“ラグジュアリー、素材の特質、クリエイティヴであること”をブランドコンセプトにニットを中心としたコレクションを披露しているAKANE UTSUNOMIYA。デザイナーの宇都宮茜氏はセントラル・セントマーチンズのBAテキスタイル科を卒業し、同MAファッションニット科に1年在籍、日本に帰国後、経験を積み2010年3月JFW期間中に行われた第2回シンマイクリエイターズプロジェクトにて本格的にデビューした。
2011-12A/W は女性の為の”dandy”をテーマとしたコレクション。サイドスリットのポケット等メンズライクな洋服を中心にしているが上質のカシミヤ、ウール等の素材を使用し女性らしい仕上がりになっている。
→AKANE UTSUNOMIYA 2011-2012 A/W Collection
―まずセントマーチンズのことについてお聞きします。MA(修士課程)はどんなところでしたか
私たちのクラスは20年に1度の良い年と言われていました。既にロンドンでも活躍しているMary Katranzou, Mark Fastや今は日本で活躍しているSachio Kawasakiの川崎君などがいました。授業は個性を大事にしながら学んでという感じがします。
―自分以外の他の生徒がどんなものを作っているのかというのは知っていたんですか
知ってるけど、それが良いのか悪いのか自分たちがよくわかってない。それが時代に合っていれば上手くいくし、それが時代とあってなければうまくいかないだけです。
―20年に1度のあたり年とはどういった意味で言われていたのでしょうか
詳しく覚えてはいないのですが色んな種類の分野の特徴のある人が集まっていました。みんなテイストはバラバラだったし、変な人、突出してる人もいたし、マークみたいにボディやってる人もいたし、ビッグシルエット作る人もしました。
―セントマのMAは1年間で辞めています、それはなぜですか
2年生に上がれなかったんです。それだけの理由なんです。
学校には行ってたけど、途中で自分が何やってるかわからなくなってしまったんです。たぶんそれがブレると何もかも上手くいかなくなる。本当はもう一年やりなおしたかったし向こうで就職しようかとも思っていたのですが。
―セントマのMAでの教育が合って無かったということでしょうか
というよりも、自分でわからなくなっちゃったっていうのは、あるかもしれない。色んな先生が色んなことを言うから、それで混乱しちゃったり。気にしないで、自分のやってることを続ければ良いのですがだんだんブレてきてしまって・・・。自分はもともとシンプルなものが多いので、そこでどうやって見せるかっていうのも、すごい悩んだんです。今は後悔していませんが。
―セントマの1年は、悩んだ1年だったんですね
すごく悩んだ年です。方向性に関しても。
―それ以前、セントマのBAの時などはどうでしたか
セントマのテキスタイル科で、ニットを専攻していて、その時は、良いとか悪いとかって先生も何も言わなくて、自分のやりたいように進めていたんです。
―同じセントマでも大学と大学院では教え方が全然違うのでしょうか
全然違います。特に私はBAはテキスタイルのコースに行っていたので違うんだと思います。
テキスタイルの中で、ファッション、インテリアと選べたので、その中でファッションを選んでいたので洋服は作ってはいました。でもMAに入ると、ファッションがあっての作る過程が入ってくる、BAの時はそれがなくて自由に作って、特に悩むこともなかった。MAではプレゼンをすると、先生に「このコンテクストはなんですか?」って、「コンテクストって言われても」ってなるんですよね。
―他の生徒達はそういう部分もうまくやれていたんですか
みんな悩んでたのは悩んでた。みんな必死にやってたと思います。
―結局悩んで日本に戻るのを決めたのはなぜですか
卒業出来なかった時24、5歳だったんですが、今、日本に帰らなかったら、すごく帰りにくくなるって思ったんです。28とかで日本帰ってきて、どこかに就職するってなったときに、絶対雇ってくれないなって。だから一度帰ってきて、日本の仕事の内容を覚えようと思って、帰ってきたんです。
―ニットを選んだのはなぜですか
ニットを選んだのはわりと成り行きだったんです。ほんとはプロダクトデザインを勉強したかった。でもロンドンに行ってファンデーションに行ったらテキスタイルやら、プロダクトやら、ペインティングやら色々やらされたんです。その中でテキスタイルが一番面白かったから、テキスタイルに変えて。それでテキスタイルを学ぶ為にセントマに行って。
―チェルシーにもテキスタイル科はありますがセントマを選んだのはなぜですか
プロダクトを勉強したかったのでセントマに行きたくて、面接受けに行ったら、「君は絶対セントマに合わないから、チェルシーに行きなさい」って言われて、それでチェルシーに行ったら、「セントマは多分合わないから、ゴールドスミスに行きなさい」って言われてゴールドスミスに行こうか迷ったんです。
でも私はあまりアートのほうに行きたくなかったから、結局セントマーチンに行って、それでテキスタイルを選んでその中でもプリンティングと、ウィーヴィングと、ニットの専攻があったのですが、プリントとウィーブは、アトリエの中でいっしょに働けないから、ニットを専攻したんです。他の2つは工場になってしまう、別の仕事みたいになっちゃうので嫌だったんです。
子供の時におばあちゃんから編み物教えてもらったりしていて、そういうのが出来たので、インターンしてた時にスタジオの中でニットやったりするようになって。やっぱり皆といっしょに働きたかったからニットを選んだんです。
―ウィメンズウェアーを選んだのはなぜですか
