PCや液晶テレビの中でアニメやウェブなどを見ていて感じたけれども、つい最近になるまでは「服」が一番身体や顔や印象に近いから”ファッション”なんて呼ばれるようになってしまっていて、なんか逆にファッションデザイナーなんてのよりは「服デザイナー」のほうが、しっくり来る感覚がした。
というよりは、日本語では「服飾」という言葉があって、ファッションというよりは服飾という感覚のほうがここ日本ではなにかしっくり来るのかもしれない。
「服飾デザイナー」なら、腑に落ちる。
以前とは違う現代で言うところの”ファッション”というのはウェブや情報の世界の影響もかなり大きい。
「服の中の世界」が服というものを支えていたのが恐らく20世紀後半ぐらいまでで、マルジェラがやっていた「服の言語でひっくり返して服を新しく作り直すファッション」みたいなメタ視点的な新鮮さは現代ではしばらくは無さそう。
2000年代前半のあたり、僕の狭い見識だけで考えてもMAARTEN BAASやMARCEL WONDERSなどミラノサローネとか盛り上がっていて、インテリアやプロダクトなどの”デザイン言語”的な世界をBLESSがファッションに融合させたりしてた。
ファッションとかアートなんていうのは、服だろうが絵だろうが、建築でもインテリアでも音楽でもウェブですらも、何にでも宿ってしまうんだなぁ。
結局、”ヒトの心”なんだろうか。
ぼくは結局「服の人」なんだなぁとあらためて思う。服、好きだし。
服とかファッションとかその他の世界を諦めたり否定するような意味ではなくて、
とりあえず「ファッション」というものは衣服の人たちが中心に引っぱっていくだけの世界ではなくなっているんだろうなと思う。
もしかしたら昔だってそうだったのかもしれない。
つらつらと思ったことを書いただけになってしまい別に結論とかは無いんだけれど
(というか自分の中での結論はやっぱり服を作ることによって出すしか無い)
現代というのはとても面白いなと、やはり思います。
すごい文明だよ。
なんだか色々と考えていたら頭が吹っ切れてきた。
楽しい事は、最強だ。
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