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MARIKO NISHITANI

西谷真理子 / Mariko Nishitani

1950年8月25日兵庫県生まれ。瀬戸内水軍と茨城の庄屋と六本木の下宿屋を先祖に持つ。満州の大連、ハルピン、朝鮮の浦項で暮らした日本人の両親の下、伊丹、京都、枚方、東京に居住。学生運動たけなわの1969年大学に入り、遊びほうけて、卒業後、文化出版局に勤め、1980-82年パリ支局勤務。「装苑」「ハイファッション」「元気な食卓」各誌の編集者として勤め上げ、2011年3月定年で退職。以後は外部スタッフとして、ハイファッション・オンラインを運営。
文化学園大学(文化女子大学改め)ファッション研究機構の一員として、2011年10月−12月に東京オペラシティで開催される『感じる服、考える服——東京ファッションの現在形』共同キュレーターを務める。
2010年秋からは、後藤繁雄主宰のSuper Schoolで講師も。フィルムアート社から8月末刊行のファッション評論本を企画進行中。
http://fashionjp.net/highfashiononline

日々の泡03

今日は、明日17日に開店するコムデギャルソンのドーヴァーストリート・マーケット・ギンザ(DSMG)のオープニングパーティに行ってきました。

銀座通りの松坂屋の向かいにユニクロ銀座店が完成し、DSMGはその真裏に位置しています。正確にはユニクロと空中の渡り廊下でつながっている、そのこと自体も画期的な店舗です。

建物は7階建てで、フロアごとに、魅力的なブランドが並び、さながら小さなデパートといった趣です。
おそらくロンドンのドーヴァーストリート・マーケット流なのでしょうが(残念ながら私は行ったことがない)
一つ一つのブランドが、それなりのスペースを割り当てられ、床材や什器、レイアウトも各ブランドが担当してそれぞれに個性を演出しているところは、普通のデパートやセレクトショップと大きく異なるところです。

全部をチェックしてはいませんが、メゾンマルタンマルジェラ、VISVIM、カラー、APE、トム・ブラウン、サカイ、ルイ・ヴィトン、クリストファー・ネメス、バレンシアガ、リック・オウエンス、アダム・キメル、ジバンシー、10コルソコモ、エッグ、そしてコムデギャルソンの各ブランド、それから、靴や本のコーナーがあり遊園地か文化祭のような、わくわくさせる仕掛けがいっぱいです。試着室もすごいのです。

新鮮だったのは、普通ならなかなか敷居の高いヴィトンやバレンシアガなども、すべて平等、フラットなところです。これってなかなかありそうでないことです。
ファッションのヒエラルキーを溶かしてしまったのは、やはり、川久保さんだからできたことではないでしょうか。いや、川久保さんしかできないことだと思います。

また、館内には、あちこちにアート作品が気楽に置かれ、名和晃平さんの白いオブジェが各フロアを彩っています。このアートも自由に編集する方法は、コムデギャルソンの印刷物などで平素行われていることで、美術関係の人が初めて見るとびっくりするのでしょうが、川久保さんにとって、編集するというのはこういうことなのです。

いやいや、なにか痛快な、風通しのいいショップでした。いろいろな価値観やテーストの人が、自分なりの宝物を見つけられそうな予感があって、見るだけでも今という時代を呼吸できるはずです。

オープニングには、そういうわけで、ファッションに限らず、アートや建築などいろんなジャンルの人が訪れていましたが、どんなに有名な人も特別扱いはなく、シャンパンだけのシンプルな接待で、あちこちで歓談の輪が見られたのです。

