ヨーロッパからの新人たち展で日本の表舞台に登場しおよそ2年、日本を代表するブランドの一つに成長したwrittenafterwards。Japan Fashion Week公式スケジュールのトリを飾った09A/W Collectionで披露した服飾、美術系学校の卒業制作の過程で出る廃材を再利用して作られたコレクションは絶賛を浴びる意見だけでなく否定的な意見 も多く様々な議論を巻き起こした。デザイナー山縣氏がこのコレクションに込めた意味とは何だったのだろうか。コレクションの話だけでなく彼自身のファッ ションに対する熱い思いや彼がここのがっこうを開校した経緯、影響を受けたデザイナーなど多岐に渡る質問をぶつけてみた。
-今回廃材でコレクションを作ろうと思った経緯について教えてください
実は「廃材」ということが重要だったわけではなく、「変化」と「原点回帰」の2つが今回のコレクションのキーワードだったんです。その2つの大きなキーワードプラス今回はもう一人のデザイナーである玉井の卒業でもあったんです。
だから「卒業コレクション」というテーマにしようと思ってて、そこで「卒業」というキーワードを置いたんです。「卒業」というキーワードは「変化」と「原点回帰」、そのどちらも表現していると思うんです。「卒業」ということは変わるという節目であり、これから変わっていくんですよね。卒業コレクション= 「Graduate Fashion Show」がタイトルなんですけど、「Graduate Fashion Show」ってデザイナーからしてみればある意味物作りの原点なんですよね。GallianoにしてもChalayanにしてもMcQueenにしてもそうなんですけどそのデザイナーの原点を見たければ卒業コレクションを見ればいいって言われてて。だからそういう意味で物作りの原点的な意味合いも 「Graduate Fashion Show」という言葉はファッション業界にとっても特別な意味があるのかなと思ってて、卒業ショーをタイトルに入れたんです。
それに加え「Graduate Fashion Show」で「0点」のファッションショーということをやりたかったんです。通常はみんな「100点」を目指すじゃないですか。「100点」を目指すっていうのが既存の価値観として存在し、だけど決められた「100点」というレールが崩れて来ている部分もあると思うんです。それが「100点」じゃなくなっ てるというか、時代的にもリーマンショックとかがあってファッション自体もぐらついてる部分があると思うんです。そういったときにもしかしたら100点を 目指すんじゃなくて0点とかを逆の方向に行くというか変わるってとこなんですけどそういう方向に向かうことで何か答えが見つかるんじゃないかと思ってあえて0点のファッションショーをやってみたいなって思ったんです。
では0点を表現するには何だろうって思ったときに、ショーする2ヶ月くらい前に色んな学校に行ったんですけど専門学校で卒業制作を作ってて色んな廃材が出ますよね。そのある意味100点に慣れなかった廃材、物っていうものは「0点」ですよね。その「0点」の廃材を探そうと思って色んな学校行っていらなくなったものをもらって廃材を使ったんです。「0点」の素材をつかってコレクションをしたかったというか。
-「僕は0点」というストーリーはどこから来たのですか
最初に「0点ファッションショー」というのが頭の中にあったんです。それは0点をちゃんと伝えなければいけないなと思っていてその伝え方を考えていたんですけど、鳥取に帰る深夜バスの中で0点、0点てぼんやり考えていたら「0点君」というキャラクターが出て来たんですね。それでストーリーを考えたら次から次へと出来てきて。
-あのコレクションは山縣さんにとって洋服なのですか
洋服ですね。洋なのかはわからないですけどファッションであることは間違いないです。エッジですけどね。
-洋服=必ずしも着れる物という概念ではないということですか
僕の中ではあれでも着れるっていう物なんですよ。着れてる物と言うか実際にファッションショーで着れていますし。多分僕の中での着れると言う範囲は凄く広 いと思います。ストリートだけがファッションでもなければオートクチュールだけでもなければプレタだけでもなくて、色んなものがあってそれがファッション だと思うんですよ。
例えばランウェイ30秒歩けただけでも着れるという物であると思うし意味のある物になり得ると思ってて、実際あれが着れるか、あれが布じゃないから服じゃない、ファッションじゃないという議論というのは僕にとっては古いんですよ。その議論ってもう何10年前からされていて、でも今既に認められているデザイ ナーが必ず何かやってるんです、布以外で服作ることなんて。それはファッションの社会的に見ても布以外で何かを表現するというのは既に認知されていることで何かそこにも意味があるから色んなデザイナーがトライしていることなので。だからそれは別に僕の中で議論する必要も無いなって感覚があるんですよ。
やっぱり何かしらそこには意義があるからそんなデザインをやってるわけで実際僕の体験でもJohn Gallianoで働いていたのでですが彼って布以外でもやってたりするんですね。でも布でやっててもあれも着れるかっていったら限界地達してると思うんですよ。滅茶苦茶重くて、滅茶苦茶ウェスト締めていて。僕が手伝っていた5年位前のショーでもフィナーレで凄く大きい服があったんですけどそれが出なかったんですよ。それは幻の一体と呼ばれていたんですけど。それがなんでかというと重くてウエスト締めすぎてモデルが倒れちゃったんですよ、苦しくなっ て。ガリアーノのショーって極限のラインとか作るのでモデルも凄く苦しくなっちゃってランウェイに出たりするんです。そこまで極限なものをやってるんでいろんなエネルギーが集まって最後にあそこに辿り着くんですよ。だからモデルも命がけなんです。そこまでエネルギーを込めてファッションの何かを作ろうと しているんです。そこにはめちゃくちゃ感動があって、何か心を動かされるものがあって、間違いなくランウェイを歩いただけでも何かファッション的にも意味があるもので機能的なものがあるんです。ファッションのシステム上で。
