“まだ日本国内でしか売ってないけど最終的には海外に繋げてあげられたらいいかな”
―海外デザイナーがディストリビューションつけるのはもちろん世界に広めるっていう意味で必要だと思うんですけど、日本ブランドがディストリビューションつける意味ってなんなんですか。まぁデザイナーはセールスが単純に下手っていうのはあると思うんですけど
下手っていうのは1つの理由。あとはまだ日本国内でしか売ってないけど最終的には海外に繋げてあげられたらいいかな、っていう。
―日本だけじゃなく、海外にも持っていけたらっていうことですね
やっぱりデザイナーさんって自分が作ることに集中したいから、まぁ余計なところに気を使いたくないっていうか。僕は売り上げからのセールスフィはとってるけど、ランニングっていうのはとってないから。だからデザイナーさんにしてみてもそんな負担があるわけじゃないから、作るところに集中できるっていうのも1つのメリット。それは僕がデザイナー時代に感じたこと。自分が営業やって、生産やって、デザインして、自分でも作ってるものがあって、全部やってたから、右と左も全部一緒に使ってたからそれって凄く大変なことだから。
―なんか今それを出来る万能な人、プロデューサー的デザイナーがあんまりいないですよね
いない。
―洋服は作れてもねぇ、自分の服の営業はできないですよね
そう、だからお互いの意見がぶつかることも多々あるんだけど。僕はイメージもそうなんだけど、どちらかというとセールスに特化させないといけないと思うから、セールスとしての意見として言うんだけど、でもそれってデザイナーさんの譲れない部分とかもあったりするから、物を作るっていう部分で。例えば、「この値段にするなら生地を変えたほうがいいですよ」とか。一応僕がデザイナーだった時代の経験も含めて。ようするに、サンプルではこの生地であげてもいいけど、同じようなニュアンスのこういう生地って探せばいっぱいあるわけだからもう少し生地代を落としてあげてプライスをコストダウンしてあげたほうがメリットも高いし、無駄な労力も省けるし、って話をしたりすると、やっぱりそういうのってデザイナーさんによっては嫌がる人もいるから。そういうところでぶつかったりとか。でもそれも1つディストリビューターの仕事、セールスとしての。っていうような感じだと思う。
―難しいですよね
かといって、そんなにバカスカ売れるわけではないから。でも最終的には外に出してあげたいね。今回GEGENはおかげさまで、色々なお店にパァーっと広がったから…
―今までGEGENはH.P FRANCEのところとXANADUが中心でしたよね
あと、地方のお店が何店舗か、仙台とか熊本とか。でもいいお店に置かせてもらってます。コンセプトというか、バイヤーさんがしっかりしたお店に買ってもらってる。バイヤーさんのジャンルが幅広いんだけど。それは凄くいいなと思っていて。仙台なんかはgardenってお店でやってて、シホさんっていうバイヤーさん。
お店の感じは若いお客さんに支持されてる感じだけど、そういうお店にもはまる。
―gardenさんって良く聞きますね
3店舗やってて、なんでも置いてる。シホさんとは付き合い長いです。
かと思いきや、熊本なんかもうちょっと上のクラス、VULCANって店もやってて。
そこは今回Nyteもやることになって、GEGENと一緒に並んで。
GEGENはもともとその隣にあった、PERMANENT MODERNってお店でも置いてました。
そのPERMANENT MODERNというお店は僕が日本で一番格好良いお店だと思っています。
―今でもですか
今でも。ほーんと凄い素敵なお店。
―熊本って凄い発信力があるっていうことを良く聞くんですけど
熊本のお店はいいと思う!
―お洒落って聞くんですよね、先端をいっているというか
そう、お洋服のそういう感覚に対してすごく長けてて。Paul Harndenを最初に日本に引っ張ってきたのがそのPERMANENT MODERNの有田さん。有田さんは今お店2店舗経営されてるんだけど、熊本の神って呼ばれてます。笑
確か今年で60歳ですけどセレクトは芯があってカッコいいし、フットワークの軽さも凄い。
―60歳でセレクトをやられているんですか
そう、うちのラインナップからもHartmannとか、AWARDTっていう鞄とか。
新しいデザイナーが好きです。
だけどきちんと選んで頂けるからこちらもしっかり提案しなきゃって。
人間国宝がやってるようなもの置いてたりとか、平松 保城のジュエリーとか。
あとはびっくりするようなものもやりつつ…更にメンズのお店が凄くて。
レディースはそんなセレクトで、メンズはもともと有田さんがビンテージの靴と、時計と、服のコレクターで、特に革靴が凄くて。
いわゆる50年代とか60年代の、僕はちょっとわからないんだけど、レザーのウィングチップとかのビンテージの収集家で、一番凄い時で、常時100足くらいをお店に置いて、洋服とかもデットストックとかで、テーラードとかも仕様が面白いものを、紳士服として素晴らしいと思うようなものをセレクトしてやってる。
そこは完全に有田さんの息がかかっててすごい。なんかもう洋服の知識が凄くて、敵わない。
―他に都内で面白いお店とかってありますか
最近全然チェックしてないけど、GALLERY DEUX POISSONさんは昔から好きです。最近行ってないですけど。笑
―気になってるブランドとかありますか
国内で?
