突然すぎる話なんだけれども、批評家が別の批評家を批評することって、けっこう近道なんだなと、思った。
あっというまにフィールドが出来上がる。
相手の言説を否定したりそれに応えるということが、間接的にその言説をより抽象化してくれる。
抽象化が進むと教科書になるので、やっぱり読みやすくなる。
事態は本来はとても複雑なんだけれども、シンプルに考えると僕の中では、
例えばデザイナーはやっぱり最終的に作るべきでそれで選択肢のうちの1つを生みだすべき存在だと思っているし、批評家も宣伝屋とか広告屋になってしまうのではなくて最終的には批評家として人々に選択肢と判断力を与えていく存在であるべきだと思う。
あまり上手いことは言えないけれども、何にしてもリスクのかかっている場所から生まれるものはどれもとても強いと、思う。