1月8日、渋谷のPARCOの中に比較的最近になり池尻大橋から移転してきた2.5Dにて、コタケさんを中心としたnuという以前から数回2.5Dで開催してきたトークショーイベントを久々にやることになり、突如参加してきました。(開催2日前くらいに急にお呼びがかかったw)
事後報告的なブログになりすみません。笑
というかそもそも東京に戻って来たばかりでその足で自宅に帰らずそのまま参加してきましたからね…
ちなみにコタケさんの右側に座っているのはBALMUNGのパーカーを最近着てくれているborutanext5(ぼくの中での通称ぼるたん)。
今回のイベントのイメージビジュアルも描いてる。
お?
おお?
フード眼鏡ツインテール少女が振り向いた。笑
この大きな服は懐かしき昔に作ったBALMUNGのパーカー…、いや懐かしい。
やっぱ今モンの服を着るのもいいけど昔の服を着るのもいいもんだなーと思います。
そんなぼくは最近ハマってよく履いてるのが「つかさ色の上履き」。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
この時の瞬間、坂部さんが喋ってるタイミングでみんな坂部さんをガン見してるんですけどトーク話題は2010年のハロウィンの時のぼくの服装の話………だからこの壁に映ってるVJ映像のぼるたんの落書き(彼女はこの日VJとしてその場でPC上で落書きしたものを映像で映し出してた)
映ってるのは塩りんごちゃん。
トークの内容はというと、色々とあったのですが、トークを後にしてぼくが大体にして思うのはやはり
服というかファッションというのはやっぱり身体性を一番根っこの部分に根拠としてエンジンとして動いていて、その身体性が置かれている環境というのが色となり感情となり動きとなりスピードを作っていたりすると思っています。
なので今現在でもすごいスピードで移り変わっているこの全て、特にファッションの辺りというのは”言葉”は後から付いていくことは出来たとしても言葉がファッションをリード(読んで字の如くLead(導く)でもある)するということは無いと思っている。
事実は歴史を作る(または改変される)が、歴史が事実を作るわけではないということなのかな。
もちろん補完的な働きはむしろ言葉のほうが大きいと思っていて、意味は言葉が作ると思ってる。
服でもって「意味」を作ったり探ったりしたいのであればそれは確かに言葉は特に大事になってくるとは思います。
“制御”はむしろ言葉なり記号が必要だと思います。
しかしファッションの本質的な部分(エンジンのようなもの、PCでいうOSのようなもの)はやはり「意味」ではないんですね。
宗教性な部分って、やっぱりローカルな要素から立ち上がってくるから”無機的な質”からは作ることはできないのでは。
なのでマーケティング的な意味合いでの言葉探しにはこの場合においてはあまりぼくにとって興味がありませんでした。
とまぁ、こんな感じです。
良い悪いの話ではなくてぼくの指向性として、言葉に落ちることのできない何か、のような抽象性にとても心を奪われてしまうんです。
トークで話していた”性”についての話も興味深かった。
進化論みたいな話にも通じる重要なポイントなのでは。
http://twitter.com/hachiBALMUNG