪文化服装学院に通われていますが、大学では何を専攻されていたのでしょうか
大学では情報学を専攻していました。情報メディアとのコミュニケーションやメディアリテラシーなどです。情報という視点から経営や経済学なども勉強しました。
―大阪文化服装学院ではどんな学生生活を過ごしましたか。
専門学生時代は遊ぶことをほとんど辞め、とにかく勉強しました。課題が多かったので学校が開くのと同時に学校に行き、学校が閉まる最後までよく作業をして帰宅してからも課題をしていました。目標が明確にあったので、自分の目標に対して必要な技術を学ぶということに徹していました。時間が出来たら頻繁に生地屋さんと百貨店のデザイナーズブランドが置いてある階に行き、服をひっくりかえして仕様の研究をしていました。
それまで服を作ったことが一切なかったので、最初はあまり出来がよくなかったと思いますが、2年生のときの学内のショーでエスニックをテーマに作った作品で表彰してもらいました。あとは同い年の同級生が一人いて、その子と毎日のようにコムデギャルソンやヨウジヤマモトについて語り合っていた、そんな学生生活でした。
―TARO HORIUCHIやCOSMIC WONDER Light Sourceにて経験を積まれていますがそれらのブランドを選んだ理由は何ですか。
国内で私自身が美しいと感じるプロダクツを生み出しているデザイナー、ブランドの下で学び、その現場を見て感じ、関わりたいという思いがあったからです。2つのブランドで学んだ多くのことは今もなお私自身の中に根付いており、どちらも今でもとても尊敬しているブランドです。
―2013年秋冬コレクションはJames TurrellやSylvia Plimack Mangold等、現代アーティストの作品からインスパイアされています。引野さんの服作りにおいて、アートは欠かせないものとなっているのでしょうか。
学んだ環境に影響を受けた部分がたくさんあると思います。アートだけではないですが、気付いたら自然と、アートから影響を受けるようになりました。ぼくの場合は人間のエモーショナルな部分から入って、特にネガティブな感情が好きなのですが、その都度自然と出会ったアートと感情や思いがリンクすると、それを一つの軸として制作しています。まだまだアートに関しては勉強中です。アート作品を見ていると嫉妬心と自分へのコンプレックスのようなものが生まれます。欠かせないのは人間の感情と他業界で働く友人や主婦の友人など彼らの仕事や、生活の話を聞くことです。
―また2013年秋冬コレクションは岡山県児島の濃紺デニムを中心に展開されていました。このデニムとの出会いはどんなものだったのでしょう。
ブランドを始める前、始めてからも定期的に産地や機屋さんに見学に行っています。
そこで職人さんたちの仕事を見ていると、真夏なんかはクーラーが全くついてないサウナみたいなところで生地を織ってくれています。こんなところに1日いたら僕なら倒れるのではないかというようなとこで。そこにある様々な生地を見ていて思ったのですが、オリジナル素材がもてはやされる昨今ですが、過酷な労働現場で必死に作られた生地は決して特殊な生地ばかりではありませんが、十分に素晴らしい日本製の素材がこんなにあるではないかと思いました。既にあるもので、自分がいいと思うものを使って、どう見せることができるか、どうしたら新鮮に受け取ってもらえるか、そういう服づくりを自分に一つ課しています。
2013春夏ではギャバジン素材をメインに使用しています。トレンチコートに頻繁に用いられる誰もが知っているスタンダードな素材であり、スーピマコットンのギャバジンを使用しました。2013年秋冬でも、いいデニムに出会ったからデニムを使用したというわけではなく、春夏の延長として誰も知っているスタンダードな素材でなおかつテーマとリンクする素材はなにかということでデニムという素材をメインに選び、自分のイメージに合うデニムを探しました。このアプローチ方法は次の10月に発表する新作でも継続しています。
―前シーズン2013 S/Sはベージュ一色に絞られていました。ベージュという色を用いた理由は何ですか。
黒や白などの無彩色ではない、スタンダードなカラーを使用したいと思っていました。なおかつあまり意味が連想されないような色がいいと考えていました。赤や青や黄色ではだめでしたし、カーキはどうしてもミリタリーが連想されてしまう。最終的にベージュという決断に至りました。ベージュしかなかったと思います。
―カラーリングが限定されることで独創的なカッティングやシルエットが際立ちます。服のフォルムはどのようにイメージを進めていくのでょうか。
ぼくの場合は、ほとんどが立体裁断からつくられますが、ボディを抱きしめるようなイメージで布をなでて体を優しく包むように作っていき、ある程度形になったトワルでだいたい3ミリから5ミリ単位の修正を加えます。その都度、感情やイメージに合う形を探して、最後は美しくなれ美しくなれと心でおまじないのように唱えながら作っています。協力してくれているパタンナーが一人いるのですが、彼女も同じ精神で仕事をしてくれています。テクニカルな部分はよりブランドが成長していくにあたってどんどん高めていきたいと考えています。
―今年度より京都精華大学ポピュラーカルチャー学部ファッションコース非常勤講師、バンタンデザイン研究所大阪校デザイン専攻講師と新たなキャリアもスタートしましたが、どのような授業を行っていますか。
授業内容は少し双方の学校によって違うのでここでは言えませんが、服の基本的な作り方を教えると共に、ものの見方や考え方など、社会で闘っていくことのできる人間を育てたいという思いのもとやっています。コレクションデザイナーに限らず、企業デザイナー、パタンナーなどこの業界で働いていけるように指導していきたいと思っています。また私自身はデザイン力や技術の習得も重要だと思いますが、それ以上に人としてきちんと社会で働いていくことのできる人間力を養ってもらいたいと考えています。
―教える立場になり、制作や考え方に変化はありましたか。
制作や考え方に変化は一切ありません。私自身の考えやアプローチの仕方、プロセスのもと今後も制作を続けていくつもりです。