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Hachi / BALMUNG

Hachi / BALMUNG

「都市と人間との関係の中から触発され循環する過程である。
 都市と人間との関係の中から触発され生産された結果である。
 都市と人間との関係の中から触発され原動力とする探求である。
 都市と人間との関係の中から触発され積み重なる研究である。」

概念としての「灰色」を表現したい。

1984年生まれ福岡出身。高校過程で電子制御工学科、服飾学校で服作りを学んだ後、自身の服作りBALMUNGを始める。
2008年友人たちと空間展示会「dinner」を行ったことにより初めて服を発表する。
2010年にパリの展示会に初参加。
2011年にロンドンでインスタレーション発表。



→ http://www.balmung.jp

#wiki 19世紀 → ドイツ

インテリ→セレブ→ファッションデザイナー→マークジェイコブス→ユダヤ系アメリカ人→19世紀→ドイツ
と3日ぶりぐらいにwiki徘徊再開笑

ドイツ。んー、ドイツ。
半年ほど前、ちょうど2009年の9月。
CANDYのバイヤーとして同じくCANDYボスのゆうすけとSISTERボスのユミちゃんとぼくも一緒に3人でロンドンコレクションに行ってきたんです。
展示会、ショー、新しく見つけたデザイナーのお家、いろいろ行ったんですけど、この時ぼくだけ5日間くらいチケット期限が長かったので人生で初めてドイツに行ったんです。
それがぼくにとってのドイツの”体験”でした。

っていうかちなみにぼく、CANDYは一年前の09年の夏ぐらいでこっそり(ずるずる?)自分の服つくりの仕事に集中したいということや、自分の生活や環境や感覚を見直すためにお店での仕事はちょっとずつフェードアウトさせて頂いていて、周りの人から知られないうちにこっそりお仕事を辞めさせて頂いていたんです。

いまだに「CANDYで働かれてるんですよね?お店行っても会った事無いです」って言われることがあるんですけれど、もう働いてないんです。。笑
すいません。
でもその時のロンドンコレクションの時だけは久々にお仕事として行くことになったんです。あぁ、話ちぐはぐですね。

まぁ本題に戻り。

そう、ドイツ。ベルリン。
なんかいろいろありました。
ロンドンに比べるとぼくの印象だと鉄とガラスが多いなぁという感じ。(すげー大雑把すぎ)
まぁ、なんでかっていうときっと敗戦したし戦争でたくさん建物壊されたし、何よりベルリンの街はいわゆる東側だから、冷戦当時の色々もあるわけで。

だからずっと昔の建物が残ってるというよりは比較的ここ1世紀や半世紀内で建てられた建物とか多いはず。(完全な憶測ですみません)
でも家賃が安い街だと有名ですが、安い理由もこのあたりにあるみたいですよ。
郊内だと集合住宅以外の形式では住宅は基本的に存在しないらしいです。ほぼ全ての人が日本でいうアパートに住んでる状態。(らしい)

というかまたウィキペディア長過ぎたんでかなり一部だけの転載です。
それでも長い。でも読んでみるととても興味深いです。
読んでみると、なんでもドイツは”工芸”や技術っていうものを文化的かつ経済的に上手につきあえている国なんだろうなという印象です。
実際ぼくもベルリンの街歩いてて、ドアとか窓ガラスとかの細かいディテールや質感だけを見ても、ものすごく精巧で綺麗でシンプルでいてデザインされているんですよね。
金属系のディテールがこんなにも綺麗でハイクオリティな雰囲気を感じさせる街って面白いなと思いました。
金属などを扱う重工業がきっと根付いてる国なのかなと思いました。

日本だと道路工事とかよくやってるから、(地域によって違うだろうけど)道路はすごく綺麗な状態で保たれてますよね?アスファルト。
ああいう感じ。とにかくベルリンは金属周りのディテールがどれも綺麗で美しいものが多く、すごくデザインのレベルの高さを感じたんです。
おろそかにしてない。きっと税金の無駄遣いされてんじゃないかってぐらい必要以上に手がかけられていたように思います笑

途中で音楽の話で出てくるAlva Notoなんてのは友達であり服作りの仲間でもあるbodysong.のボディくんが大好きだそうで。巷で有名ラーメン二郎食べながらノト!ノト!ラスターノートん!ってよく言ってます。嘘
そんな僕はAlvaNotoはあまり聴いた事がない。。。。

