2007年21_21 Design SightにてMikio Sakabe, Writtenafterwards, Akira Naka(Poesie)など現在の東京を代表するブランドとともに「ヨーロッパからきた新人たち展」に参加したTaro Horiuchi。その後パリへと移住し、Nina Ricciでの経験、Dieselや友人とのコレクション製作などを経て帰国。満を持して2010S/Sデビューを果たすデザイナー堀内太郎氏が考えていることとは。
-LondonのKingston Universityでは写真を専攻されていたのですがそれはなぜですか
長い間、写真にしようかファッションにしようか悩んでいて、1年間写真を勉強したのですが、マルジェラが好きだったので、彼が行っていた学校に行きたいという気持ちがあり、アントワープを選びました。(アントワープで)勉強し始めたら性にあったので、どっぷり漬かってしまったという感じです。
-具体的にどういったところがあっていたのでしょうか
厳しいところでした。全くだらだら出来ないところが自分に凄く合っていました。(当時学長であった)Ms Lindaが良かったのは、Director色が強く彼女自体のテイストというよりは、個人個人のテイストをどう伸ばせるのか、これからビジネスに繋げて いくにはどうすれば良いのか、ということを考えてくれたことです。
-ヨーロッパで出会った新人たち展を行ったきっかけはなんだったのでしょうか
自分が卒業コレクションを作っているときに坂部(三樹朗)さんが「何かやりたいよね」という話をしていて。坂部さんは(既にパリで展示会を行っていたのですが)「これから本格的にデビュー したいね」と、自分達がアントワープ勢というのもあるのですが、アントワープ6も巡業のように各国を回っていたので、そんなイメージもあり、みんなでやっ てみようかということになったのだと思います。
-個人的には成功だったと思いますか
まっさらな学生上がりが、21_21Design Sightでコレクションを披露出来たという意味では、成功であったと思います。
-もしあの時点(ヨーロッパで出会った新人たち展)でたくさんのバイヤーさんからオファーを受けたとしても自分としてはコレクションを始めようとは思わなかったのでしょうか
不透明な部分はありましたが、パリに行きたいという気持ちが強かったので、それはなかったと思います。
-パリへ行こうと思ったのはなぜだったのでしょう
パリへの憧れがあったというのが一番の理由です。アントワープで学んでいる時にコンセプチュアルな考え方や、コンセプトの構造や構築の方法は学んでいて、 自分でもある程度作り上げることは出来たと思っているのですが、(アントワープの)教え方はクリエイションがメイン。どちらかといえば変化球であるアント ワープだけでなく、パリのエレガンスやドレス、美しいものへの欲求という直接的なものを見たかった。東京もストリート発信の面白いものがあったりすると思 うのですが、パリは美しいものに対して直球というイメージがあったので、それを見たいと思っていました。
-その後Nina Ricciへ行かれたんですよね
そうですね。それと同時に自分の作品制作もしていました。ItsではDieselのショーを頂いて、Dieselとコレクション作りをして世界13カ国で 販売したのですが、(Dieselという)大きい企業と働くことが出来ましたし、Nina Ricciというメゾンで経験を積む事も出来たので、凄く良い経験になりました。それらに加え、友人とのコレクション制作というものも経験できましたし。
-友人とコレクションをやろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか
インドネシア人のHeaven Tanudiredjaという人なのですが、彼が2年生の時に良いコレクションを制作していて、DiorのオートクチュールでGalliano氏とも働い ていました。自分の興味としてはエレガンスという方向性に向かっていて、彼はとてもドレッシーなドレスなどを得意としていたので、彼の感性やコレクション の作り方に興味があり、「一緒にやってみたい」とオファーしたところ「やりたい」と彼も言ってくれましたので。
-実際に一緒にやってみてどうだったんでしょうか
面白かったです。今までの自分とは違うアプローチが出来たと思います。
ボーンの使い方一つにしてもそうですし、芯の使い方一つにしてもそうです。自分は洋服の構築の方法が、どちらかといえばメンズライクなのですが、彼の場合 はドレスよりなのでドレーピングや、ある意味での適当さというか、感性的な部分での作り方など、自分と対極な部分での洋服を見ることができたと思います。
-Nina Ricciでの経験はどうでしたか
Dieselで経験した事とも違いますし、やはり売る対象が違うので、それは面白かったです。最高級の生地を見ることができて、手で感じることが出来る体験的な部分での経験、そういった事も含め、パリという街自体に住めたというのは自分の中では大きかったです。
-ロンドン、アントワープ、パリと3都市に住まれたわけですがそれぞれの生活の違いを教えてください
ロンドンはどちらかといえば東京ライクな感じがします。自分の住んでいたところはイギリスの田舎だったのですが、そこで海外の生活に馴れてきた頃に、アン トワープに移り、仕事のみの生活になりました。仕事のみですし、街には何もない。けれど全てが満たされるような、よいバランスの生活の中でクリエイション に集中できる生活が身に染みたのが、アントワープでした。パリに行く前は「アントワープって最高だな」と思っていたのですが、思った以上にパリは良かった です。色々な人が憧れる理由が分かるというか。求心力の強い街だと思います。街の構造の問題なのでしょうか、ファッションに対する姿勢だけではなくて、毎 日の生活の送り方など。仕事した後にセーヌ川に行って、サンドイッチを食べながらだらだら過ごすような生活が、「自分の求めている理想の生活はこれだな」 と思いました。
-パリから東京に戻ろうと思った理由はなんですか
制作していく上での現実を見たというのがあります。パリでやっていく上で工場などの問題が凄く多かったので。ファッションをやり続けていたら、半年に一度 はパリに行くようになるでしょうし、東京で様々な方面からの支援やサポート、アドバイスをいただきながら作品創りをするのがベストなのかなと思いました。 自分のやりたいことと、これからの生活を構築するという意味では東京が理想的なのかなと思いました。
-実際に東京に戻ってきてどうですか
居心地は悪くないです。皆さんが助けてくれますし、やりやすいです。
-クリエイションの面では東京の方がやりやすいですか
デザインや創造するという意味ではパリの方が良いのですが、製造などの面では日本の方が利点は多いと思います。勿論、日本人だということもあるし、最終的には日本も重要な場所だと思っていました。日本の良いものを守りたいという思いも漠然とありますし、美しいものもたくさんあると思います。自分は幼少の頃 に海外に渡っているので、美しいものに対する感覚というのは海外の方が強いとは思うのですが、これから日本のものもどんどん吸収していきたいと思っていま す。最近は、様々な工場見学で地方を回ることも多いのですが、そうやって様々な街を回ることで、日本の美しいもの、良いものを吸収していけるのかなと思い ます。
-日本に戻ってきて100%自分のブランドに集中できる環境になったわけですがそれによって変わったことはありますか
プレッシャーはあります。「頑張ってよ」と声をかけてくださる方々も多いので、責任感というかプロフェッショナルにならなければいけないと思いますし、今までとは違います。コストなどの面も考えなければならないですし、新しいものを作らなければいけないというのもあります。これからは社会の構造自体が変 わっていく時代だと思うので、そういった時に「自分は何が提案できるのか」という、プロとしての意識を考え直す時期というのでしょうか。そういったプレッシャーはあります。
続く