Interview

S.NAKABA ~Wearable sculpture~ 2/4

捨てられて価値がないと言われた物が好きなんです。そういうものだと僕が全面的に携われますから。生命を蘇らすではないですけど、ゴミと言われた物でもまた素敵なものに生まれ変わるということが理屈抜きにおもしろいんです

→S.NAKABA ~Wearable sculpture~ 1/4

―現在の作品には廃材などを使われていますね。

神奈川県の相模原市で生まれ育ったので、そこは米軍基地が幾つも有る地域で米軍の廃材もたくさんありました。これは適切ではない表現かもしれませんが植民地を思わせるような所が有ったり。基地というのは戦争の為だったり事件があったりとけっして肯定しませんが、一面で文化的に意味のある場所であったりします。単純に外国が日本にそのままあるようなものですからね。年に数回オープンする日があって基地の中に入ることができるのですけれど、やはり異空間で。日本の景色からフェンス1つ隔てただけでそこにあるものも同じ材料で作られているのに、これだけ違った世界を作り出すことができるということには驚きました。当時の日本の生活レベルが遅れていたという状況もありましたから尚更ですね。アメリカ軍の家族の人達が乗馬しながら野道を散歩している姿をみるなどは今でも鮮明に覚えていて、やはりカルチャーショックでした。そういう影響からか、その地域の廃棄物や通常日本では手に入らないものにとてもあこがれがあって。廃棄物を扱う業者のところを尋ねて飛行機の部品などを買ってコレクションしていたのですが、それが大人になってショーケースの材料になるなんてこともしばしばありました。今はそういう業者も基地も減ってそういう材料がなかなか手に入らなくなったのですが。

―どうして廃材に魅力を感じるのですか?

捨てられて価値がないと言われた物が好きなんです。そういうものだと僕が全面的に携われますから。車でも古かったり壊れていれば手に入れて色々と自分の好きなようにカスタマイズできますしね。生命を蘇らすではないですけど、ゴミと言われた物でもまた素敵なものに生まれ変わるということが理屈抜きにおもしろいんです。 ただ最近はそこから更に『これでなければ作れなかった!』という様な物をと考えるようになってきました。

―その考え方は一般的に言われるリサイクルではないですね。

ペットボトルでブローチを作ったときもそうですが全く別の命をそこに宿らせる。尚且つもとの時よりも数倍素敵にする。もちろん用途が変わるのですけれど。言うなればペットボトルの第2の人生が始まるという感じでしょうかね。地球の資源を大事にするというより、見違えるようにして人が絶対手に入れたいと思っていただけるようなものをという思いがありますし、こんな素敵な物は見た事が無いと言って買ってくださると、僕自身の何よりの喜びになります。

―素材の機能性も考慮してデザインや作品を作り上げるのですか?

こういうのはたまたまなのですけれど、例えばペットボトルをはさみで切っていると二枚に分かれたりするんです。ペットボトルというのは、製造過程で合わせ強化ガラスと同じような構造になり表面と内側の中間に柔らかい層が有って、とても丈夫になるのですが。カーブをつけると表面の層が内側の層と少しずれて元にも戻りづらい。その機能は花びらを作ることにとても適していて、アクリル板などでは出せない表現が可能になります。また熱を加えると丸まってくれたり。その性質を発見したときはペットボトルって天才だなと思いましたね。ただ最初からその性質を知っていたというわけではなく、作っている段階で見つけていくという感じで。技術が先ではなく、試行錯誤の過程で出てきた特徴を発見する。才能を見つけ出すというような仕事に近いのかもしれません。素材に使うものには最初から膨らみがあったり穴が開いていたり厚さが均一でなかったりと扱い辛さがあるのですが、それを逆手にとってデザインに生かすことが出来たときの喜びは計り知れませんね。

―どの世界、業界にも言える事かもしれませんね。

これはもしかすると技術的な壁にぶち当たったときの突破口になるかもしれません。デザインというのは機能という面から入っていきますが、先に形が有って、それに合った用途を考えるという逆の発想はあまりないですよね。合理性から始まるのではなく、既に存在する形とのコラボレーションするという感覚があればまた今までには無いおもしろいものを生み出していけるのではないかなと。

―素材は最初に直感的に選んでくるのですか?

そうですね。好きなものからというのがありまして、鉄やアルミ、プラスチック、アクリル板。理由ははっきりとは分からないのですがなぜか惹かれます。 アルミは軽さと色、質感。特に軽いものって持つと、いい気分になるし、『未来のかけら』という感覚を抱くものじゃないかなって。宇宙人、未来の人がタイムマシンで遊びに来た時に置き忘れていってしまったような。(笑) 自分が好きなものってそういう特徴をもったものなのかなという風に分析しています。

―デザインに関してもデザイン画は描かずに作っている中で見つけていくということなのでしょうか?

おおよそのアイデアが頭に浮かんだらまず手で作りはじめていって出来てくるものが3分の2くらいでしょうかね。デザイン画を描いて完成図に近い物を作るのが3分の1か、もうちょっとあるかなという感じです。知識や技術が先ではなく、ものを作ったり、いじったりしている中で得てきたものが僕自身の基本になる部分ですので。まずは、素材そのものがなりたい形というものを見つけること。技術が先にあるとそのものをある程度コントロールして作ろうと思いますが、薄くて伸びないアルミ缶を叩いて丸みや、カーブを付けたりということは反対に、既に金工の技術を持っている人には出来ないことなのかもしれません。僕は知らない状態でその素材と向き合うので、素材の特徴に流されながら作っていく。例えば花びらのように見えてきたから、じゃあ花を作ろうという感じで。その後コントロールが出来るようになってからは百合の花を作ろうということもありますけれど。今の学校は技術や知識を先に教えると思うのですが、僕の場合はまず叩いたり、溶かしたり、爆発させたりしますね。

