Interview

さとうかよ 5

餌を撒いてみたけど私はシリアスみたいな凄い良いバランスだなって思います。それをマイケルジャクソンの死で思いました

-女性的作品が多いと思いますが自身は女性的な感覚で作品作りをされていると思いますか

気にしたことはないですけど言われますね。多分感覚でしか作ってないんですけど感覚を滅茶苦茶信じてるんですよね。知識って定規みたいなものだと思っていて、感覚ってフリーハンドみたいなものでルールがない分自分の絶対が出るというかそれがいいなと思ってて。

-ぬいぐるみをモチーフにした作品が多いのはなぜですか

羨ましいからじゃないですかね。一個のぬいぐるみをずっと大事にしている子供がいて私はそうじゃなかったのでうらやましいんですよねそういうの。ぼろぼろになるまでずっと抱きしめてる子がいて。わたしが歯科助手してる時に受付してる子がずっとぬいぐるみを嗅いでたんですよ。そのぬいぐるみはぼろぼろでどこがなんだかわからないんですよ。目が1個しかなくて。でも熊かうさぎなんですけど薄汚れてて汚いのにずっとにおい嗅いでいてなんかそれ見て凄い悔しくなっ ちゃったんですよ。「きーーーー」と思って「私だって」って。

-CLASKAに展示しているぬいぐるみを繋げた作品はアート作品なんですか

アートですよ。結局動物ってずーーっといるとかじゃないじゃないですか。「わー可愛い」で終わりじゃないですか。それでいいなと思って。一瞬でいいんです。でも携帯で作品を撮る人がいるんですよね。作品と自分と。「ディズニーランドかい。なんでやー」と思って。凄い意味わからないなと思って。

-でもそうやって興味を示してくれることは嬉しいことじゃないんですか

それは嬉しかったんですけど、でもよそ見しながら触るんですよ。動物の鼻が曲がるくらい。あれはほんと嫌でしたね。なんかもう娼婦になった気持ちで。ほんとに傷ついたんですよね。怒ることも出来ないし悲しくて帰ることしか出来なかったんですよね。なんか遊ばれたみたいな。犯されたみたいな気持ちになって。 アートが消費に変わった瞬間だったんですよねそれが。びっくりしちゃってこんなことってあるんだと思って。みんな撮ってる時も消費だって思ったんですよね。なんか作品のパワーが減ってる気がしたんですよね。凄い込めてあーでもないこーでもないと少しのバランスで作った物をみんなが触ったり撮ったりするからなんか魂が減った気がして本当にパワーがないんですよ。作品出来上がった時ってもう「わー」って感じがして。私も自分でたまに作品をあけると「うわー」ってびっくりするくらいあるんですよね。だから私作品作り終わった時凄く寝るんですよ。疲れちゃったか魂抜けちゃったかわからないですけど2日間くらいずっと寝るんですよ。でやっと復活してまた作り始めるんですけど。本当にパワーをそれだけ使ったからくたびれてしょうがないのにそのパワーがなくなっちゃうんですよ。だからまた作り直すんですよ、帰ってきたら。売れなかった場合。パワーを注入してあげるんですよ。ちょっとずつ壊れるんで、あと作品すぐ飽きちゃうから作り直したりするんですよ。「新しいこと思いついた」って崩して中の抜いて違うのに作り変えたりして。その1個の状態である必要がないからそこでまた新しいものを思いついたらまた作ればいいと思っていてみんな全部が中間地点、というか終わりはないんですよ。ただ途中で作品が売れちゃうとそれはそれでさよならみたいな。死んじゃったみたいな感覚で。生きてる感じがしないです。

-一つの作品に対する思い入れは強いのですか

ないんですよ。作り終わったら興味がなくなっちゃうんですよ。ほんとわーっと作って、眠るくらいなんで終わってるんですよそこで。リセットしちゃってるん で。(完成した作品には)あんまり構わないんですよ。だからまたそれを崩すことも出来る。けど人がよそ見して触ってたら「えーーっ」て思いますよ。大事にしてた洋服ケチャップたくさんつけたみたいな、そんな気持ちなんで。(ぬいぐるみは)素材が素材だからしょうがないというか。そこは私狙ってたのに逆に駄目だったみたいな。色んな苦悩がありますよね。

-客観的に見て自分のスタイルはどう思いますか

多分最近思ったんですけどポップなんだろうなって。私凄いシリアスなのに他の人にはポップに見えてるんだろうなって。良かったとおもって。私は滅茶苦茶シリアスだから人はポップに見えてて良かったーって。

-自分ではわかりづらいものを作ってるつもりなのに、人から見たらわかりやすい物を作っているということですか

そうです。それってだから今私ここにいるんだろうなって思うんですよ。これでなんか奇怪な絵とか描いてたら誰も寄ってこないので。餌を撒いてみたけど私はシリアスみたいな凄い良いバランスだなって思います。それをマイケルジャクソンの死で思いました。

