Interview

fumiko imano 〜 what i am -これがあたし- 〜

セルフポートレートを中心に作品を展開するfumiko imano さん。英国のセントラル・セント・マーティンズでファイン・アートを専攻した後、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションでファッション・フォトを学んだ彼女の作品は、独創的な柔らかさと内なる強さが同居している。
Mark Lebon,Marjan Pejoski に師事。2002 年に国際イエールフェスティバルに入選。ファッションデザイナー、charles anastase とのコラボレーションやベルリンや香港、シンガポールのナショナル・ミュージアム等で個展を開催。SHOWstudio やlula Magazine のブログではコントリビューターを務める。

今年1~2 月にはフォトグラファー、川島小鳥氏と森栄喜氏と共に写真展「トリプルファンタジー」を行い、勢力的な活動が伺える。写真、ビデオ、コラージュ、自費出版による幅広い制作活動が、国内のみならず海外メディアにも注目を浴びている現在、彼女は何を思い、レンズ超しに何を投影するのか。

―幼い頃過ごしたブラジル。その中でどんな子供でしたか。

一日中家から海をぼーっと見てるような子供でした。ひとりあそびが主にあって、お人形遊びでストーリーをつくったり、お絵描きしたり、絵本とか写真をずっとみてたり、木登りしたり、親がゴルフをしてる間にプールでひとりで浮き輪をつけて浮かんでたり、幼稚園に行く途中に小さなワニがいて、いつまでもじーっとみてても飽きなかったり、とにかく何かを見たり触ったりするのがすきでした。ぼーっとしてる間にマチュピチュにつれてかれたりアマゾンのちかくまで連れてってもらってピラニア釣りをしたり、いろんな食べ物を食べたり、素晴らしい経験をしてしまった子供時代でした。ぼーっと、じーっと親指しゃぶりながら。。。小さい頃からヴィジュアルと感情がベースにあったのでいろんなことを鮮明に感情と共におぼえています。

―いつから写真を撮り始めたのですか。

小さい頃から写真を撮られたりアルバムを見ることは多かったのですが、スナップショットが流行りだした時に、父の40年まえに当時の給料を全部使って買ったというpentax の錆びた露出計がついた一眼レフを見つけてしまって、直してもらって撮ったらすごくいいものが撮れて、以来、夢中になってしまったおぼえがあります。18歳ころかな?
それまでは絵を描いてました。それもセルフポートレートでした。

―今の作風になったきっかけは何ですか。

セントマーチンのファインアートの時に写真にはまって、よく白黒プリントの暗室にこもってて、でも喋りや筆記中心のコンセプチャルアートと相性が合わなくってロンドンカッレジオブファッションのファッションフォトグラフィーに転校してファッションフォトをやろう!って思ったのですが、結局そのころ自分で全部クレジットを所有したくて、作品を全部自分の物にしたくて、エゴが強過ぎて他人とコラボレーションができなかったり、現実的にも学生にモデル事務所がなかなか貸してくれなかったこともあって、モデルを自分でやって、洋服を自分で作ったりして、シャッターも自分で押す自給自足的なスタイルになりました。よくフォトジェニックと言われてたりしたこともあって自分を押したかったんでしょう。有名になりたくて、当時ジェレミースコットのattiude( 姿勢) とbjork に憧れてました。
そして、2002 年の国際イエールフェスティバルにセルフポートレートの作品が入選したときに、このスタイルを続けようとおもいました。
なぜか、中高学校の時から入選する絵がセルフポートレートだったので、なにかあるのでしょう。

“pret a porter?(ready to wear?),london,2001”
「当時、ready to wear のコレクションなのに着れないようなおもしろい服を見せるデザイナーが多くて、着れない服を皮肉って、そこらへんの物でただ自分の体を覆い隠すコレクションを写真に撮った作品です。」(2002 年Festival International de Mode & de Photographie( イエールフェスティバル) 入選作品)

