ロンドンでは今、ストリートウェアがブームだ。ビーニーやキャップに、足元はバンズかハイテクスニーカーで、デザイナーズブランドを街に落とし込む。新興スケーターレーベルを取り扱うショップも急増した。
昨年6月に初めて開催された、ロンドンメンズウェア単独のファッションウィーク、ロンドンコレクション:メンでも、サヴィルロウの伝統的なテーラリングとコントラストを為していたのが、若手デザイナーたちによるストリートウェアを昇華したコレクション。
そしてそのムーブメントの中心にいるのが、カリフォルニア出身のデザイナー、Shaun Samson。
2011年、セントマーチンズのMA卒業ショーで一躍脚光を浴びた彼は、即座にFashion Eastが主宰するメンズウェアの合同ショー、MANのメンバーに選出され、これまでに3回のショーを行ってきた。
彼のランウェイに登場するのは、「メンズ・モダン・ストリートウェア」。
シグネチャーのニードルパンチ・フェルティングにより、繊細に溶け合わされ、大胆にドッキングされるファブリック。自らのリアルを見つめ、ダイナミックにレファレンスされる、故郷カリフォルニアのユースカルチャー。
その結果オーバーサイズのアイテムは新たな表情を見せ、ストリートに還元される。
ますます注目が集まる中、Shaun Samson初の単独ショーが、ロンドンコレクションズ:メンAW13の最終日、1月9日の12時から、メイン会場のホスピタルクラブで開催された。
メローなラジオショーが流れる、引っ越したばかりのクリーンなスタジオで、コレクションの準備を進める彼にインタビューを行った。
→Shaun Samson 2013 S/S Collection
→Shaun Samson 2012-13 A/W Collection
→Shaun Samson 2012 S/S Collection
→Shaun Samson 2011-12 A/W Collection
1、『リトル・ギャングスターみたいな小学生だったね笑。』
—それではインタビュー始めるよ、、、このクッションすごくいいね笑。
ありがとう笑。エルメスのスカーフから自分でつくったんだ。
—本物のエルメスで?
そうだよ。
—これ商品にできると思うよ笑。ファーニチャーラインとか。
ありがとう笑。でも本当に、次のコレクションではブランケットも発表しようかなって思っているんだ。
SS12のコレクションで使ったメキシカンブランケットは、売り物を使っただけだったから。
—それは楽しみだね。他に可能な範囲で、現在製作しているAW13コレクションについてもう少し教えてくれる?
次のコレクションは、多分これから変わっていくと思うけれど、今の段階では、モンスターとアイス、だね。
—モンスターとアイス?
そう笑。全然違うよね。今回も今までしたことがないものを追求していて、今のところモンスターをリサーチしているんだ。
あと氷とか、結晶とかにも興味がある。だから今までより少しクールなコレクションになると思う。まぁその時になればわかるよ。
—いいね、楽しみにしてる。では次にショーンの歴史を遡って、最初どのようにしてファッションに興味を持ったの?
僕が思うに、誰でもファッションに興味はもっていると思うんだ。実際にファッション業界にいなくてもね。うん、みんな。
—ファッションは生活の一部分だからね。
そう、小さい頃から着たい服をランダムに選んで、着て、育っていく。気になるスタイルやミュージック、友達とかから影響を受けながらね。
—そうだね。でも何かショーンにとって、ファッションにのめり込むきっかけはなかったの?小さい頃から、ずっと興味はあったんだよね?
うん、6歳とか7歳の頃から、服の事でお母さんとはよく喧嘩していたんだ笑。お母さんが僕に着せたいものと、僕が着たいものが全然違って。その時からもう、自分が着たいものがわかっていたのだと思う。
—その当時、特にティーネイジャーの頃はどんな服を着ていたの?
年上のお姉ちゃんやいとこが着ているものを何でも真似して着ていたんだ。彼らは5歳くらい年上なのだけど、すごくかっこ良く見えて。彼らは高校生のときギャングスターみたいな格好だったから、僕はリトル・ギャングスターみたいな小学生だったね笑。
—笑。ギャングスターっていうとヒップホップファッション的なもの?
そう。ジャージーに、ディッキーズに。勿論オーバーサイズのね。小さい頃そういう服を着ようと思うと、合うサイズがないから自然とオーバーサイズになるから。
—じゃぁそこから、ファッションデザイナーになろうと決めたのはどうして?何か特別なターニングポイントがあったの?
高校の時だね。デザインやファッションのスクールについてのプレゼンテーションを受けたんだ。それがおもしろかったから、他にも色々チェックして、そのデザインスクールとカリフォルニアにある大学に応募して、両方受かったんだ。
—そこから、どう進学していったの?僕が聞いた話では、今まで3つとか4つとか、沢山の科目を勉強して来ているんだよね?
そうなんだよ。まず高校を出た後マニファクチャリングを勉強して、そこで服がどのようにつくられるのかはわかったのだけど、デザインの仕方は知らなかったから、次にファッションデザインを勉強したんだ。それからインターナショナルプロダクトディベロップメント、そして更にアドバンスファッションデザインでメンズウェアを専攻したね。だいたいデザインスクールではまずウィメンズウェアの勉強をするのだけど、僕はメンズウェアの方に興味が湧いてきて。
—その後、ロンドンのセントマーチンに行ったんだね。
そう。セントマーチンではまずファウンデーションコース(基礎課程)をして、それからBA(学士課程)とMA(修士課程)でメンズウェアを専攻したよ。
—セントマーチンズでもファウンデーションから勉強したんだね。それまでにデザインも勉強して来てるから、する必要なかったんじゃないの?
