ちょっと、ほんと、お財布に余裕が少しでも余ってる人は行ってみたほうがいいですよ。
すごいことになってました。
bodysong.のボディくんなんて
ベルンハルトウィルヘルムのスウェット
マルタンマルジェラのニット
アンダーカバーのカットソー
ジェレミースコット元ネタの古着
BLESSのスウェット
OOIOOのTシャツ
これ全部買っても3200円だったといってビックリしてました。(ぼくもびっくりです笑)
ぼくはぼくでBLESSのインテリアシリーズで椅子があるんですけれど、それを2つも買って1000円でした!汗
今は部屋が狭いので将来のリビングルームのために買っておくことにします。。。笑
だってこんなの手に入る予定は今も未来もありませんから。。。しかもこの値段。。。
こんな素敵で面白いものをこんな値段で出しちゃってるK=LABELのマサヒロさん、本当にありがとうございました。。
他にも普通に出品者さんの古着とか私物とか色々ビデオとか本とか、なんとマラヤンペジョスキーのネオン管ライトまで出品されてたというから驚きました。
時間とお金にちょっと余裕のある人は是非のぞいてみてください。
ぼくも私物からけっこう珍しいやつ、出してます笑。
たとえば、ぼくもBLESS買っておきながらBLESSのイヤフォンとか出してます。
これ。
大阪のvisit-forで買ったものなんですが、使ってるうちに片耳が聞こえなくなっちゃったから、しっかり集中して音を聞きたいぼくにとってそれは致命傷なので、今回は出しちゃうことにしましたよ。
他にも古着とか色々出してるんですけれど、けっこう安いです。1000円とか。3000円とか。
などなど、色んな人の色んな背景があるなかで出されてるたくさんのモノたちが溢れてるのでみなさんぜひこの機会にどうぞ。
買い物って不思議なもので、じつは一期一会。
たしかに目の前にあるその商品(モノ)とその値段(この場合でいう価値のモノサシ)は今その目の前にもあるし、他のどこかのショップでも売ってあったりするし、その値段がついているということは他のどこかでも同じ値段同じ価値として売られていたりすると思います。
でも実はその価値、価格、存在、意味っていうのは決して永遠なわけではなくてその生産されているプロダクト、手作りなら手作りで、そのモノ自体も無限にあるわけではないです。
生産されてるプロダクトならその生産を打ち切っちゃえばもう終わりだし素材や材料がなくなってももう終わりです。
手作りとかそういう作られたモノだとしても、それもその作り手がいなくなったりどこか自分と遠く離れてしまった場合にはその作られたモノも手が届かなくなってしまいます。
だから、必要ないものはたしかに必要ないけれど
欲しい!とか素晴らしい!とかかわいい!とかそういう、いわゆるお買い物してるときの最初の触れたときの感動というか気持ちの高まりって実はそんなにたくさんあるわけでもなければたくさんが保証されてるわけでもなくて、けっこうかけがえのない素敵なことなのかなと。
自分がそのものに対して素敵だなと思える瞬間はとても貴重なのかなと。
そう思わせられることもあります。
友達みたいなものですよね。
クラスのあの人、隣のクラスのあの人、どっちのクラスにいっても誰かと友達にはなれていたことだろうしその環境にはその環境なりの何かをきっと自分が手に入れていたことでしょう。
でもその環境なりの自分でしか持ち得ないものや大切なものっていうのは確実にあって、言ってしまえば「誰でもよかった」でも「この人じゃないとダメだ大切なんだ」というふうにも。
買い物もやっぱり一緒でどれでもいいんだろうけれど、でも選んだからにはその選んだものと一緒に時を歩んで一緒に何かをお供する、そんな存在になるわけです。
与えられた環境に感謝して、自分で進んで手に入れていく何かに対してこれからよろしくねという挨拶のような気持ち。
そういうふうに買い物もぼくは考えていて、やっぱり買うからには目一杯その価値を発揮してもらいたいです。だから大切な買い物ほど選ぶときの目はやっぱり本気になっちゃいます。
まぁまぁまぁ、すみません、わかりづらい言葉並べちゃって。
そんなぼくの独り言みたいな長話はいいんです。笑
とりあえず、面白くて素敵なものが安くてたくさんあるならば、行ってみる価値はありです☆
よかったらHIROSHOPへこの機会にどうぞ。
http://twitter.com/hachiBALMUNG
