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MASATO ASHIDA

蘆田 暢人

建築家
1975年 京都生まれ
京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了
内藤廣建築設計事務所を経て独立

蘆田暢人建築設計事務所 代表
ENERGY MEET 共同主宰

e-mail: mstashd@gmail.com
twitter: @masatoashida

デザインの時間

最近デザインにおける時間ということを考えさせられる機会が多いと感じています。

きっかけは、数年前に京都でとある建物を設計し、そのプロセスで考えたことや完成後改めて考えたことを建築関係の雑誌等に寄稿したときでした。
そのときは、京都という歴史ある都市につくられる建物のありかたを都市が持つ時間を手がかりに書きました。

その後震災があり、被災地であった東北の事例で言うと、50〜80年で繰り返される津波、1000年に一度の大地震という自然災害の周期に対して、建築あるいは都市がどうつくられるべきかということを、考え続けています。

また、先日「情熱大陸」でも取り上げられていましたが、山崎亮さんの活動、「コミュニティデザイン」ということは、それぞれのまち、集落が持つ時間をいかにコーディネートするかという、いわば地域の時間をデザインすることだと言えると思います。

「100000万年後の安全」といういま上映中の映画があります。

http://www.uplink.co.jp/100000/

フィンランドにある核廃棄物の最終処分場を題材にしたドキュメンタリー映画です。核廃棄物という人類にとって、数万年もの間危機となるものをどうやって後生にに伝えていくか、その葛藤が描かれています。言葉でなのか、グラフィックでなのか、どのような手段を使えば100000年後の人類に伝えられるか・・・。

その映画を見て思ったのは、人間が想像できる時間の範囲とは、自分を中心にして前後3世代くらいではないかということです。つまり、せいぜい200年程度でしょう。
その範囲を超えた時間に対しては、責任はとれない。そう考えると、当然責任をとれないモノはつくるべきではないと思います。

人は最大でも200年の時間しか想像できない。その200年の中で自分が作り出すモノがどの程度の時間生き続けるか、そこに想像力を働かせる必要があると思います。

今、時間を背負ったデザインがどれほど存在するでしょうか。

建築にもファッションにもプロダクトにも、それぞれ固有の時間があります。
そして、その中にもそれぞれデザインされるモノに授けられる時間があります。

また、そのモノがプレゼンテーションされるあり方にも時間の問題が現れます。
例えば、ファッションショー。
ショーとはそもそも一回性のものでしょう。それを例えばアーカイブ化、あるいは再現化する方法があるとすれば、そこに時間的な命題をどう組み込むのか。

モノのレベルで時間を意識的にデザインに組み込むこと。
それは、どのような分野であれディテールに顕れます。

かつて、ミース・ファン・デル・ローエという建築家は、「ディテールに神は宿る」と言いました。
ユニバーサル・スペースという、永続的で無時間的な空間をイメージしたミースならでは言葉だと思います。

まさにディテールには時間が宿るのです。

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