―国内でも海外でもこれいいなぁ。って最近思ったやつ
えーどこだろう、国内はない、今。
―特に目新しいものはないと
ないかな。で、海外も察して新しいと思うものは全くないんだけど。ブランドっていうよりは国として見るほうが好き。
―じゃあどこの国が一番面白そうですか
今もう一回改めてオランダに行きたいかなっていうとあとはLONDON。鉄板だけど。この間Theo Adamsのお友達とか来てたときに、彼らの友達がいて、彼女とタバコ吸すいながら話て、「イギリスどーなの?」って話してて、「何やってるの?」ていうから、「次Mark Fastとかやろうと思ってるんだよね」、って言ったら、「いいじゃんいいじゃん。今あれ評判いいしさ」って言ってて。「今イギリスは不況だけどだからこそ逆にデザインとか面白いデザイナー出てくるから面白いと思うのよ。」と。そうなんだ、って思って。
それもあって次パリ行かないで、LONDON行こうかと思っていて。(海外のFashion Weekは日本の)展示会の直前だから行けるところも限られちゃってて。もっと自由な時は、オランダ行って、ベルギー行って、パリ行ってとかだったけど、今もう時間がないから一箇所しか行けなくなってる。そこで探すような感じになってる。あとは北欧の北欧。
―北欧といえばコペンハーゲンでやってるブランド僕好きなんですよね
本当?あんまないよ?僕コペンハーゲンのデザイナーも一個やってたけど。
LIZETTE SNORGAARDていうのやってたんだけど、元カミラ・スタルクのアシスタントで、
服のテンション的にはそれこそ黒で。やってたけどやっぱり売れなくて。笑
―でもやっぱりコペンハーゲンって言ったらHenrik Vibskovですよね、もうHenrik絶対みたいな
あと、今もうお店ないんだけど、AFTURってブランドを置いてたAFTURって店が当時あって、bjorkのスタイリストをやっていた(今やってるかはわからないんだけど)レイブンっていう姉妹のブランドでコペンハーゲンの中心から外れたとこにお店があるんだよね、って言ってて行ったんだけどもうなくなってた。そこ結構すごいセレクトだったみたい。
―Stine Goyaわかります?
Stine Goya高い!
―僕あれ結構好きなんですよ
僕も最初やろうと思ってたんだけど(実はそのStine Goyaにイラスト提供していたHELL
MARDAHLってデザイナーがいて、HELLって昔Aで初めて売ってたのを見てかわいいなぁって思ったの。で、ちょっとシニカルな感じの絵を描くデザイナーさんで、洋服もやってたんだけど(ラグシーかどっかで売ってたのかな?)でそのあとブランドをやめてイラストレーターだけやってて、Stine Goyaのコレクションで唇みたいな、オブジェを作ってた。、そっちがやりたくて連絡何度も入れたけど、連絡してもノーレスだった。
―他にも何個か良さそうなのあったんですけどね。Bibi Ghostとか。僕が行った時は特にStine GoyaとHenrikが良かったですね
あとあれ良かったよ。なんかこの間僕達が出展したときに、そのギャラリーのエントランスで、高さ20mぐらいのニットの塔を作ってたデザイナーがいて。今もうお店ないけどラフォーレの中にあったYSHっていうお店でやってたブランド。LONDONに駐在のバイヤーさんがいて、LONDONベースのブランド引っ張ってくるんだけど、インディーズなデザイナーとかいれてたお店で。
僕よくそこの店をチェックしてたんだけど、なんだろうこのお店って思ってて。そこでそのブランドやってて。でも何だっけ、名前忘れちゃった。
―Henrik Vibskofのプレスエージェントあるじゃないですか。Stine Goyaとか。そこが集めてるブランド僕結構好きですね。Copenhagen, Berlinブランドが中心ですけど
Agentur Vじゃないっけ?
―そうそうそれです。そこが一番セールス的にも売れそうなものでクリエイティブなブランドを集めていますよね
きちんと集めてる。あそこは凄い。あとはうちのりえちゃんと行った時、CPHの学生のブースは良かった。
―僕の時は良くなかったですねぇ
この間行った時もすごいおかしくて、面白いのがあって、彼女がやり取りしてたんだけど、連絡がないって。
―僕のときはGaspard Yurkievichが審査員をしていました
展示会は前に比べると静かになった気がする。
続く