さて、次は。。。。
面白そうなキーワード、次にどんなリンクに広がって行くんだろうと興味津々なキーワードがありすぎで困っちゃいますが、ぼくも好きそうな雰囲気の即物主義これいってみましょう。

勉強不足なぼくも、このwikipediaを見ながら勉強していきたいと思います。

ドイツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドイツ連邦共和国は、この項目へ転送されています。1949年から1990年までのドイツ連邦共和国については「西ドイツ」をご覧ください。
ドイツ連邦共和国
Bundesrepublik Deutschland

公用語 ドイツ語¹
首都 ベルリン
北緯 52度30分
東経 13度22分
最大の都市 ベルリン

ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、ドイツ語: Bundesrepublik Deutschland)、通称ドイツは、ヨーロッパ中部にある連邦制の共和国である。首都はベルリン。北はデンマーク、東はポーランド、チェコ、南はオーストリア、スイス、西はフランス、ルクセンブルク、ベルギー、オランダと国境を接する。また、北部は、北西側が北海、北東側はバルト海に面する。
領域は1990年のドイツ再統一によって、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)を構成していた15県および東ベルリンが6州としてドイツ連邦共和国に編入されて、現在の16州となった。2008年まで6年連続で世界最大の輸出額を誇る工業大国・輸出大国であり、アメリカ合衆国、日本、中華人民共和国に次いで世界第4位(為替レート換算値による)のGDPを誇る経済大国である。世界の先進7ヶ国(G7)の一つ。フランスと並ぶ欧州連合 (EU) の中核国である。

歴史 [編集]

