Interview

runurunu 1/3

runurunuはデザイナーの川辺靖芳氏により2010AWよりスタートしたブランド。
川辺氏はドレスメーカー学院を卒業しホームレスを経験後、runurunuを立ち上げている。平面で縫ってみて偶然できた部分を活かして形にするなど、素材上で生じるグリッチといった断片から当初の曖昧なモチーフを捕らえる事にリアルを感じ服造りの要素として多くを取り入れている。

→runurunu 2011 S/S Collection
→runurunu 2011-2012 A/W Collection

—出身はどちらですか

実家は群馬県の伊勢崎市です。陸上の長距離をずっとやっていて普通に市立高校を卒業しています。
実家のすぐそばにオートレース場があるのでバイク屋になるかとりあえずファッションを学ぶ為に東京に出るか迷った結果、東京に出ました。

—なぜその2択でファッションが出てきたんですか

やっぱり好きだったんだと思います。高校の頃からお洒落ではないですが興味はありました。お洒落の仕方も知らないし、でも好きだから自分でコーディネートしていたんです。
その頃はあまりブランドものを着ていなかった。むしろブランドものが嫌いでブランドものを着る時はそのロゴを切り抜いて着ていました。

—高校の頃から洋服は作られていたんですか

作っていないですね。雑誌もほとんど見ていなかったです。
父親が元々アパレルでデザイナーをやっていて詳しくは知らないのですが幾つかブランドをやっていて、今はもうやっていないのですがビジネスよりの高級服で六本木をはじめ何店舗か出していたそうです。だから家にはたくさん服があったのでそういうのを少しいじって着ていました。
父親はとにかくビジネス気違いみたいな人で色んなビジネスをやっていて最終的にはDVDの会社をやりそれがうまくいかなくて今はもう何もやっていません。ただファッションは本当に好きでやっていたみたいです。父親も変な人だしおばあちゃんも変な人なのでその反面教師で僕はまともな人間になったんだと思います(笑)
最終的に“デザイナー”の道を選んだのは親の影響かどうかはわからないのですが家にそういうものがあったことで選択肢の一つにはなったんだと思います。

—ドレメに通っていますが学校にこだわりはあったんですか

学校に特にこだわりはなくて、ただ他の学校を全然知らなかったので選んだだけです。入学してみたら想像と違うと感じたこともありました。僕の中では凄く閉鎖的なイメージだった。自分で新しいことを見つけようとする人も少ないし、ただ与えられたカリキュラムをこなしている。それでも何の疑問にも感じない、作っているものもコンサバ、そういう生徒が多かった気がします。
絵を描くのはずっと前から好きだったのでその頃はデザイン画も描いて洋服を作っていました。作りたいものはあったんですけど描いたものをどうやって形にしたら良いかわからなくて発泡スチロールを削って形にしたりしていたこともあります。でもそれは「服じゃないから」ということで先生に怒られたりしていました。当時はデザイナーの意味とかはちゃんと考えてないけど作りたいっていう想いはその頃からあったんです。

—その頃はどういう服を作っていたんですか

当時は衣装に近いもの。その頃はリアルクローズと呼ばれるものや色として黒が流行っていた。自分はそういうのが嫌だったからそれとは正反対なものを作っていました。

—川辺さん自身はどんな格好をしていたんですか

凄く派手な格好をしていました。全身ゴールドのガウンを自分で作り、そういうのを着たりしていました。それ以外では古着が多かったですね。その頃から民族は凄く好きだったのでそういう要素、+ゴスの要素もあったので、傍からみたらゴス民族みたいに見えたと思います。ビジュアル系は大嫌いだったのでそういうものとは違いますけど。

—デザイナーにはなりたいと思っていたんですか

というよりは自分で服を作りたかったんです。だから最初から絵だけ描いて人に作ってもらうということは全く考えていなかった。
一時期絵ばかり描いている時期があってその間に頭の中が変わっていったんです。それまではパターンを基本的にはひいていたのですがひきたくないと思って作ったのが一度目のディナーの為の洋服。それは僕にとっても初めての試みだったんです。
とにかく無造作に切って、それを接ぎ合わせて偶然出来た部分、今のやり方にも繋がるんですけどそういうのを利用して形にする。最初はそれがうまくいくとは思っていなかったのですが絵の書き方が元々そういう感じだったんです。それに近い感じで同じことを立体でやってみただけなんです。

—どのような絵を描いていたんですか

普通のドローイングです。どろどろしている絵というわけではなく自分でもわけがわからないもの。でもデザイン画ではないです。色んなものの融合を描いていたんです。

—専門学校卒業後runurunuを立ち上げるまでに何年もかかっていると思いますがその期間は何をされていたんですか

卒業して就職するということはあまり考えていなかったので卒業してからは服の問屋で働いていました。といっても段ボールの荷下ろしをしていてほとんど肉体労働で洋服に触ることはありませんでした。専門学校を卒業してから3年間くらいはほとんど洋服を作っていなかったんです。
それに服で食べたいって昔はそこまで思っていなかった。その頃は服じゃなくて絵を描いていたし作りたいと思った時に服を作れていればどんな生活でも良いと思っていた。でもその時間もほとんどなかったのでつらかったですね。
だから仕事をしている時もそのことしか考えていなくて倉庫で隠れて絵を描いたりしていました。
そんな時についていないことが次から次へと自分に起こったんです。親が何度か倒産して自分がそれを肩代わりしたので闇金の取り立てがひどくて誰かに見張られたりして、明らかに常におかしい状態でした。殴られたこともあったし怖かった。それで仕事から帰ってきたらとにかく絵を描くみたいな現実逃避に近いような状態の毎日になっていきました。
結局「人にやられるのは嫌だ、自分で終わりにしよう」、そういう若者らしい投げやりな理由なのですがそれでホームレスになったんです。どうせこのままでも最悪だしと思って。
それに自分にひどいことが起こると描いているものがどんどんやばいものになっていくんです。幻覚のようなものもありましたし、精神がひどい状態になっていけばやばいもの(絵)が出来るということがわかってしまったのでそういう不条理装置みたいなものを自分で作りたかったのも理由の一つです。闇金の時は本当に最悪でした。でもプラスでもマイナスでも感情が動くのは面白いと思います。

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