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TAKUYA KIKUTA

菊田琢也 / TAKUYA KIKUTA

1979年山形生まれ。縫製業を営む両親のもと、布に囲まれた環境のなかで育つ。2003年筑波大学卒。在学時にファッション研究を志す。その後、文化女子大学大学院博士後期課程を修了(被服環境学博士)。現在、文化学園大学非常勤講師、女子美術大学ライティング・アドバイザー。近著に「アンダーカバーとノイズの美学」(西谷真理子編『ファッションは語りはじめた』フィルムアート社2011)、「やくしまるえつこの輪郭 素描される少女像」(青土社『ユリイカ』第43巻第13号2011)など。

E-mail: tak.kikutaあっとgmail.com

remixとrelax

ア・ベイシング・エイプ®と90年代カルチャーについてのトークイベントを今週末にします。
詳細はこちらに。
Think of Fashion 005: A BATHING APE® ~1990年代、リミックスとリラックス~

リミックスとリラックスというサブタイトルは半分冗談で付けたのですが、90年代に創刊された2つの雑誌名からとったものです。

1991年に創刊された『remix』(アウトバーン)は、「Street and Club Sounds Magazine」をサブタイトルにヒップホップ、ハウス、テクノなどのクラブシーンの情報を詳しく紹介する音楽誌でした。
他方、1996年に創刊された『relax』(マガジンハウス)は、「Magazine for Relax Age」をテーマに、岡本仁、小野英作、渋谷直角、若木信吾、佐内正史、ホンマタカシといった新しい世代が中心となって、程よく気の抜けたカルチャーを発信していきました。
リミックスとリラックス。どちらも90年代カルチャーの特徴をうまく捉えていた言葉だと思います。

90年代のストリート・カルチャーを代表するNIGO®とア・ベイシング・エイプ®も、やはり『remix』と『relax』で取り上げられています。
「ぬるま湯に浸かった猿」という正式名称を持つエイプ®は1993年にスタートし、NIGO®のモノマニア的な視点から、アメリカン・カルチャーを次々とサンプリングし、それらを東京的な感覚でリミックスしていくことで、ストリートに無数の「猿」を解き放っていきました。
それは次第に90年代後半に浮上する「リラックス・カルチャー」と結びついていったのではないかと思うのです。

例えば、1996年にデビューしたPUFFY。
「アジアの純真」というタイトルにも関わらず、「北京ベルリンダブリンリベリア」という歌い出しから始まる何とも気の抜けたライムを、脱力感たっぷりに歌うPUFFYの2人は、そのファッションとも相まって、90年代後半に浮上する「リラックス」「ルーズ」「グランジ」「ローファイ」「ゆるさ」といった感覚を見事に体現していました。
また、次曲「これが私の生きる道」に典型的に見られる奥田民生によるビートルズ(っぽさ)のサンプリングによる曲作りは、雑多な情報をいかに選別・編集するかといったプロデューサーの「センス」が問われる時代性ともマッチしていました。

ここで注目したいのは、こうした「リラックス」的な感覚とは、今日の「ゆるさ」とは異なり、ある種のカウンター・カルチャーとして機能していたのではないかということです。
(続く)

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