―撮るのはセルフポートレートのみでしょうか。
いろんな人やものを撮りますけど、作品としては今はセルフポートレート中心です。
“circa” という本(new accident 出版 rupert smyth アートディレクション)では、風景と親と犬を撮ってます。これからもっといろいろと撮りたいと思います。

―セルフポートレートとして自分自身をモデルとして撮ることはfumiko さんにとって自然なことでしたか。

自分自身にレンズを向けることは、撮るというより、レンズに向かう感じがします。気がつくと何回も何回も立ち向かって行くチャレンジしてる自分がいます。コンプレックスを克服するための“who am i?”(あたしは誰?何者なのか?)という問いかけからはじまって、いつしか、自分の写真の中のなくてはならないsubject matter(主題)になって、” what i am” ( これがあたし) 的なキャラクターに変わって行ったので最初は不自然でしたが、試行錯誤やらアイデンティティークライシスを繰り返すうちに自然に今のスタイルができあがりました。
それとともに写真も自分も” ロマンティック“から” 記録“に意識が変わっていきました。結婚みたいなものなんでしょう。そして撮ることが“shooting” だとしたら、自分に銃を向けるような自殺的要素があると思いますし、自分は決してレンズを覗いてシャッターをおして撮ってる訳ではないのでもはや” 写真家“ではないし、写真だけでなくてビデオも絵もスカルプチャーもなんでも制限なくやりたいのでアーティストだとおもってます。

its not me! fumiko imano retrospective

―ロンドンへ留学したきっかけは何だったんですか。

もともとアートか料理の専門学校に行きたかったのですが、母の願いが4年制大学だったので地元の大学に入ったのですが、やっぱりアートの勉強をしたかったので、4年英文科を卒業した後に安全な英語圏に行こうと決めてロンドンがいいということになりました。

―現在の活動拠点はどこですか。

日立とinternet 界です。

―ブログの写真は自宅で撮られているんですか。

自宅が多いです。

―カメラは何を使用していますか。

ずっとペンタックスのスナップショットカメラです。最近はデジタルのペンタックスoptio です。大きな銃より小さな銃が好きです。
持ち歩けるし。撮った時のスナップショットカメラのフラットな感じが好きです。

―ファッションフォトグラフに見られるような完璧なモデルを被写体にすることを考えたことはありますか。

学生の時に何回か撮りました。スタジオでも。基本的にファッションフォトは好きなので、機会があったらやりたいと思ってます。今はコラボレーションできる柔らかい頭になったので。機材がないのでスナップショットカメラでやってもいいって言うのなら?もしくは、全部貸して下さい。アシスタントも。そしたらファッションファッションなのをやってみたいです。

写真左より:”me as angel” Rio de Janeiro, circa 1978, taken by my mum “charles anastase and twins, paris, 2004″ ” i am an unicorn! ,hitachi, 2010″

―正面からのアングルが多いことについて、ご両親が撮る家族写真をイメージされていると聞きました。

そうです。8歳でブラジルから帰国して過去の楽しい思い出が忘れられなくってアルバムをめくり続けて過去に生きる日々が23歳ころまで続きました。そのなかの80年ころのコダックの赤、黄色、青、緑の鮮やかな色合いのプリントと、父母が撮るときに真ん真ん中に立たせて“こっちをむきなさい” って言って撮られた写真は変な今風のアングルで撮った写真よりもいいものなんです。昔のダゲレオタイプの写真で人がポートレートで撮られた写真も真ん真ん中で動かないように硬直してて、そのスタイルも好きだし、なにかが強いと思います。真ん中にどん!ていう古典的なスタイルが好きです。

―fumiko さんのいう写真の中にある” マジック” についてお話ください。

マジックはいつも起きる訳ではないんですけど、出来た写真をみて、自分にとってものすごい印象の何か強いものが写ってるときがあります。ずっと見入ってしまうようなもの凄いなんらかの力があって、“あ!これ!なにかある!” って。何枚か同じような写真を撮ったとき、その中の一枚だけにあったり、一枚しか撮ってない中にあったり、光の加減とかポーズ、構成のほんのちょっとの違いでそれが起こるんでしょうね。何回も写真をやめようとしましたけど、この“マジック” が起きた時に写真の力を信じたくなります。
ポラロイド展のカボチャは完全に“マジック” でした。