安すぎ!そういう感じなら俺も100円とかにすれば良かったよ。
もし自分のブランドがそんな安く売られたらとても悲しい…
>sesさん
コメントありがとうございます。
悲しい気持ち、と感じられるのもわからなくもないのですが、しかし買う、売る、値段という行為や数字以上に、その服やモノは何のために作られたのか?何のために人の手を渡っていくのか、ということを考えてみると。。。
結局、こういうフリーマーケットとか蚤の市と言われるような中古のものやタンスの奥に眠っているような使わなくなってしまったものが、再びそれを必要とする人の手に渡っていき、再び再活用されるとしたらそれがどんなに素敵なことだろうと思います。
たとえ100円であっても10000円であっても。
>Hachi / BALMUNG 様
ご返信ありがとうございます。
そですね。私もこのフリマを知った時、行きたい!って素直に思いましたよ。
上の写真にあるBLESSの椅子を私は通常の価格で購入し、今も大切に部屋にありますが、それが¥1000で売られた事実を知って、今までとても大切にしていた物が色褪せていく感覚になりました。もちろん内輪のその場のノリ的な事があったかもしれませんが、一般的な消費者の立場で考えると、辛い事実でもあります。
BALMUNというブランドをしていらっしゃる立場も含めて、このブランドをこんなに安く買ったという記事は、マイナスになるような気がしてならないです。
それが残念なのです。
自身の中でとどめておく事はできなかったのでしょうか?
「何のために作られたのか?何のために人の手を渡っていくのか?」
それはご自身がもっと考えなければいけない気がします。
偉そうな事を言ってごめんなさい。
>sesさん
お返事ありがとうございます。
偉そうだなんてとんでもないです、本当に貴重な対話の機会だと思います。
sesさんが通常の価格で購入した、というその瞬間のその判断とその気持ちには、愛着やこだわりや素敵な出会いの運命的なようなものはありませんでしたか??
僕が買ったのは、他の人が使い古したビニールテープが熱でベトベトにくっついてる跡の残った何年も昔に作られた中古品です。色々な過程を経て、または僕自身が知らないような事実が積み重なったそんなイスです。
sesさんがご購入されたのはその素敵なBLESSの椅子がデザイナーの思いが込められて作られた出来たてホヤホヤの、いわば真っ白なキャンバスのようなsesさんご自身の色でいくらでも染めることのできる新品ですし、ましてやsesさんがおっしゃるように通常の価格で買っているということでそういう気合いのような愛着も込められていると思うんです。
簡単な例だと、新品のデニムジーンズ、これから毎日履きつぶしてどんどん自分仕様にしてあげたい、というようなそういう楽しみ方や向き合い方などでしょうか。そういう付き合い方、というか。。
あとは新築のマイホームと中古物件のマイホーム購入の違いとかですかね、こっちのほうが分かりやすい例えかもしれません。
こういう買い物に関しては価値観や気持ち、というものの比重が大きいですよね。
僕自身は服を買う場合、そういう付き合い方をその買う服に対して約束するつもりで選びますし判断しています。
「自分がこの服をたくさん着てあげて、そのかわりにこの服には自分をたくさん楽しませてもらってオシャレさせてもらう」というように考えます。
タンスのこやしにはしたくありません。
何かしら有効活用してあげたいと思います。
新品で高い値段だろうと、中古で安い値段だろうと、たとえ390円のサンキューマートでの古着の購入にしたって、それぐらいの気持ちで買います。
無駄遣いは好きではありませんし。。
今回の書き込みのことで言えば…sesさんのその定価で購入したというBLESSの椅子、その買った瞬間のご自身の気持ちやタイミングの価値というのをもう少し大切にされても良いのではないですか?
それは決して他人が1000円で同じモノ(けれども全く別のモノですよね)を買ったことぐらいで色褪せちゃうようなものなんでしょうか。
僕の持ってるリーバイスの7000円のジーンズ501と、あの人が持ってる古着屋で1000円で買ったジーンズ501は同じプロダクトですけれど、全くの別の存在だと思います。
僕のリーバイス501だし、あの人のリーバイス501です。
どっちが良いとか悪いとかを第三者の価値の線上で優劣的に比べる必要はないと考えます。
長文失礼しました。
ご意見、ありがとうございます。