Interview

さとうかよ

さとうかよ名義でアート作品を発表する一方でファッションブランドbedsidedramaのデザインや電子系森ユニットhollowの活動など様々な分野で類まれなる才能を発揮するさとうかよ氏に話を聞いた。

-簡単なバックグラウンドを教えてください

家から5分くらいのところにある小学校に行ってました。中学校が家から2分くらいにあるところに行ってて。昔から全然運動しなかったんです。運動が大嫌いで。でも水泳は好きだったんですけど(肌を)焼くのは小学校で止めて中学校は吹奏楽部に入ってました。理由は音楽室にクーラーがついていたからです。学校の中で冷房が効いているのが音楽室だけだったんです。だから「吹奏学部だろう!」ってクラリネット吹いていました。でも音符読めないんです。先生がお手本で弾くんで、それを見て耳で聞いて覚えていました。だから多分絶対音感があるんだと思います。楽譜は面倒臭くて読めないんですよ。読むのが苦手で。

だから問題文とかも本当に読まなくて「この問の中から2つ選びなさい」っていうのも絶対一個しか選ばないんですよ。半分くらいぼーっとしてたんですよ、ずーっと。いい子にしていたらばれないだろうってずっといい子にしていて。でも小学校3年生の時の担任が凄く見抜く先生で、さとうさんは10言ってるうち の8聞いていないって言われてそれがばれちゃって家庭訪問でお母さんに言われたんですよ。やばいって思ったんですけどでもお母さんも全然気にしていない人だからお母さんも話を全然聞いてなかったんですよ。だから「良かったーお母さんもおんなじ種類だ!」と思って。説教されると思ったんですけど逃れられて。

幼稚園の頃からずっと絵を描いていておままごとのお母さん役をしろって言われて毎日泣いていたんです、嫌で。「私は絵を描きたい、何だお母さん役って」って。最近その男の子mixiで見つけたんですけど凄いチャラオになっててびっくりして。そんな感じで昔から絵は好きで。でも基本的にぼーっとしてるんですよ。

高校生になって「なんで美術の授業だけじゃないんだろうな?」って思ったんです。でもなんか色んなことやらなきゃいけないと思って凄い苦痛でどうしようかなって。学校(登校に)30分かかったんですけど始めての30分ですよ。超遠いと思って、でもちゃんと通って、でも毎日ぼーっとしてて。友達と日記書いたり交換したり、その時に石膏像を描きたいって思ったんですよ。「石膏像ってどうやったら描けるんだろう?」と思って。お母さんに相談したら「予備校って言 うのがあるわよ」って言われて「こんなの探してみたって」言われて。石膏デッサンコースがあったので「ここ行く!」ってなって。そしたら白い物描きたくてしょうがなくて日常生活も。だから授業中にずっとコンセント描いてたんですよ。「白い」と思って。私くじ引きで一番前の席になっちゃってしまって凄いつまんないと思ったんですけどコンセントがあると思ってずっとコンセントばかり描いてたんですよ。でもコンセントは立体感無いから飽きてきちゃって。どんなに描 いても平面的じゃないですか。
だからどうしようかなと思って家帰って卵描いたり、ティッシュ描いたりしてたんですよ。なんかつまんないなと思って。で美術の先生に相談したらいらない石膏像があるって言われて持って帰ったんですよ家にそれを。凄い重いのに風呂敷に包んで電車で30分持って帰ったんですよ。今も家にそれはありますけど。「本当は廃棄処分だから見つからないように」って言われて。石膏像を描いたことにより白い物を描くという病気にはまり、そこでやっと芸大と言うのが出てきて。周りがみんな芸大生だったんですよね。先生達が。芸大に行けばなんかいいことがおきそうだと思って。

(予備校の)先生が学祭に連れてってくれてアトリエを見せてくれたんですよ。そうしたら全部白かったんですよ。部屋の中が「やばいぞこれっ。こんなところに毎日入れる世界っていいな」って思って、しかも美術しかやらなくていいって本当に入りたいと思って芸大目指したんですけど・・・・。

デッサンがうますぎて(高校)1年生で入ったんですけど回りみんな2年生で受験コースみたいのだったから。でも絶対負ける気がしなくて「なんで年の差で負けなければいけないんだ」と思って悔しくて悔しくて凄いデッサンがうまくなったんです。負けず嫌いすぎて。受験の時に色んな学校に行ってデッサンする大会みたいのがあるんですよ。そこで道場破りみたいのしてトップ取ろうと思って。で(結果的に)同情破りはトップだったんですよ。デッサンはめちゃめちゃ自信があってデッサンで100点取れば芸大って通れるって聞いてて。1次試験は通ったんですけど2次試験で粘土があって立体が本当に苦手で(芸大)落ちちゃったんですよね。