(ドイツ再統一)
ドイツ連邦共和国
表・話・編・歴
現在のドイツを含む西ヨーロッパ地域に人類が居住を始めたのは石器などが発見された地層から約70万年前と考えられている。60万年から55万年前の地層ではハイデルベルク原人の化石が、4万年前の地層ではネアンデルタール人の化石が確認されている。新人は約35000年前から現れ、紀元前4000年頃の巨石文明を経て紀元前1800年頃までに青銅器文明に移行している。紀元前1000年頃にはケルト系民族によってドナウ川流域にハルシュタット文明と呼ばれる鉄器文明が栄えた。
紀元前58年から51年までのガイウス・ユリウス・カエサルのガリア遠征などを経てゲルマン人は傭兵や農民としてローマ帝国に溶け込んで行き、紀元後375年には西ゴート族の移動を初めとする大移動によって現在のヨーロッパに定着する。西ローマ帝国の滅亡後、ケルト系民族を北方に追いやったゲルマン人は各地に王国を建てたが、フランク王国が統一した。843年のヴェルダン条約によって三分割されたうちの1つである東フランク王国が現在のドイツの原型となった。
東フランク王国の国王オットー1世(ザクセン朝)は962年アウグストゥス(古代ローマ帝国皇帝の称号)を得て、いわゆる神聖ローマ帝国と呼ばれるゆるやかな連合体を形成した。しかし中世におけるドイツには国家としての統一や民族意識はほとんどなく、各地に領邦国家が分立した歴史は現在に続く連邦主義の基盤となっている。各領邦は近隣諸国に比べて弱体で、また宗教改革では新旧両教に分かれて互いに争ったため三十年戦争ではドイツのほとんど全土が徹底的に破壊された。1600万人いたドイツの人口が戦火によって600万人に減少したと言われる。それまで国名にドイツが冠されていなかったが、15世紀からは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation」と称し、対ドイツ搾取的な教皇サイドからの自立の姿勢を示した。1667年にザミュエル・フォン・プーフェンドルフ (de:Samuel von Pufendorf) が著した書ドイツ帝国憲法について (Über die Verfassung des deutschen Reiches) において初めて、ドイツ帝国という呼称が確定できる。
西南部のシュヴァーベン地方のホーエンツォレルン城一帯出身の東北部のプロイセン領邦君主ホーエンツォレルン家は17世紀半ばから勢力を拡大し、1701年にはプロイセン王国を形成した。ドイツ人はナポレオンによる侵略を経て民族意識と統一国家への志向を強め、19世紀前半にはプロイセンに主導的な役割を期待する機運が高まった。1806年まで神聖ローマ皇帝位を世襲していたオーストリア(その後はドイツ連邦議長国)は、ハンガリーやチェコなど非ドイツ人地域を多く領有するため、「大ドイツ主義」派(オーストリアから非ドイツ人地域を分離させたうえで統一ドイツの中心とする)にも与することができなかった。「小ドイツ主義」派のホーエンツォレルン家とオーストリアのハプスブルク家はドイツ統一の役割を争ったが、1871年、プロイセン国王ヴィルヘルム1世の戴冠によってドイツは、ドイツ系オーストリアを除く、小ドイツとしてのドイツ国(ドイツ帝国)として統一され、ベルリンを首都とした。
1918年、第一次世界大戦の敗北によってドイツは共和制に移行したが、ヴァイマル共和政は小党乱立により政局は不安定で、驚異的なインフレなど経て1931年には、アドルフ・ヒトラーの指導下で極右的民族主義やユダヤ人の排斥、再軍備を唱える国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)が選挙で国民からの支持を受け1933年に政権を握ると、ナチス・ドイツとなり、軍事力の増強や周辺諸国の併合などを行った。1939年9月に緊張関係にあった隣国ポーランドと開戦し、第二次世界大戦が始まった。
1945年、第二次世界大戦に敗北したドイツはオーデル・ナイセ線以東の、東プロイセンやシュレジェン地域を領土として完全に喪失。これにより、戦前の領土の25%を失うこととなった。さらにはアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の四カ国に分割占領され、1949年、ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ)とベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ)に分裂した。冷戦の時代を通じて東西ドイツは資本主義と共産主義が対立する最前線となったが、1989年ソビエト連邦のペレストロイカに端を発した東ドイツの民主化運動(東欧革命)をきっかけにベルリンの壁が崩壊し、翌1990年、再統一を達成し、再びベルリンを首都と定めた。以降、旧東ベルリンを中心とするベルリンの再開発・インフラ整備と、ボンからベルリンへの連邦政府機関移転による実質的な首都機能移転が順次進められ、2001年5月2日にベルリンへの首都機能移転が完了した。
ドイツは現在ではヨーロッパで最大の国家のひとつとなっているが、長期間の分裂を原因とする東西の経済格差がそれまでの順調な成長を妨げている。一方で、歴史的に統一されたドイツが周辺諸国に対して脅威となってきた問題を懸念する見方もあったが、反対に米ソによってドイツが冷戦後の強国の一つになることを容認されたとの分析もある。実際、統一ドイツはフランスと共に欧州連合の中核国として発言力を増し続けている。

宗教 [編集]
詳細は「ドイツの宗教」を参照
REMID(ドイツ語)の2006年の統計によると、キリスト教徒 (68%) のうち、プロテスタント (32.7%) 、カトリック (31.4%) で、イスラム教 (4.0%) 、ユダヤ教 (0.25%) 、無宗教もしくは無神論 (29.6%) 等となっている。
2007年現在、ドイツの全人口の30,2%、24,832千人がドイツ福音主義教会(EKD)の教会員である[6]。 ドイツ福音主義教会には22の州教会が加盟しており、常議員会議長がドイツ福音主義教会(EKD)を代表する。
教育 [編集]
詳細は「ドイツの教育」を参照
教育課程は初等教育4年、中等教育以降は職業人向けと高等教育向けの学校とに厳格に分けられている。いわゆる「マイスター制」である。12歳までは基礎学校(義務教育)で、子供の能力の見極めが重要になる。13歳から15歳では、就職のための専門的な職業教育が行われる。大学への進学を希望する場合は、ギムナジウムという進学校に進学し、大学進学に必要なアビトゥア資格の取得を目指す。日本においては、俗に「ドイツでは工業職人がマイスターと呼ばれ、尊敬を受けている」という話がまことしやかに語られているが、正確ではない。第二次世界大戦後の高度成長の過程においては確かに事実であったが、近年では多くの子供たちがギムナジウムに進学する傾向が見られ、これがドイツの財政(教育費)を圧迫する原因にもなっている。また、工業職人のイメージが強いマイスター制度だが、これも近年ではコンピュータ技術者といった従来のイメージとは異なる職種の学校が増えつつある。近年、国際化によりマイスター制度が先進工業の発展に寄与しなくなったことや、12歳で人生が決まってしまう学校制度に疑問が上がり、近年は義務教育からアビトゥア資格取得まで一貫した中等教育を行うシュタイナー学校や総合学校が広まっている。
大学においても近年変革の時期を迎えている。ドイツの大学はほぼ全てが州立大学で、基本的に学費は納める必要がない(ただし、州により学費徴収を行うケースもある)。しかし、近年の不況の影響を受け、大学は授業料を徴収するかどうか、検討を始めている。また、かつてのドイツは大学卒業した者はエリートコースを歩み、大学卒業資格は社会で相当に高い評価を得ていたと言える。しかし、近年における財政界からは、もっと柔軟な思考ができる学生が欲しいとの声が強まり、大学のカリキュラムも変革の時期を迎えている。
東西格差 [編集]

