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MASATO ASHIDA

蘆田 暢人

建築家
1975年 京都生まれ
京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了
内藤廣建築設計事務所を経て独立

蘆田暢人建築設計事務所 代表
ENERGY MEET 共同主宰

e-mail: mstashd@gmail.com
twitter: @masatoashida

ファッションと建築の幸福な関係?

今日はファッションと建築の関係について思うところを書こうと思います。

まず、その関係について書いてある本を書棚からピックアップしてみたところ、2冊ありました。

「カタチの歴史ー建築とファッションのただならぬ関係」(今井和也著)
「SKIN+BONES展カタログ」

他にないのかなとファッションを専門にしている弟に聞いてみたところ、どうもあまりないらしい。

意外とないなと思いながら改めて読み返してみたところ、概して言ってしまえば、両方ともファッションと建築をデザインあるいは形態の面から、その類似性を見いだすといったものでした。

しかし、そのような論点では、それぞれにとっての大事な視点が欠けてるような気がします。

それは、

ーファッション(デザイン)とは身体を包むものを創造することであり、それによって着る人の所作を規定する

ー建築とは空間を創造することであり、それによってそこに居る人々の行為を規定する

という根源的な役割です。

つまり、衣服と空間の関係に目を向けるという視点があまり語られてこなかったのです。
確かに、カタチというものは分析可能で、言語化しやすいのに対して、空間というものは語りづらい。その場に立ち、感じることでしか認識ができないのです。言うなれば、「語りえぬもの」といってもいいかもしれない。

建築を設計する立場からいうと(あくまでぼくの作る上での立ち位置ですが)、建築とはあくまで空間を創り、そこで行われる人々の行為や感情にどう関わり、影響を与えられるかを主眼にクリエイションを行うものだと思っています。
カタチはその結果、便宜的に生まれるものにすぎません。

ファッションについて言えば、マーケティングやコマーシャルという側面でなく、身体性あるいは人の生にコミットする「衣服」としての面に目を向けることが必要だと思います。

だから本来的には、ファッションと建築は、カタチについて語るのでなく、衣服と空間の関係という側面に目を向けなければならないはずなのです。

それは、今巷にみられるショーのステージセットのデザインや、ショップの空間デザインという、モノのレベルでのファッションと建築の関係ではなく、「生きる」あるいは「生(なま)」なレベルに関わるデザインという面から考えることでしょう。

というのも、最近のステージセットやショップ空間のデザインに見られるのは、あくまで衣服を「魅せる」ため、もしくはブランディングのためのデザインであって、人間の行為あるいは所作にまで踏み込んでいないように感じられるからです。
いつからかファッションと建築の関係は、人を媒体にしなくなってしまったのではないでしょうか。

しかし、歴史に目を向ければ、衣服と空間が人を通じて結ばれていた時代はあったと思うのです。

たとえば、ヨーロッパのバロック・ロココの時代。貴族の社交空間は、様式的なデザインの一致ということにとどまらず、空間と衣服が一体となって人々の交流の場としての空気感を作り出していたといえるでしょう。

また、日本で言えば、谷崎潤一郎が「陰影礼賛」で述べているように、闇の空間の中で生きるための装いとしての衣服や化粧が生み出されていたのです。
もっとも、その空間は闇と言うよりは、軒の深い日本建築特有の水平から入ってくる柔らかい光の空間だとぼくは思っていますが。

つまり、ある空間を前提とし、その中で生きる人のための衣服が作られていた時代があったのです。

空間と衣服が一体となって一つの空気感を作り出し、そこに人の息吹が溢れる。

失われてしまったそのような関係を、今の時代ではそんな機会もあまりないでしょうが、いつかファッションデザイナーの方とつくってみたい。

また、このような現象としてのファッションと建築の関係だけではなく、思想的なレベルでの関係性というのも見いだせるのですが、それについてはまた次の機会に書いてみたいと思います。

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