私、白い物見てると感動してくるんですよ、綺麗過ぎて光が。デッサンって凄いうまくなると白黒だけで色がわかるくらいに描けるんですよ。物と物との空間の距離も描けるようになるんです。1センチとか2センチとか空間があることとか鉛筆一本で出来るんですよ。そのイリュージョンが楽しくて楽しくて。2次元で3次元を感じる感じが相当面白くてゲームみたいな感じですよね。アトリエに入りたくて白い空間が欲しかったから芸大受けたんですけど落ちちゃったからどうしようかなと思ってて。(芸大に)受からなかったことがわかんなくて「何で受かんなかったんだろう」と思ってて。「私が現役で入れなかったんだったら誰が入ってんだろう」と思ってて。全然わからなくてぼーっとしてたんですよ。でもぼーっとしててもしょうがないから何かしなきゃいけないじゃないですか。高校卒業しちゃったし。どうしようと思って。「とりあえず浪人すれば?」と言われて、でもそれもなんかぴんと来ないなって。でも「絵描くの止めるの?」って言われて「絵描くのやめるなら舌噛んで死ぬよ」って言って、今考えると尖った子供だったと思うんですけど。それ(絵)しかなくって。

とりあえず浪人してぼーっとしてたんですよ。そのときずっと着ぐるみが作りたくて着ぐるみがつくれたらそれでよくて。絵じゃなくなってたんですよ。絵は趣 味で描いてたら良くて。着ぐるみを強烈に作りたくてなのに浪人しててどうしようと思って。困りながらどんどんどんどん絵がうまくなっていったんですよ。本 当に絵がうまくなっちゃってこれはやばいぞとおもって。「こんなあたし職人みたいになりたいわけじゃないわ」と思って。その時に阿佐ヶ谷美術専門学校とい う学校のちらしがあってそれが大きいビニールの人形を作ってたんですよ写真が。ここいいんじゃないのって思ってしかもイメージクリエイション科というのが あってわけわからないじゃないですか。(芸大は)油絵画科とか彫刻科とかカテゴリー分けているのが全然意味分からなくて。

-芸大で受けたのは何科だったんですか

デザイン科です。デザイン科って絵の具で絵を描いて描写して上手に描く平面構成というのと、立体構成というのがあってデッサンがあって。鉛筆デッサンがしたくて鉛筆デッサンのコースにしようと思ったら芸大形デザインという科か日本画しかなかったんです。でも日本画って神経質そうだなって思って嫌だったんですよ。芸大形デザインはキャパが広がりそうな気がして難題そうなところにしようと思ってそれにしたんですよね。しかも後から気づいたんですけど綺麗な白のアトリエがあるのって油絵科だけなんですよ。一浪しているうちに芸大に先端芸術コースというのが出来ちゃって、先端芸術科なんて出来たら着ぐるみ作れないじゃないですか。自由なことしたかったのに科まで自由科みたいのが出来ちゃったらもう嫌だと思って芸大行きたいかどうかわからなくなっちゃったんですよね。

-で専門学校にしようと思ったんですか

そうですね。ここいいじゃんここ自由そうじゃんと思って阿佐ヶ谷美術専門学校に入学しました。

(専門学校に)入学して1年生の夏休みに「お前うどんが食べたいか?」って言われて「うん」って言ったら「お前絵描けるか?」って言われて「うん」って言ったら「四国行くぞ!」って言われてそれが小沢剛というアーティストだったんです。1年生で右も左もわからないのにあたしほんとにうどんが好きだったからはめられたと思って。醤油で模写をするんですよ。昔の唐獅子絵巻図とか有名な物を模写する人で「お前はこれを模写しろ」みたいに渡されるんですよ。「あ?」みたいな。で、描いて自分の作品とか言って「はぁ?」とか思って。私描いたのに「はぁ?」と思って。「現代美術ってこういうことか」って思ってそこで現代美術に触れるんですよね、初めて。凄い何にも出来ない人なんですよ。小沢剛という人は周りの人がみんな助けてくれるんです。自分は何にも出来ずまごまごしてるだけで。多分発案してるんでしょうね。わからないですけどまだ。どうしようもないおじさんで周りの人がどんどん助けるからどんどん(作品が)出来上がってるんだけど「本人何やってるの?」みたいな。これが現代美術って学ぶんですよ。その時色んなことがあって捨て缶プロジェクトというのもやっててそれも違う先生が自分の作品だってずっとやってて。でも捨て看板とか作ってるのあたしたち学生で、「アートってなんだよ。なんだこれ!」って思って。自分何もやってないじゃんと思って。凄い嫌な気持ちがしてたんですよね。私はこういう風にはならないぞって思いました。でも尊敬してるんですけどね(笑)。そこで四国で遠藤次郎(コーネリアスのお部屋とか作っている建築家の人)と一緒に作業していて「あ、ビッグな人がいたなー良かったなー」って思いました。