―英国のファッション誌「Lula」でコントリビューターを務められていますが、雑誌が掲げる” GIRLS OF MY DREAMS( 夢の中の少女)”に共感する部分があったからでしょうか。

もともとlula のことはまだ発売したばかりで知らなくて、charles anastase がlula のleith に紹介してくれたようで、lula のアーティスト紹介ページに載ったのがはじまりです。多少あのブログの雰囲気“girs of my dreams” 的に撮った写真を載せてもらってます。雑誌の方のファッションストーリーをやりたいです。

“トリプルファンタジー” 2012 , taken by eiki mori, fumiko imano,kotori kawashima

―以前お話を伺った時、「ガーリー」についてfumiko さんが表現するのは、『世の中で言うようなガーリーではない』とおっしゃっていました。それについて詳しく教えてください。

最近の世の中のガーリーとは、自分のフィーリングですが、lula とかソフィアコッポラ色が強いような気がします。なんとなくladureeでお茶してるパステルカラーの女の子やら、イージーリスニング的な音楽の要素やらふわふわの綿菓子のようにせつないイメージの“スタイル” というのがあたしには浮かびます。

反対に自分は強いイメージだし37歳なので17歳の淡い雰囲気とかとはほど遠い気がしています。なので今世間一般でいう“ガーリー”だとは思っていません。それでも“ガーリー” だと言われるのなら、ふわふわのデコラティブなケーキじゃなくアイシングがかかってない素朴なマフィンとかパウンドケーキ的な、硬い噛みごたえのあるドイツパン的な、曖昧さがない、どちらかというと鎧を着た戦士のような“ガーリー” なのかもしれません。かといって、エヴァンゲリオンではないです。もっと古美術ふうです。

写真左より:”how i want to be remembered.jpg, hitachi, 2011″ ” with pomgranate(life), hitachi,2011″ its not me! Exibition, taken by Eiki Mori “fountain twins, hitachi, 2006″

―fumiko さんの中の「少女性」とは何でしょうか。

少女性とガーリーって同じなんでしょうか。プリティーベイビーのブルックシールズ、ラマンのデュラス役とロミオとジュリエットのオリビアハッセー、若い頃のジェーンバーキン、機関銃とセーラー服の薬師丸ひろこのような、みるとドキドキしてしまうけど見ないではいられない魅力の、妙な雰囲気の触れてはいけないようなオーラの年齢を自分は少女のようにおもいます。でも何歳からが少女なのか女性なのかはひとそれぞれでしょう。
自分は少女性というか、子供的なんだと思います。幼稚というか。特別に女を意識してないし、未だに女性的なブラジャーが恐怖症というか、下着売り場が風俗みたいにみえて嫌いで化粧品も女性一般より買いそろえてないし、大人にも中学生にもなれてない。
でも、スカートとワンピースは大好きですけど、それって女の象徴みたいなものですよね。矛盾してます。自分は永遠の5歳だとおもってます。少女までもいかず、女性にもなれてない。。自分でもよくわかりません。何歳からが少女なのか女性なのか?もしかしたら永々のもので、むしろ年を重ねてからなのかもしれません。
フジコへミング、草間弥生、オノヨーコ、川久保玲、ヴィヴィアンウェストウッド、石岡瑛子もうちのお母さんも同じ世代のたくましいんだけどかわいらしくて大人のようで子供のようなきらきらした目をしてて、一生懸命で、とってもチャーミングで、どこかイノセントな。
それが本当の少女性なのでしょうか?今、こうやって“少女” という単語を繰り返し使ったり言ったり考えたりするうちに無になってく気がします。いつかかわいいおばさんになりたいと思います。そのとき誰かに“少女みたいね” って言われたらいいな!

―fumiko さんが常に思い描いている世界はどんなものですか。

強い何かです。なんだかわからないけど。人生と同じく未知の世界です。

Interview & Text:Tomoka Shimogata

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