メンズは人に頼まれればやっていたのですが、自分ではあまりメンズでどういうモノを作りたいとかはなかったんです。
(ニットデザイナーではなく)純粋に“デザイナー”となると何がいいとか、何が悪いってのが、わかりにくい。技術よりのものをすれば、長く続けられるしより可能性があるのかなって。デザイナーでもニットを知らない人が多かった。
ニットは布帛とは別物で考えてるデザイナーが多いので、まるごと仕事をふってくれる人がたくさんいたんです。
―ニットがわからないから全部やってよということですか
レディースのデザイナーって、入りが形だったり、イメージとかだから、ディベロップしにくい。でもテキスタイルから入ると、ディベロップしやすいというか、色んな広がりが持てる。今でもニットをやっているのは楽しいから続いてるってのはあるけど「絶対にこのままレディースデザイナーになりたい」とかはなかったです。
―ニット自体は最初から全て自分で作れるんですか
作れますね。サンプルも自分で編んだりしてたこともあります。パターンはひけないんですけど。
―そもそもなぜロンドンだったんですか
ずっと留学したくて、ヨーロッパに行きたいなって思っていたんです。本当はフランスに行きたかった。でもフランス語が喋れなかったので。
―英語も最初は喋れないですよね
でも英語だったら学校でも少し学んでいたので。フランス語はゼロだったから、それはさすがにちょっと無理だなって。アメリカかロンドン、英語圏で、デザインの学校があるところって考えたらセントマーチンがあった。イギリスのほうが、物づくりというイメージがあったのでそれでロンドンになったんです。
―BAだけじゃなくてMAまで行こうと思ったのはなぜですか
MAに行ったのは、テキスタイルを学んでインターンとかはやってたけど、洋服の勉強をしてないからコンプレックスがあったんです。せっかくだから洋服の勉強したいなって思って、MAに行ったのですがそれ以外に勉強しなきゃいけないことが多かった。
―例えばどんなことですか
昔の歴史についてですね。
―BAでそういうことは学ばなかったんですか
アシスタントをしてたとき、資料を見たり図書館に行って見たりとかはしていたけどちゃんと学んだりはしなかった。ほんとに技術よりだった。
―MAに行って、ファッションを知ったという感じですか
知ったというよりも色々意識するようになりました。
―時代性とかですか
それもあるし、私は色んなデザイナーのことを知らなかったんです。今まではそれが悪いこととは感じてなかったけど、そういうのを知ってたほうが絶対得だし、気にするようになりました。
―どんなデザイナーが好きなんですか
ニットで言えばミッソーニが好きです。布帛のデザイナーはたくさんいます。学校にいるときにデザイナーのリサーチしなくちゃいけなくて。その時はラングと、アライア、ヨウジさん、バレンシアガをリサーチして・・・結構シンプルなものが好きなんです。プラダとかも好きだし。
昔は、男性デザイナー作品が好きだったんですけど、最近は女性のデザイナーのほうが好きですね。
ラングがやっていた頃のラングってデパートとかに行くと、ラックがすごい綺麗で、コレクションとしても凄い。お店に並んだときに、遠くから見ててもすごい綺麗で、そういうのを見てるだけでも凄く好きでした。
―ジルサンダーの洋服とかも好きそうですね
ジル・サンダーもまだ彼女がやっていた時はお店に入ると凄く綺麗だった。シンプルな洋服っていうのは、ラックにかかっていても綺麗な洋服が多いんです。
―プロダクトとしてですか
そう意識したことはないですけど。洋服自体が綺麗なものが好きです。
大学の時は、ミニマムだと思って洋服は作ってなかったけど、人にミニマムとか、シンプルとか言われることが多くて、やっぱり好きなのはそういうやつなのかなって思います。
―シンマイを含めこれまでに披露された洋服もミニマルなものが多いですね
コテコテにしようかなって、ふっと思ったりもするんですけどやるとやっぱり違うってなって戻したりすることが多いんです。
―ロンドンの街は自分に合ってたと思いますか
今思うと好きでした。大学院のときはあまり楽しい思い出はないですけど。それは学校の問題だけどそれ以外は人も面白かったし。学校もそうだし、仕事場に行っても周りにイギリス人はあまりいなかった。だからみんな英語がちょっとへたくそだから、仲良くなりやすくて面白かった。
―ロンドン時代はどんなところで経験を積んだんですか
一番初めはラファエルロペスっていうスペイン人のブランドで働いていました。その人のところで二年やって、その後はスタイリストのアシスタントをしたり、たまにニットをやったりしていました。
―セントマ時代はどういう服を作っていたんですか
セントマ時代はBAのときは、わりとフェミニンなのが多かった。1年生、2年生のころはボディにはまってた時期があってボディばっかり作っていた。
―ボディコンシャスということでしょうか。これまでのコレクションでもわりとボディコンの洋服を作っていますね
一時ですが学生の時ボディコンシャスの洋服ばかり作っていた時があります。それで、それを一旦休憩して、次は布帛とニットで。ニットでもニットっぽくないニットを作りたい。レースっぽい生地にしたり、ニットっぽく見えないニットを作るのを大学時代は試していた。それで大学院に入ったら混乱の時期に入り、いろんなことをやりだして、布帛とドッキングしてみたり、ボディをやったりしてみたんだけど、そのあとにもっと大きいものつくろうと思い、ファー編んだり、ファーに見えるものを編んでみたり。
結局1年生でやめて。日本に帰る前に、せっかくだから撮影したいなって最後にシンプルなモヘアのビッグシルエットみたいなものを作りました。
続く