-バイクに跳ねられ芸術に目覚めたそうですがその時のことについて教えてください

1年生の修了製作みたいなときがあって私その時にずっと修了製作のことを考えていたんです。その時彼氏にクリスマスプレゼントを買わなきゃって思ってたんですけど、でも何買えばいいのか全然わからなくて新宿に買いに行ったんだけど何もなくてどうしようかなと思っててちょっとやけになってて「なんか色々うまくいかないなーもう死んでもいいかなー」って思ったんですよ。いつも信号無いけど渡れる道路があってそこ渡ったらバイクがぱっとみたら目の前にいて「やばい」と思ったらもう空飛んでて跳ねられちゃったんですよね。

-(車に)跳ねられている時の記憶ってあるんですか

あるんですよね、やっちゃったーと思って。スローになりましたね。色んな人本当にごめんって。で、わりと頭で着地してて血が凄い出てて血が出てると言うことは生きてると思って。やりましたと思って。死んだと思ったので。その時メガネかけてて形状記憶だったから「ぱー ん」って飛んで「メガネ、メガネ」ですよ本当に。探して拾ってバイクの人に「大丈夫ですか?」って言って、バイクの人大丈夫で(事故の場所が)家の近くだったので家にそのまま帰ったんですよ。血が凄い垂れてる状態で「お母さん轢かれたー」って帰って。「誰が?誰が?あらあらあら。」ってお母さん飛んできてバスタオルとか持ってきて、でも震えが止まらなくて死ぬのかなと思って。それで救急車呼んで、でも震えも止まらないし血も止まらないし、救急車来て助 かったと思って。顔半分血でべとべとだったんですよ。頭を縫われてて注射器が「ぱん」と破裂して。頭硬かったんですよね。「ぱん」と破裂して「ぺしゃっ」てなって冷たってなんかその状況がだんだん面白くなってきて「これ修了製作いけるんじゃない?これいい作品作れるぞ」と。先生にずっと「(この状況 を)写真撮って下さい」って言ってたんですよ。この状況相当面白いと思って「写真撮って下さい!」って言ったら「ちょっと今ここにカメラ ないから後でね」って言われて、「なにこのなだめられかた?」と思って。でもいつ撮ってくれるのかなと思ったら結局撮ってくれなくって凄い残念だなっ て。そうしたら先天的に脳に障害があるって書かれてて。私がずっと写真撮ってくれって言ってるからちょっと頭おかしい子だと思われてて。
で入院したんですけどなんで入院したかわからないんですよ。足がちょっとひねってたから「入院しましょうね」って言われて、でも何が起きてるのかわからな くて。そうしたら夜中に凄く気持ち悪くなっちゃって、ナースコールしてトイレ連れて行ってもらったら吐いて。多分頭打ったからだと思うんですけど。そうしたらその前に食べていたチョコレートケーキが出てきて、それを吐いたから血を吐いたと思って看護婦さん超びっくりしていて「あなた何食べたの?」って言わ れて「チョコレートケーキです」って言ったら「なんだあ」って言われて。

結局「クリスマスの日に腎臓が破裂です」って言われてプチ破裂で手術とかしなかったんですけど、どんなクリスマスプレゼントだよと思って。凄いお腹が痛くなったんですよその前に。それでお医者さんに言ったら湿布しておけばいいって言われて、湿布渡されて貼ってて、でも全然痛くて本当痛いんですよ。ナースコールしてまだ痛いって言ったら筋肉注射みたいのをお尻にされてそれがもう半端なく痛くてそれの方が痛いからあんまりお腹痛くなくなってきて、でもそんな問題じゃなくてやっぱりおかしいって言って検査してたら腎臓破裂してて。本当大変だったんですよ。全然退院できなくて。その時2000年問題だったんですよ。病院にいると死んじゃうんじゃないかなと思って人を見てるとサラリーマンとかたくさんいて、2000年問題対策みたいのでこんなところで死ぬの嫌だなと思いながらなんか良い経験したなと思って。でお父さんとかは凄い悲しそうな顔して「早く帰って来いよ」って言ってて可愛そうで、お父さんごめんみたいな。

続く

D・I・Y Rooms 702号室[パジャマ(pa jyama)]

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