改めて、コムデギャルソンってすごいなあ、と感心させられました。
銀座に行くときは、是非のぞいて見てください。7階にはローズベーカリーも入っています。

日々の泡02

今年に入って、1月、2月と1回ずつ仙台に行っています。3月も18日に行く予定です。目的は、写真家の志賀理江子さんの連続レクチャーに出席するためです。志賀さんは、仙台空港にほど近い北釜という場所にアトリエを借り、制作活動をしていましたが、昨年の津波に遭い、ご本人は無事でしたが、アトリエも自宅も流失し、避難所暮らしを経て、今は仮設住宅に住んでいます。そして、自分の特異な体験を軸に、写真について、自身の制作態度について、北釜という土地とそこに住む人々について、震災について、昨年の6月から10回にわたる連続レクチャーを企画し、仙台メディテークで毎月1回2時間のトークと受講者とのディスカッションを展開してきたのです(秋には書籍化を予定しているそうです)。

私が志賀さんに会ったのは、2009年のことで、当時はまだ存在していた『ハイファッション』で、後藤繁雄さんと対談してもらったときです。前の年に、『Lilly』と『CANARY』という2冊の写真集で木村伊兵衛賞を受賞、その後ニューヨークで ICPインフィニティアワード新人賞も受賞し、授賞式からの帰路、対談となったのでしたが、旅の疲れなど感じさせない急回転の対話に、新しい言語を持った写真家を見る思いでした。その後、志賀さんとの交流がさらに発展することはなく、地震のときも、震災に遭ったかもしれない志賀さんのことが記憶に立ち上ることはなかったのですが、今年に入って、ART ITから配信されたインタビュー記事を見て、びっくり。そうだったのか、と不覚を反省。自宅に帰ることもせず、被災地にとどまり続けて、作品制作以前の、地元の人のために、瓦礫の中から写真を探し、それを洗い整理する作業も行い、かつ、地元の人との交流を通して、また新しい写真の地平を開拓していこうとしている志賀さんに、頭が下がる思いがすると同時に、この生まれたての新しい熱気に触れたいと思い、レクチャーに通うことを決めたのでした。

家が流されて、持ち物がすっかりなくなってしまったのに、志賀さんは予想に反して明るくサバサバしています。「もう、ものは持ちすぎていたから、ちょうどよかったのかもしれない。今は、赤十字が買ってくれたものや、全国から届いたもので生活しています。冷蔵庫も電子レンジもありますよ。でも、おもしろいのは、贈ってもらったものを着ることになった結果、おじいちゃんが、腰ばきパンツをはいたり、赤いダウンを着たり、おばあちゃんが、ねじったようなニットを着たり、みんななんかファッショナブルになったんですよ」。避難所では志賀さんの町の人たちは、毎晩ミーティングをして、だんだん冗談が出るようになったというのです。

おじいちゃんの腰ばきパンツって、いい話。期せずして生まれた出会いにしても、これって、きっとファッションのひとつの力にちがいありません。

肝心の志賀理江子の写真については、またの機会に。まだ読んでいない人は、ぜひ志賀さんの『カナリア門』を読んでほしいです。

日々の泡 01

初めまして。

滝田編集長に昨年の春にブログのお誘いを受けてから、ずいぶん経ってしまいましたが、ようやくスタートすることにします。TwitterやFacebookは、だいぶ慣れてきて軽く言いたいことを書けるのですが、ブログは全くの初心者で、なんだか居心地が悪いです。
私は編集者という仕事柄、どっちかというと、影の存在でいることが居心地がいいのです。自分で書くよりは、書かせる方(しまった、書いていただくというべきですよね)が好きなのです。そして人の書いたものにあれこれ文句を言うのが好きという度し難い種族なのです。
滝田さんは、それをきっと鋭く見抜いて、なら書いてみろよ、と振ってくださったのでしょう。

で、タイトルはボリス・ヴィアンから借用。川久保さんではありませんが、私もファッションで好きなのは、はかなさ、つかんだと思って掌をひろげると消えているような実体のなさです。そのために真剣になるパラドックスがクセになります。一方、そのかりそめなものに、言葉を与える作業をしてみたいなというのが、ここ数年考えてきたことです。さて、どうなることやら。まず本日は、さわりだけ。