ドイツ統一後、旧西ドイツ資本の会社が旧東ドイツに進出したおかげで、東ドイツの失業率は高くなった。大学や会社のポストも西ドイツ出身者が占めるようになった。東ドイツ出身者が西ドイツで働くと差別を受けたりする。そのため、一部の東ドイツ出身者は、「東ドイツに戻りたい」と考えている。一部の西ドイツ出身者は、東ドイツの復興と支援に統一税が使われるのに不満を抱き、ベルリンの壁復活を望んでいる。
環境への取り組み [編集]

詳細は「ドイツの環境への取り組み」を参照
ドイツは世界的に環境保護先進国と呼ばれている。1994年、基本法第20条a項として「国は未来の世代に対する責任といる面においても生活基盤としての自然を保護するものとする」という条文が採用された。エコノミーとエコロジーは対立するものではない、大気、土壌、水質の保護は経済発展の前提条件とされた。背景には、国土が狭い上に、海岸線が短いため埋立地も十分に確保できず、その上、廃棄物の他国への越境移動が禁止されたため、自国内で処理せざるを得なくなったことである。環境保護に対する国民の意識が高まり、1998年に緑の党が連立政権参加した。
1986年 廃棄物発生防止・処理規正法
産業廃棄物等の発生源によって規制する規則
1991年6月 包装材廃棄物政令
1994年10月 「リサイクル経済促進・廃棄物無公害処分確保法」(廃棄物リサイクル促進法)
1996年10月 同法施行
製造業者の関与を深める法体系を作った
2002年1月 デポジット制の制定
環境にやさしくない素材のすべての容器包装廃棄物にデポジットが課される
現在では量り売り、デポジット制などの努力により、ごみの大幅な減量に成功している。ドイツのごみ排出量は日本の4分の1、特に包装物は10分の1である。こうした環境への姿勢が近隣諸国に影響を及ぼし、1994年12月にEUの包装材指令(2001年までに加盟各国で廃棄物リサイクル促進法を法制化することを求めるEU指令)がくだった。
ドイツは循環社会への転換を果たしているといわれている。ごみの排出回避、素材・エネルギーの再利用、環境に配慮した処理法、また「排出者責任」は企業責任と明確にしているなど、廃棄物が巡る経済を実現している。
DSD [編集]
Duales System Deutschlandの略で、1991年にドイツの企業が協力して設立した、プラスチック、缶、ビン、紙などを回収・リサイクルする組織。国内に195の分別工場を有し、現在17500企業が払う20億ユーロのライセンス料で共同処理を行っている。ここからリサイクルされたものを使用した商品は、グリューネプンクトが表示され、販売価格にリサイクル価格が上乗せされる。この制度をデュアルシステムという。デュアルシステムはドイツを手本にEU圏内で広がっている。
フリーライダーの存在、コストの問題、普通ごみの混入など課題もある。
文化 [編集]

詳細は「ドイツの文化」を参照
文学 [編集]
詳細は「ドイツ文学」を参照
哲学 [編集]
詳細は「ドイツの哲学」を参照
超越論的哲学:カント
ドイツ観念論:ヘーゲル、フィヒテ、シェリング
生の哲学:ショーペンハウアー、ニーチェ
現象学:フッサール、ハイデガー
解釈学:ディルタイ、ガダマー
フランクフルト学派:ホルクハイマー、アドルノ、ハーバーマス
その他ルター、マルクス、ライプニッツなど哲学者名を参照。
音楽 [編集]
詳細は「ドイツの音楽」を参照