(ブログより)勘のいい人はすぐにわかるはずで忙しくて目が見えない人や心にシャッターが降りている人には何も分からないと思う始めて私の作品をみたひと はぜんぜん分からないと思う。あと、わかるとか、わからないとかじゃ無いんだと思う。そこでいえば、まだわたしも「解る」にはいたっていないとおもう。

そういうことです。自分の文章に救われることが多くて。本当にその通りなんですよ。みんな目見えてないんですよ。なんか見てないんですよ。ピカソ見たなんていっても見えてないんですよピカソなんて。阿修羅見たっていう勝手な概念というか「これを見た」ってみんな見てないんですよ。それって見たって言わない気がして、見た気がするくらいな気がして。見たってもっともっとなんか刺激受けないと見たじゃないと思っていて。なんか本当心がぶれるじゃないけど「はっ」みた いな、「見た!」みたいな感覚がないと見たじゃないと思っていて。覚えてないじゃないですか。これ何が入っていたとか味わったとかも絶対味わえないじゃないですか。なんかもっと自分の中で感じないと意味がない。でもそんなのわからなくてもいいけどわかる人は全然わかるしでも私もわかってないやと思 うし。

-自分の作品をどういう人に見てもらいたいと思いますか

パイオニアですね。各界のパイオニアにわかって欲しいですね。(みんなに理解してもらいたいという気持ちは)なくはないですけどそこを求めてもって。なんかもっと大御所と仕事がしたいんですよ。本当に自分の道を究めた人と仕事がしたいんですよ。その代わり私も道を究めるから、私の分野よくわからないけど私は私の出来ることを最大限やるからあなたの力を貸して、あなたの精一杯と私の精一杯ガチンコ勝負しませんか?って。なんかそれになりたい、それが夢ですね。

-影響を受けたアーティストはいますか

会いたい人はいますけどね。コーネリアスと何かしたいんですよね。高校生の時にずっと好きだったので。最近そういうリバイバルが良いなって思っていて。私はまだ自分が散らかってると思っています。あれやって、これやって、あれやってって。本当はどれかだけでいいんじゃないのかいって思っています。

-その本当にやりたいことは見えているんですか

それがアートなんですよ。

-アートの中でも何かというのは見えてるんですか

やりたいこと見えてるんですけど出来ないんですよまだ。力が無くて。もっとシェフとかいなきゃ出来ないんですよ。シェフとかいいレストランとか建築とか色んな物が揃わないと出来ないんですよ。でもいつかやります。でもその中で私がやることは一箇所なんですけど。でも全部をプロデュースしたいんですよね。それが出来たらもういいです。CLASKAの部屋を作った時に一回夢叶えちゃったんですけど

-CLASKAの部屋はブログによると精神と時の部屋をイメージされたそうですが

精神と時の部屋です。もう全部白く塗った時点で出来たんですよ完全に。「出来たー、きたーー」と思って。全部部屋を白く塗ったところで完全にフィニッシュしたんですけど人はこれを求めてないからしょうがないからここからスタートしなきゃいけないからどうしようかなと思って。壁紙の柄を書こうとしてその壁紙の柄をどうしようかなと思って自分で色々作っていったらあれ(かりん塔)になったんですけど。鏡を組み合わせたみたいな柄にしたんですけどかりん塔みたいになっちゃって。「あー到達してないってことね、まだやらなければいけないってことですか?(*精神と時の部屋はドラゴンボールの神様の宮殿内にある部屋で神様の宮殿はかりん塔の上に存在する)」みたいな。私はここレベル(かりん塔)ってことがわかって「まだまだ」って思って。

-では精神と時の部屋にはまたチャレンジしたいと

そうなんですよね。でも多分それ(実現するには)結構歳取らないと無理だと思っているので。真っ白に塗っただけで許されるなんて多分相当色んなことやらないと「あの人がやったこれだからいいのね」ってみんなわかってくれないと思うんですよ。書道の達人でもない人がいきなり一本線を書いて「これはいい線だ」って言ったって「はー?」って言うと思うんですよ。でも凄い書道の達人がいい線を一本書いて「これはいい線だ」って言ったらみんなが「おー!」っと言うと思うんですよ。なんかその差が多分必要なんだと思って世の中には。生きていく上でそういうのは必要なのかなと思って。邪魔くさいんですけど。でもやっぱ認められないと生きていけないというか、人って周りに人がいるから、人だから一人じゃ人になれないから社会にかかわるってそういうことなのかなって。今はそう思ってるんですけど(今後)変わるかもしれないですけど。

続く

兎に角

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