カリフォルニアのスクールは専門学校っていう感じで、セントマーチンズは総合大学だから、単位を互換できなくて。それに、今までアートの勉強はしたことがなかったから、ここロンドンでアートも含めた基礎を総合的に勉強するのもいいかなと思ったんだ。それからBAに応募して、メンズウェアを専攻して、そしてMAに行ったんだ。
だから今まで合計、12年間学校で勉強したことになるね。長いよね笑。
—すごいね笑。まだ何か学校で勉強したいって思う笑?
笑。いやこれからは学校じゃなくて、実際に業界の中で勉強したいと思っている。例えばもしホームウェアを勉強したくなったら、ホームウェアの会社に行くよ笑。
—では次にセントマーチンズの頃の話を聞きたいのだけど、BAのとき、ジェレミー・スコットでインターンをしていたんだよね。それはショーンにとってすごく重要な経験を得た期間だったと思うのだけど、自分では何を学んだと思う?
ジェレミーはすごく素晴らしい人なんだ。とても親切で、何事にも協力的で、いつも理解を示してくれて。彼と一緒に働くのは本当に楽しかったよ。
それに、業界に係わっていく事の重要性を学んだよ。ただ働くだけではなくて、ファッションに囲まれた生活そのものというか。
—社交的な活動とかだね。
そうそう。本当に楽しかった。働いて、パーティに行って、ファッションショーとかの時はニューヨークやパリにも行って。業界にしっかり入っていかないといけないし、それを楽しめる熱意がないといけない。ハードな仕事だからね。パーティを楽しんで、すごくいい時間だったよ笑。
—いいね笑。実際どれくらいの期間アシスタントをしていたの?
2−3年間くらいかな。最初はBAがサマーホリデイのときに始めたのだけど、それからギャップイヤーをとって1年ずっと働いたんだ。
—では学校、セントマーチンのBAとMAでは何を学んだと思う?
まず、BAとMAのプログラムは全然違うんだ。ほんとに大きく違う。BAはなんていうか、ファンタジーっていう感じ。自分がつくりたいものをそのまま何でもつくって。MAはもっと直線的。
—直線的っていうのは、有名なルイーズ教授(Louise Wilson OBE、セントマーチンズMAファッションデザインコースのディレクター)のディレクションのこと?
そう。ルイーズは強烈な教授だけど、僕たちが業界に入っていくための準備を叩き込んでくれるんだ。いかにハードに働かないといけないのか。BAは自由な感じだったけど、MAではこの業界に入っていくための大切なものを学んだね。
だから本当に、BAとMAは異なるものだったね。
—実際にショーンの卒業コレクションも、BAのときとMAのときでは大きく違うよね?
全然違うね。
—現在のショーンのスタイルは、基本的にMAの卒コレに基づいているよね?使っているテクニックとか、シルエットとか。
そうだね。MAを卒業して、皆が僕のMAの卒コレを知っていたから、今、これからの僕のコレクションは、その僕自身、皆が初めにみたときの僕であるべきだと思うからね。全然違うものをつくったら皆混乱しちゃうから。でも、MAコレクションは本当に楽しんで、好きなものができたと思う。
—どのようにしてそのMAコレクションのときのスタイルを見つけたの?サイジングとか、ニードルパンチのフェルティングとか。
うーん、わからないな。でもそれがわからないのはいい事だと思うんだ。あのコレクションは自然に、オーガニックにやって来て、決して無理にスタイルを見つけようとしてできたものではないから。
カリフォルニアに住んできて、オーバーサイズなもの、スケーターとかサーファーとかのカジュアルなスタイル、そのような世界には昔から親しんできた。だからMAでは基本的にオーバーサイズのアイテム、特にTシャツがまず心にあって、そこからテクニックとかファブリックについてルイーズがアドバイスをくれたんだ。
はじめはデニムにオーバーサイズのTシャツ、とか一般的なマスキュリンなものを使おうと思っていたのだけど、そのポケットとか襟とかを全部取り除いて、ミニマルにしたんだ。
そしてテクニックやファブリックに関しても変更していったんだ。
—常にショーンのコレクションは、カリフォルニアのホームタウンに通じていると思うけれど、MAの卒コレだけの特別なインスピレーションやイメージはあったの?
そういうコンセプトとかはBAのときのほうが強かったかな。MAではただよいテイストの、よいデザインのものをつくる、っていう事に力を入れたよ。
—なるほどね。そのMA卒業コレクションの後、結果的にショーンはすぐに自分のレーベルを設立することになったよね。それはどうしてだったの?他のインタビューか何かで、もともとMAの後はメゾンや会社で経験をもっと積もうと考えていたって書いてあったのだけど。
それはFashion East(ロンドンの若手デザイナーの登竜門であるメンズ合同ショー、MANを主催する支援スキーム)のLulu Kennedyのお陰だよ。卒業ショーの後に、Luluがバックステージに来て、話しかけてくれたんだ。
あと、Charlie Porter(ファッションライター、MANのパネリストの一人)も後日メールで連絡をくれて、MANに推薦するって言ってくれた。
それでしばらくして、本当にMANでショーができるっていう電話を受けたんだ。
そんな風にして、MAの後更にショーをする機会をオファーしてもらったから、自らのレーベルをしようって決めたんだ。
—できることならそんな風に、早く自分のレーベルを立ち上げたいなって思っていたんだよね?
いや、当時僕はすぐに自分のレーベルをする事を過度に恐れていたのだと思う。もっと経験が必要なんじゃないかと思っていたよ。
でも、このように自分のレーベルを立ち上げる事ができて、本当にハッピーだよ。