―爆発ですか。(笑)

とにかく手を動かして試行錯誤することが大事だと思います。学校などのシステムは勿論大事ですけれど知識や技術は2番目かなと、まずは好奇心に従う!もちろん感覚だけでは駄目ですが。

―偶然性を大事にされていると。

偶然や思いつきよりも明確なコンセプトが重要だという考え方があると思うのですが、僕は逆にそれを推し進めていこうと。もちろん検証も大事で、この2つをうまく重ねつつでも偶然を前に押し出していく。できれば偶然や思いつきに思いっきり賭けてみる。そういうやりかたが何処に辿り着くのか実験中ということですけれど実験が1番ワクワクしますからね。

―それはデザインだけではなくブランド全体にも言えることでしょうか?

いわゆるジュエリーで生計を立てていくには、ブランド化してビジネスにするという考えももちろんありました。型をとって何百個作るというような。でも僕の場合好きなことだけやっていたい。ふと浮かんだ新鮮なアイデアにまかせてワクワクしながら作っていたい。

―次々と新しいことに挑戦すると。同じものをいくつも作ることには関心がなさそうですね。

新作だけ毎日どんどん作っていきたいですね。きっとこれは自然界で言う所の”旬”に近い考えだと思います、秋に柿が取れて夏には美味しいトマトが収穫出来る様に、春にスチール、夏にカメオ、冬にアルミジュエリーという風に、又、ジュエリーに限らず、ある時は焼き物ばかりしていた時期もありました。そんなことしてどうするのという意見が普通だと思いますが、とにかく思い立ったら制作して、それで此処でストップと自分で気付くまで徹底的にやり続けます。その経験は必ず後で役に立つんです。歳を重ねて来て分かって来た事ですがね。陶芸の場合は結局半年以上作り続けました。

―若い頃はどのように切り替えてきたのですか?

例えばカスタムカーショップや靴の修業のときは新しいことをやりたいと思うとたまらなくなって会社をすぐに辞めて迷惑をかけたなと思いますが、自分の道を見つけようと思ったら、時には非情になる事も必要ではないかな、後ろ指差されても。(笑)ただ僕が扱う素材も厚さが均質でなかったり,既にボルトの穴が開いていたりと、有る意味欠点があると言えるのでしょうが、その欠点をうまく活かす事ができると自分の力以上の素敵なものが出来た!という様な事を幾度か経験するうちに、欠点を直すというよりは、活かす方が大切ではないのかと思い出し始めました。欠点が有ったからこそこんなに素敵な物が出来たんだってね。僕みたいに熱しやすく冷めやすい人間は社会システム的にも良い教育方法がないのですけれど、例えばアルミを叩いて飽きたら、次に鉄線を曲げて、一休みしたら次に貝の彫刻を始めるというように組み合わせる事で一年中様々な作品を作り続ける事が出来るんです、飽きやすい性格でも仕事をうまく組み合わせれば働き者になるんです。(笑)

―最初からそういう風に達観することができましたか?

いえ。ここ10年位ですね。それまでは自分がどうやってこの世界で確立するかということを考えなければいけなかったし、アーティストや職人と言うのは1つの世界で経験を積んで名前も知られていくという世界で、興味のままにあちこちに手を出すとやはり不安になる時も有りますよね。飽きやすい性格で次から次に色々なことをやると蓄積するというより分散するという感覚で。そう思うなら専門にやればと思われるかも知れませんが、僕にはこうするしかなかったんですね。選んだと言うよりは。ただ時間はかかりますけれど、時間をかけ経験や技術が蓄積されて来てやっと全体がまとまって来たと言えるのではないかな。

―単純に飽きると次にいこうと思うのですか?

自分には向いてないなと思って次に行くこともありますし、何でも実際に経験してみないと分かりませんよね。単純にその世界のすごい方の作品をみてこれは勝てないなと思って次に行くこともあります。早いうちに素晴らしい作品に出会うということも大事ですよね。

―普通は向いてないと思ってもどうしても執着してしまうものですよね。

残酷かもしれないけれど、駄目なものは駄目と言う勇気も必要ですよね。猶予期間を伸ばすということは人生を消費するということですから。やって駄目なら、しがらみや情に流されずに次のことにトライしてみればと思いますけれどね。ただ、人生は長いですから色々体験してから戻ってもやり直しはきくと思います。昔テレビで、徹子の部屋にヴァイオリニストの黒沼ユリ子さんが出ていらして。彼女はメキシコに住んでいたことがあり、そこでいい諺があるとメキシコの諺を紹介していました。それが「何事にも遅すぎることは無い」という言葉で。確か私は三十代のなかばで、仕事の成果が思うように上がらず焦っていたときに聞いたのでとても勇気づけられました。今でもその諺は私の宝物です。本当に全ての事に肯定的になれる素晴らしい言葉で、年齢に関わらず新しい人生をやり始めても遅くはないのではないかと。アンパンマンの作者やなせたかしさんもそうですよね、アンパンマンがヒットするまではクイズ番組とかに出たりしていて、テレビには出ているけれど漫画家としてこれと言ったものがなくコンプレックスの塊だったそうです。それがあるとき頼まれて描いたキャラクターがアンパンマンで。

―若くして成功しないと、と思ってしまう風潮は確かにありますからね。ファッションは特に。

世間ではそうした60代で成功、或は、独自の仕事が実を結びはじめるというような例が少ないからでしょうね。本当に人それぞれですから、若くして成功する人も、年齢を重ねてから認められる人もいていいと思いますし、成功にこだわらず一人に1つの人生だと思います。

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