Interview

PATRICK STEPHAN 〜人間と衣服。文学的追求〜 1/2

普遍的なものづくりをするようミニマルかつジオメトリックを意識しながらのデザインが特徴であるブランドPATRICK STEPHAN(パトリック ステファン)。
PATRICK氏はフランス北部ブルターニュ地方の荒涼とした沿岸にある島で生まれ育つ。島の美しさ、彼の祖母によって作られた手縫いの洋服たちのエレガンスさ、そして彼をとりまいていた職人たちの創作物の純真さに強く影響を受ける。
学生時代をパリで過ごし、その後コルセットメーカーのバール氏、ティエリーミュグレー、ジョンガリアーノ、他様々な熟練者らから技術を習得。更なる芸術を磨くため、1998年よりディオールのクチュール部門に参加、その後自身のブランドを立ち上げる。
PATRICK STEPHANの基本となるインスピレーション源はドイツの「バウハウス」。大胆な配色とコントラスト、マットとブリリアントの革の組み合わせなどでその世界を表現している。
日本に親交の深いPATRICK氏に今回インタビュー形式で様々伺った。

—まず2012A/Wのcollectionについて教えて頂けますか?

今回に限らず、私のコレクションのテーマには繋がりがあります。それは中性的な物作りということです。そのためクライアントの方たちには男性の方も女の方もいらっしゃいますね。この中性的であるということが毎回のテーマの基本となる概念になり、そこからミニマルでジオメトリック、良い意味で簡素化され、それでいて構築的なデザインをブランド当初から継続し、デザインイメージとして重要としています。
今期新たなものとしては素材、そしてプリント。中でもラバープリントにスポットをあて制作しました。ちなみに今回のインビテーションにもマスキングテープを用いてデザインしており、服や小物にもテープデザインのディティールを落とし込んでいます。
細かなところでは裏地をボンディングで始末したアウターであったり、紙のような軽さのある素材のバックなどのアイテム構成ですね。基本的にこれがというテーマは無いですが、ブランドのアイデンティティーに小さなものを積み重ねていきながらデザインしています。

—基本軸にはバウハウスの影響が強くあるとお聞きしましたが。

この間ちょうどバウハウスの100年誕生祭のような催しがありましたね。
私の作品で言えば、雑貨などのシャープさなどにバウハウスの影響があるのかもしれませんね。ジオメトリックで構築的なデザインはまさにそうですし、前回から行っている“マット&シャイニー”という全く相反するものを組み合わせるデザイン手法も影響を受けている事だと思います。私にとってバウハウスはインスピレーション源としてかなり重要なものだと思います。

—バウハウスと言えば美学理論の構築を志したアカデミックな組織だと思うのですが、美学的な理論や法則などをデザインに取り入れることはありますか?

理論などを意識的に取り入れるというよりは、生まれた環境が起因してのデザインが多いと思います。私は生まれがフランスでも北の方の生まれで、ベルギーに近い環境で育ちました。ベルギーにはシンプルでミニマルなものが主流でそれが自分のクリエーションの根幹にあるのかもしれません。800人くらいしかいない小さな島の出身で、そこは雨がずっと降っていて、暗い。イギリスのような気候ですね。色味はトーンダウンしたものを使いますし、ビビットなものはごくまれにしか使用しない。これも生まれた環境が関係しているかもしれません。

—おばあさまが手縫いで洋服を作っていたということを聞きました。そこで洋服の作り方を学んだりということもあったのですか?

特に学んだということはありませんが、小さい頃は祖母のスカーフを気に入り、それをペットボトルにまいてお人形さんごっこのようなことをしていました。島にもおしゃれな人もあまりいなかったので、そういった洗練されたものに触れる機会は祖母のスカーフの柄などでした。その真逆で男の人は軍隊などの仕事をしている人が多かった。その影響でミリタリーのアイテムと触れる機会があり、その男性的なものと女性的なもののコントラストというものへの志向性は私のアイデンティティーとして今も継続されているものだと思います。

—クリエーションが一貫していますね。

そういうところからスタートしているということもあり、レディースのブランドとして始めましたが今はどちらかと言えばメンズと認識されていて。ただ着てくれる方々はメンズレディース関係なしに着て頂いているというのが本当のところですね。自分自身でもレディースとして発表したかメンズとして発表したか分からなくなります。笑
取り扱いのある伊勢丹さんにも老若男女問わず来てくださっています。

—今はプレタポルテだけですか?ディオールのクチュール部門でも仕事をされていましたし何か活動もされているのかなと。

14歳のときにパリに出てきて、ディオールというものを直に見て感銘を受けました。そしていつかここで働きたいと願うようになり、数年後思いが叶って働けるようになりました。計6年間はいましたね。
ディオールに入った頃はガリアーノさんがクチュールをやり始めた時期で、色々と何でも出来る時代でしたね。そこでアシスタントとして様々な仕事をしました。テーラードの技術がとても高く、職人肌のスタッフが大勢いてすごくリスペクトできる環境でした。ベルギーのアン(Ann Demeulemeester)やマルジェラが台頭してきた時代ですね。
何より言える事は技術力の高さ。そしてプレタポルテも同時にしていてそれも素晴らしかったですね。クチュールも素晴らしいんですが、マーケットが縮小してしまい、クライアントも年配の方が多いという状況でなかなか難しいものがあります。
ただクチュールがやりたくないという訳でなく、実際たまにではありますが、サウジアラビアの王族のお姫様の洋服をクチュールで作ったりしています。依頼を受け、話をしながら1からデザインしていきます。RICK OWENSなどを着ていらっしゃる方なので、私たちのイメージするお姫様像とは少し違うかもしれません。

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