例えば実際それが街で着れないから無しといったらそうでもなくて、それがショーの半年後とかにテレビ見てたらGwen Stefaniとかが着てるんですよ。プロモやライブとかで。やっぱりそれを見てこういうところで着るところがあるんだってなりますし、単純に街で着れるから、お店で売れるからってところ以上にファッションというものがあって、僕もそういう気持ちを持っているのでそういうことをやりたかったんで す。
-僕も先日某大学で講義をさせて頂いたんですけどその時にwrittenafterwardsのビデオを見せたんですね。というのは「こういうファッションの形もあるんだよ」っていうことを教えたかったというかファッションという枠組みに自分で制限を設けないで欲しかった。幅広い視点で ファッションを捉えて欲しいと思ったんですね。
僕の感覚ってあのショーを見るとファッションに対するアンチテーゼ的に見えるじゃないですか。でもあれは全然アンチじゃないんですよ、感情的には。いろんなファッションがあっていいと思っていて「あれはないよね」とかもあまり言いたくなくて。個人的にあまり好きじゃないのは勿論ありますけどそれもそんなになくて。けど何でああいうの作るかというと僕自体がそうなんですけど半社会人みたいな、ある意味普通になれなかった人、なりたくても、ちょっとアウトサイ ドの人達とか、アウトサイドのものに対して「いや、これも実はファッションじゃない」とか「これもありなんじゃない」っていうのを言いたくなるんです。だから僕のクリエーションは、極限言ったら「これもファッションなんじゃないか」って言うメッセージだと思うんですよ。
-あのショーを見て正直に「こんなことをやる人がいるんだな」って思ったんですよね。時代性もあると思うんですけどベーシックなものが増えファッ ションに夢を感じられるようなショーが凄く少なくなってきてると思うんですよ。それがあのショーをみて「やってくれたな」って思いました。
僕も夢を感じないとかそう感じていて、僕の世代って多分ファッションに夢を抱いた最後の世代だと思うんですよ。90年代に10代で見てきたマルタンマルジェラとかああいうデザイナーを見てきた最後の世代だと思うんです。やっぱり彼らって凄かったと思うんですよ。ファッションデザイナーが凄かった時代というか。その時代のデザイナーってファッションで何か変えようとしていたし、力があったし、夢があったんですよね。
だけど2000年を超えてからそれが全然感じなくなって来ていて、ファッションデザイナーっていう立場そのものが変わってきたなって思うんです。社会を牽引していた、先頭を行っていたファッションデザイナーが今ってもうシステムの一部に組み込まれてしまっていて。変な言い方ですがある意味「服作っていればいい」みたいなところまで落ちた気がするんですよね。システムの枠組みだけでやってるから、システムを作り上げて人間の人生そのものを作り上げるような昔のパワー、イメージじゃなくなってしまったなと思って。それに対してのちょっとしたあがきですよね。
-今回のコレクションで伝えたかったことはなんですか
「ファッションは楽しいんだ」とか「デザイナーってもっと自由になっていいんじゃない」とかですね。デザイナーは昔は自由を提案してたじゃないですか。 「これ着たら自由だ」、「こうやって生きたら女性は自由になるんだ」っていうのをChanelにしても提案していたんです。でも今のデザイナーってそうじゃなくて不自由なイメージがあるんですよ。ファッションというシステムに組み込まれて、年に2回コレクションやって貧乏でエコでもなくて不自由でがんじがらめみたいな。それじゃー他ジャンルにも影響与えないよねって思っていて。ファッション界のある程度のビジネスは出来るかもしれないけどファッショ ン全体のエネルギーは縮小していってるじゃないですか。なんかそれに対してちょっともどかしさを感じたんです。
-肯定的な意見だけでなく否定的な意見も多かったと思うのですがそういったことに関してはどうお考えですか
コアな部分では変わらないですけどやっぱり傷付きますね。なのにああいうことをやってしまうんですよ。やる前からそういった意見が出ることは覚悟していましたし周りからも怒られるとかそういう話は聞いていたんですけど。
-実際あの洋服?はどうやって製作したんですか。パターンもないですよね
ないですね。感覚と勢いでやっています。若干軽くぷちっと切れないと出来ないですね。理性的では出来ないです。
-作るものも決めてなかったということですか
決めてないですね。もとからこういうのを作るっていうのはないんですよ。その場にとりあえずガラクタ用意してそこにあったものを組み合わせていって。
-製作期間てどのくらいかかったんですか
1ヵ月半くらいだと思います。
-逆に洋服を作るより難しいのではないかとも思ったのですが
人によってはそうかもしれないですね。ああいう物作りを出来る人と出来ない人がいて僕は逆にああいうのが得意なんです。ショーの後に肯定的な意見の中には 「計算された美がある」とか「あれは普通の人には出来ない造形美だ」っていう意見もあったのですが自分はそれは全然狙ってなくて。
-ゴミ箱を作ろうとかはあったんですよね
そういうのはありました。ただ構築的な部分を計算的な物として捉えてる人もいるんです。でもそれは全然無いんですよ。なんとなく出来ちゃって2回目ファッションショーしたら全然形が変わってるとかそういうのもありますよね。終わった後にダンボールに入れたものをまたトルソーにかけると自分でも「やばいなこれ、いっちゃってるな」って思いました。
続く