1月4日、アントニオ・ネグリのインタビュー「新しい民主主義へ」(朝日新聞に掲載)を読む。
その夕刻、メゾン・マルタン・マルジェラよりハッピー・ニュー・イヤーのメールが届く。
その深夜、昨年たいへんお世話になった方から新年のご挨拶を頂く。そこには初日の出の写真が添えられてあった。
その写真を眺めながら、僕はジミ・ヘンドリックスの『ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン』を聴いた。
それから数日後、しんしんと雪が降り続く山形の実家にてこの文章を書いている。少し長めにとった正月休みの最終日。
こうして穏やかに新しい年を迎えられたことに、まずは何よりも感謝したい。
遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
『ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン』は、27歳という若さでこの世を去ったジミ・ヘンドリックスの未完の作品です。彼が残したメモに基づくかたちで、レコーディング・エンジニアのエディ・クレイマーたちによって編集され、ヘンドリックスの死後から27年という月日が経った1997年にリリースされました。
アメリカのSF作家・ルイス・シャイナーの小説に、『グリンプス』(1993=1997)というものがあるのですが、そのなかで「幻のアルバム」としてこの作品が登場します。
この小説は、ステレオ修理を仕事とする主人公が、ビートルズの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」や、ビーチ・ボーイズの『スマイル』といった不完全なかたちで残された作品を過去に戻って完成させるというストーリー。
ヘンドリックスの同アルバムもその1つとして登場するわけです。
そこに、不慮の事故で急逝した父との間に残されてしまった過去の確執を修復しようとするストーリーが交錯していく。
『グリンプス』に登場する「幻のアルバム」のほとんどを、今では実際に聴くことができます。
ビートルズの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(フィル・スペクターのアレンジではないもの)は2003年に『レット・イット・ビー…ネイキッド』というかたちで、ビーチ・ボーイズの『スマイル』(ブライアン・ウィルソン名義ではないもの)は2011年にリリースされています。前述したように、『ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン』もそうですね。
ようするに、この小説のテーマである「実現されなかった過去の可能性の創造」といったものは、現実の世界において制作者の死後や解散後に残された関係者やファンたちの強い熱望によって次々と実現されていったわけです。
そう考えると何だか感慨深いものがあったりしますね。
さて、ファッション・デザインにおいて同じような試みをした人物としてマルタン・マルジェラの名を挙げることができるのではないでしょうか。マルジェラは昔の雑誌広告などを参考に、過去の時代の服をそのまま再現するシリーズ(たしか1994-1995AW頃)などをやっていたりするわけですが、そうした仕事のなかで僕がとくに気になるのは「アーティザナル・コレクション」と言われるものです。
「手仕事により、フォルムをつくり直した女性と男性のための服」と定義されるそれは、素材として使われる古着や服飾品あるいはオブジェなどの一度作り上げられた既存物に、衣服という「第二の人生」を与える。
そしてそれは、かつてそうだったフォルム(例えば、素材とされる手袋やネクタイあるいはトランプ)やそれらが使用されてきた時間の経過が「痕跡」としてはっきりと残されたまま繋ぎ合わされてできた、言うなれば「集合体としての衣服」です。
何だかうまく説明できませんでしたが、僕はそこに無数に内在する「実現されなかった過去の可能性」というものを感じ、妙に惹かれてしまったりするわけです。
1月4日付けの朝日新聞に、イタリアの政治哲学者であるアントニオ・ネグリのインタビューが掲載されてました。僕はそれを読み、彼がしばしば取り上げる「マルチチュード」という哲学的概念との関連から、マルジェラの仕事と多様性の時代についてしげしげと考えた正月休みでした。
ネグリの言う「マルチチュード」とは、「多様な個の群れ」を意味します。
皆さま、本年もどうぞよろしくお願いします。