パリ・コレクションや東京コレクションといった、現今のファッション・システム──1年に2回新作を発表する──に乗っているデザイナーの人がファスト・ファッションを批判しているのをたまに目にします(最近は少なくなってきたかもしれませんが)。
しかし、それは果たして正当なことなのでしょうか。
この問題を考えるために、少し歴史を振り返ってみたいと思います。
現在のファッション・システムの基礎はシャルル=フレドリック・ウォルト(1858年メゾン開店)に始まります。ウォルト以前は、顧客の要望にあわせて服を仕立てるのが普通でしたが、ウォルトはシーズンごとに自分がデザインした服を見せるというコレクションのシステムを考案し、生きた人間に着せて見せるというファッション・ショーをはじめました。これがいわゆるオート・クチュールの始まりです。そして、それから100年ほど経った第二次世界大戦後、英語の”ready to wear”をフランス語に翻訳したプレタポルテという、いわゆる高級既製服が現れ始めます。
このプレタポルテは1960年頃から力を持つようになり、たとえばピエール・カルダンは59年に、イヴ・サン=ローランは66年にプレタポルテのラインを発表し、70年代以降はオート・クチュールのセカンドラインとしてではなく、最初からプレタポルテのみを発表するブランドが増えてきました。
フランスではオート・クチュールのデザイナーはクチュリエ(女性はクチュリエール)と呼ばれ、新しく生まれたプレタポルテのデザイナーはスティリスト(styliste)と呼ばれましたが、この名前の違いについて深井晃子は次のように述べています。
オートクチュールはモードにとって一番の切り札〈創造性〉で、それでもプレタポルテを跪かせようとしていた。しかし、60年代は、若者たちがストリートから発する様々なアイディアがモードになっていった。規制の社会がタブーとしてきたこと、それがモードとなり得た。プレタポルテが独自の想像源を見出すには千載一遇の機会だったのである。スチリストは一握りの女性のためではなく、街の多くの女性たちが望む新しいモードを提案した。それはオートクチュールの指令には関係のない、自分にあったものを自分流に解釈して着るというものだった。その意味で、フランスの雑誌が使いはじめた新しいスチリストという語は適切だったし、十分な魅力を持った言葉だといえる。
(深井晃子『パリ・コレクション』講談社)
オート・クチュールからプレタポルテへの、そしてクチュリエからスティリストへの移行を見てみると、どこか最近のファッションの状況に似ているように思えます。
つまり、ハイファッションと考えられるプレタポルテと、それに対抗するかのように出てきた安価なファスト・ファッション。そして、ファスト・ファッションとコラボレーションするプレタポルテのブランド、そして服作りの知識や技術を持っているわけではない素人デザイナーたち・・・
僕自身、今挙げたような事例を特に批判しているというわけではありません。ここで言いたいのは、プレタポルテがオート・クチュールに対してしてきたことを極限まで押し進めたのがファスト・ファッションだと言えるのではないか、ということです。
だとすれば、現在プレタポルテのシステムに乗っているデザイナーはファスト・ファッションを安易に批判することはできないはずですし、ファスト・ファッションと肩を並べながら同じ論理で進んで行った行く末を多少は想像できるのではないでしょうか。
あしださん、
私もほとんど同じ事を考えています。同じテーマをずっとずっと考えています。その考えをもっと発展させたいと思っています。
生産、メディア、産業の構図から言って、堂々巡りな事が多いからです。
ちゃんと話す機会、考える機会、変えて行く機会を設けることができればと、思っています。
新しいシステムを作っても、デザイナー、ジャーナリストや消費者などファッションに関わるすべての人に認めてもらわないといけないので、本当に難しい問題だと思います。
多分、既に多くの人が気づいてもいることなんだと思いますが・・・
戦後の1950年代以降、アートの中心がパリからアメリカやイギリスに移ったと言われるのを聞いた事があって(すみませんが僕はほとんどくわしくないですが)
同じくファッションもアシダさんがおっしゃってるように戦後からプレタポルテが出て来て〜という話については、アートに同じく戦勝国や政治経済の動きと供にあるように見えてきます。
つまり1950年代以降はアメリカ的価値基準(大量消費とか大衆国家とか自由とか株とか)のようなものにファッションもなっていたのかもしれません。
ということは9.11以降、そしてオバマ大統領に代わって、ドルが安くなって、中国が本格的に経済的にも大きくなって、
…などなどを考えていくと、政治経済情勢と供になにかの基準や価値のようなものも直接的にも間接的にも変動していくとするなら、
中国の台頭とともに、今後の2010年以降はなにか中国的そして今後のアジア的ななにか価値基準や思想のようなものがなにか重要なキーのような中心的なものを成すのかも?とか思っちゃったりします。
例えば中国ってパクリとか当たり前〜だからファッションも今後はパクリみたいなのが当たり前になる?みたいな。笑
なんかぐちゃぐちゃですいません。
確かに既製服はアメリカで先に発達していました。戦争や経済などの社会状況とももちろん関係があると思います。
よく言われているように、これからは中国がキーポイントだというのも、そうなんだと思います。
パクリというか、いわゆるバッタものも話になりますが、パリで「JAPAN EXPO」っていう大きなイベントがありますよね。アニメとかマンガとか日本のストリート/ギャル・ファッションとかの。
今はどうかわかりませんが、初期は「これどうみても正規品じゃないでしょ!」っていう商品が色んなブースで売られていたんですよ。
ただ、そういったバッタものがあったからこそ流行ったのかもしれないことを考えると、パクリからまっとうなビジネスが生まれるのかもしれないし、なかなか難しいものがあります。。。
非常に面白い捉え方ですね。
クチュールとプレタ、プレタとファストファッション。
私はクチュールとプレタはともに自立していたのに対して、
プレタなしにファストファッションが自立できるかという事に関しては
疑問です。
ただ消費者のイメージの中では成立するのかもしれません。
値段が同じでもシャネルよりH&Mを選ばれる方はいると思いますし。
あまり同じ文脈で比べたくないものではありますが。
>akira様
コメントありがとうございます。
他の記事へのコメントと順番が前後しますが、まずこちらからお答えいたします。
結論から申し上げますと、僕自身の考えとしてはファスト・ファッションも自立可能だと思います。ただ、それはあくまでマーケットの中での問題であって(akiraさんが「消費者のイメージの中で」と仰っているのと同じかもしれません)、創造性のレベルでそこから発展することができるとはあまり思っておりません。
それは、ファッションがある意味でデータベース的なものになってきていると考えられるからです。つまり、様々な要素によって構成される既存のデータベースのなかから、取捨選択を繰り返すことで衣服の「デザイン」をすることが現代では可能になってしまっていますので、将来的にプレタポルテが衰退し、ファスト・ファッションのみが生き残るというような状況も十分に考えられると思います。