レディースブランドであるsneeuwは、「clean & humor」をブランドコンセプトに掲げ、シンプルな中にとぼけた仕掛けをちりばめ、日常を少しだけ浮き上がらせるそんなアイテムを提案しているブランド。sneeuwとはオランダ語で雪を意味している。
デザイナー雪浦聖子氏は東京大学工学部を卒業後、住宅設備メーカーに勤務。その後ESMOD JAPONで服飾デザインとパターンを学ぶ。卒業後はYEAH RIGHT!!にてアシスタントを経験し、2009年sneeuwを立ち上げる。
今回、雪浦聖子氏にブランドやデザインについて様々な話を伺った。
―2012 S/Sの展示会も終えて仕事は大分落ち着きましたか?
そうですね。最近は春夏の生産管理をしながら、次のシーズンのことを考えたりしています。
―sneeuwは卸している店舗数もかなりありますよね?
かなりと言うと語弊があるかなとも思うのですが、
ありがたいことにS/Sで新しく決まったお店も数店舗あって、とてもうれしいです。
―Twitterやブログも結構頻繁に更新されていますよね。
頻繁といえばそうですけど、Twitterは本当どうしようもない内容です(笑)。
気がつけば知り合いの中で一番呟いていて、もうすぐ2万ツイ―ト(笑)。
ブログはオフィシャルな場として、まだまじめに書いているところもあるんですけどね。
―出身はどちらになるのですか?
13回引っ越していて、最長でも3年しか同じ場所に住んでいなかったのでどこが出身地なのか定まってないんです。
関東、関西、九州と転々としました。生まれた場所という意味だと、出身地は大阪になります。
―小さい頃から色々なところを転々とする中でファッションにも興味は持っていたのですか?
はい。小学校の頃にはファッションデザイナーになりたいなと漠然と思っていました。ひうらさとるさんの「レピッシュ!」っていう漫画をその頃読んでいて。子供心にすごくおしゃれな漫画でそういう世界に憧れていた記憶があります。
―どういった服を買われていたのですか?
学生でお金も持っていなかったので古着を中心に着ていて、ブランド物はあまり買っていませんでした。
今でもそうですが、ブランドの名前で物を選ぶことはないですね。大学の頃はA.P.C.とか、いわゆるデザインデザインしていなくて、
でも少し気が利いている洋服を選んで着ていました。ブランドやデザイナーをちゃんと意識し始めたのは洋服の勉強を始めてからだと思います。
―雪浦さんはシノラーやアムラーが流行った世代ですよね。
シノラーはもうちょっと下の世代じゃないですか? 私はあまり興味がなかったです。
そういうジャンル分けでいえば、高校生の頃は’オリーブ少女’になるのかな、と思います。Oliveは好きでしたね。実際今もあまり好みは変わってないと思います。専門学校に入ってからはYAB-YUMが好きでその後はmintdesigns.もいいなと思いましたが、本当それぐらいで。今もあまりブランドには詳しくないんです。
―小さい頃持っていた、なりたいデザイナー像とはどういうものをイメージされていたのですか?
中学や高校生の頃はデザイナーといっても建築家やプロダクトデザイナーなどファッション以外のものに興味があって、ただ漠然とデザインする仕事に就きたいと思っていました。今でも洋服にとても詳しいというわけでもないですし、専門的な勉強は27歳のときに始めたスロースターターです。
なりたいデザイナー像については今でも考え中です。
―東大時代には服の勉強はしていなかったのですか?
全くしていませんでした。
―なぜ東京大学に行かれたのですか?
元々は建築家になるつもりで美大に入りたかったんです。
ただデッサンがあまり得意ではなかったので挫折してしまって、それならと一年浪人して東大に行くことにしました。
東大は入学してから科を選ぶ方式なので、とりあえず理系の科を受験したのですが、
入ってから楽をしてしまったので、けっきょく建築科には行くことができませんでした(笑)。
―それで住宅設備メーカーに就職される。
大学では船舶について学んだのですが、個人的にはもっと身近なものを作りたいと思っていて、
それで色々調べたり、実際に何社か受けたりした結果、TOTOに入社しました。
TOTOでもデザイン部に行きたいと思っていたんですけど、専門の勉強をしていないとデザイン部は難しいとのことで
商品開発部に配属されて、そこで設計の仕事をしていました。
―なぜ辞めたのですか?
やはりどこかでデザインの勉強、仕事をしたいとずっと思っていて、30代前に一足掻きしたくなる人がいたりすると思うんですけど、私もそういう感覚になったのでじゃあ挑戦してみようと。4年働いてお金もある程度貯まったので、専門学校に行きました。
―ESMOD JAPONですよね。どうしてESMOD JAPONに?
ハトラの長見君とかが同級生で彼の服を見てると思うのですが、造形力に力を入れている学校なのかなと思います。
私の服はとてもシンプルですけど(笑)。
文化服装学院に通っていた友達に勧められて、実際の校舎を見て、雰囲気がいいなと思って決めました。
―親の反対は無かったのですか?
入学時すでに結婚していたこともあって、あまり何か言われることはなかったです。親は落ち着いてきて、うるさく言わなくなったという背景も関係しているかもしれないですけど。今では展示会に来て服を買ってくれます。夫の両親も買ってくれます(笑)。
―ESMOD JAPONを出てYEAH RIGHT!!に入ったのですよね?
河村さん(YEAH RIGHT!!デザイナー)が文化に行っていた私の友達と同級生で、丁度スタッフ募集をしていたので受けたんです。8ヶ月ほど働いていました。YEAH RIGHT!!の2人の関係性は素敵だなと思います。
―独立はいつから考えていたのですか?
入るときから独立することは伝えていました。2シーズンほど手伝って、その後半年間を準備期間にあててsneeuwを立ち上げました。
―YEAH RIGHT!!で学んだことはありますか?
色々あります。YEAH RIGHT!!に入った当時はブランドをどう始めるかということが全く分からない状態だったので、それこそ展示会のこととか、工場とのやりとりとか、工賃の相場、上代の付け方など、本当にたくさんのことをYEAH RIGHT!!で学んだと思います。