ベートーヴェン
ドイツは同じドイツ語圏のオーストリアと共にヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、ヨハネス・ブラームスの「ドイツ三大B」を初めとする、クラシック音楽史上に名を残す作曲家や演奏家を多数輩出している。ベルリン・フィルをはじめとする世界クラスのオーケストラや音楽祭も多い。文学と同じくオーストリアと併せた括りで(相互の移動や各時代における国民意識など分離して考えることが困難なため)世界最大のクラシック音楽大国とされている。 オペラ、コンサート、演劇への関心も強く、ある程度の規模の街には国立ないし州立の劇場、オーケストラがおかれている。各地の放送局が所有しているオーケストラも総じてレベルが高い。
ポピュラー音楽については、1979年、ジンギスカンの『Dschinghis Khan(ジンギスカン)』『めざせモスクワ(Moskau)』や、1980年代にNENA(ネーナ)がアメリカ合衆国などでもヒットさせた『99 Luftballons』(ロックバルーンは99)などが知られている。
また最近では、旧・東ドイツの都市ライプツィヒの聖トーマス教会の少年合唱団出身者などにより結成されたDie Prinzen(ディー・プリンツェン)が、2002年のサッカー「FIFAワールドカップ日韓大会」で活躍し、最優秀選手に選出されたドイツ代表のゴールキーパーであるオリバー・カーンをモチーフにした曲『OLLI KAHN』が話題を呼ぶ。
ロック音楽では、主なミュージシャンとしてプログレッシヴ・ロックのタンジェリン・ドリーム、テクノの元祖クラフトヴェルク、 ハード・ロックのスコーピオンズ、マイケル・シェンカー・グループ、フェア・ウォーニング、ヘヴィ・メタルのアクセプト、ハロウィン、ガンマ・レイ、ブラインド・ガーディアン、レイジ、プライマル・フィア、ラムシュタインなどの名が挙げられる。
テクノやトランスなどのクラブ系音楽では、野外レイヴ『ラブパレード』や屋内レイヴ『MAYDAY』が開催されるなど、ドイツ国内に広く普及している。テクノではベルリンのトレゾアやケルンのコンパクトなど優良なレーベルも多く、世界中から数多くのアーティストが曲をリリースしている。トランスの分野では、東ベルリン出身のDJ・Paul van Dykが「DJ Magazine」誌の人気投票で1位を獲得しているほか、EU(欧州委員会)よりヨーロピアン・ボーダーブレーカーズ賞[7]を受賞した“Cascada”[8]をはじめ、“Baracuda”“Groove Coverage”など国内外で活躍するドイツ人アーティストも多い[9][10]。
電子音楽、エレクトロニカ、サウンドアートなども盛んであり、坂本龍一とのコラボレーションでも知られるAlva Notoが主催するレーベルRaster-Notonなど注目度が高い。
美術 [編集]
ドイツ・ロマン派のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、フィリップ・オットー・ルンゲなどの画家名やドイツ表現主義などの項目を参照。
第一次世界大戦中から戦後、ドイツは表現主義や新即物主義を生み出し、デザインや建築でもバウハウスを中心に革新的な動きを起こした。バウハウスに集ったヴァルター・グロピウス、ハンネスマイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ、ヨハネス・イッテン、ピエト・モンドリアン、ヴァシリー・カンディンスキー、モホリ・ナギといった美術家・建築家らは、合理主義・表現主義・構成主義といった美術観・建築観に基づくデザインを生み出し、今日のデザイン分野への影響は甚大である。
しかし既存のロマン派的流れを汲む美術団体との軋轢、およびナチスの「退廃芸術」排除の政策から、主だった美術家・建築家はアメリカ合衆国などに移民し、ドイツの芸術は壊滅的打撃を受けた。
1960年代以降、フルクサスやヨーゼフ・ボイス、アンゼルム・キーファー、ゲルハルト・リヒターなど、世界に影響を与える芸術家が多数登場し、ドイツの美術・建築・デザインは再び世界的存在感を高めている。

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