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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
ファッションの批評誌『fashionista』編集委員。
京都にある某ファッション系研究機関でキュレーター。
e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
http://twitter.com/ihsorihadihsa

『fashionista』の情報は↓
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ファッションと「物語」 その2

前回に引き続き、今回も「物語」について。

以前の記事で、モダンとポストモダンという概念について少し触れました。哲学者のジャン=フランソワ・リオタール(1924〜1998)によれば、ポストモダンとは「大きな物語」が凋落し、「小さな物語」がひしめく時代だとされます。

この「大きな物語」とは、皆がこうあるべきだ、こういうものだと信じている価値観やイデオロギーのことです。リオタール自身は大きな物語の例としてマルクス主義などを挙げているのですが、もっと身近な例で言えば、「男は一家の長として一生懸命働くべきだ」といったような価値観などが挙げられるでしょうか。しかし、こうした考えはポストモダンの時代においては、皆が共有しているわけではありません。その代わりに、主夫やフリーターといった多様なあり方(=小さな物語)が認められるようになったと言えます。

さて、この「大きな物語」に相当するものをファッションにおいて考えると、「ファッションは美しいものだ」という価値観を挙げることができるでしょう。1960年代にストリート・ファッションが隆盛するまで、パリのオート・クチュールを中心としたファッションの世界では流行によるシルエットやスタイルの変化はあれど、そのような考えが共有されていたように思われます。しかし、パンクやヒッピーといったストリート・ファッションによって、そうした神話が崩れ始め、ポストモダンに突入したと見ることもできます(*1)。

批評家・哲学者の東浩紀はオタク文化を分析した『動物化するポストモダン』においてこうしたポストモダンをデータベース的な世界だと捉え、前回触れた物語消費からデータベース消費への移行を語ります(*2)。東はオタク文化におけるデータベース的なものの例として萌え要素を挙げているのですが、この萌え要素は、アクセサリー(たとえばネコミミ、メガネ)や衣服(メイド服やナース服)、あるいはヘアスタイル(アホ毛や触覚、ツインテール)など少なからぬ割合でいわゆるファッションの範疇に入るものがあることはとても示唆的です。

このことは、データベースという概念はそもそもファッションと親和性が高いことと関係があるのではないでしょうか。実は、ファッションというものは元来データベース的なものと言えます。シャツを例に挙げてみれば、襟の形や袖の長さ、あるいはボタンの有無など、様々なディテールのデータベースがあり、そこから組み合わせを作ることによって、一枚のシャツが作られます。

アイテムのレヴェルだけでなく、スタイルのレヴェルでも同様です。たとえば、パンクのスタイルは安全ピンやスタッズ、ツンツンヘア(これは正式な呼び名があるのでしょうか?)など、衣服に用いられるもののデータベースの中から抽出して再構成したものです。

前回、物語について書いた記事を読んで、「いまさら物語?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、原則的に衣服それ自体が物語を持たず、データベース的なものとして考えられることを踏まえれば、いまファッションにおいて物語が重要性を持ちうることを理解してもらえるのではないでしょうか。

そう考えるならば、いかに衣服に巧妙に物語を組み込んでいるか、それが現代のファッションにおいてひとつの批評基準になり得るように思います。こう書くと、「それでも衣服それ自体が大事だ」という反論を持つ人もいるでしょう。しかし、衣服それ自体のみで勝負ができるのであれば、ショーや写真といった、衣服にイメージや物語を付与するメディアを用いていることの言い訳ができないはずです。

ここでいう「物語」は単純な「お話」以上のニュアンスを含めています。つまり、制作に用いる技法・技術(×××という○○地方に伝わる技法を用いて〜〜、とか)や特殊な素材、あるいは写真や映像によるコンセプトの表出など、さまざまなレヴェルのものを含めて「物語」と総称しています。

いかに「物語」を創出するか。これはファストファッションと差異化を図るためにも必要です。ファストファッションは、すぐれてデータベース的なものであり、物語が生み出されることがあまりないように思われます(*3)。僕自身、必ずしもファストファッションを否定的に捉えているわけではありませんが、デザイナーが今後生き残るためには、ファストファッションとどう違うのかを提示していかねばなりません。その答えのひとつが「物語」だと考えられるのではないでしょうか。

(*1)あくまでこれはリオタールの思想をファッションに適用した場合の見方です。もっといえば、リオタール自身も単純にモダンの後にポストモダンが来るとは考えていないため、本来はもっと複雑です。

(*2)このあたりの「物語」と「データベース」の関係については、たとえば宇野常寛『ゼロ年代の想像力』など、議論を拾っていくと、こちらも複雑になるのですが、ここでは詳しく触れません。

(*3)ないわけではないのですが、今のところは「モデルの○○ちゃんも着ている!」のように型にはまった物語しか作られていないように感じます。

5 Responses to “ファッションと「物語」 その2”

  1. とても分かりやすかったです。さすが蘆田さん。宇野さんや東さんの名前が挙がっていましたが、9日のパルコの座談会では黒瀬さんもいらっしゃいますし、ゼロ年代のアート、CL、「物語」、そして現在のファッション、ファストファッション、 etc..というあたりが当日のトークのキーワードになってくるんでしょうか。楽しみです。 :D

  2. shoko ikebe より:

    こんにちは。
    時々CHANGE見ていたのですが、蘆田さんブログを書いていたなんて。今頃気付きました。
    今まで書かれた記事、ざっと読ませていただきました。とてもおもしろいです!造形大の授業でもこのような内容を講義されているのでしょうか?
    聴講しにいこうかしら。。
    今後もブログたのしみにしています。

  3. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    >大久保さま
    お褒めいただき光栄です。
    ご指摘の通り、黒瀬さんと話をつなげるためには東さんたちの議論とファッションがどう関わるのか(あるいは関わらないのか)を考えておく必要があると思いまして。
    キーワードもだいたい大久保さんが仰る通りです。あとはアーキテクチャやアニメといったところでしょうか。

    >shoko ikebeさま
    ご無沙汰しております。
    ブログをお読みくださりありがとうございました。
    授業でも後期はこんな感じのことを話したりしています。前期は単純に歴史ばっかりですが。。。

  4. language carine より:

    とても興味深いです。
    物語性の議論とはすこしはずれますが、
    ファッションが他のメディアを必要としていること、その意味について個人的にいろいろと考えることがありました。
    先日お話のマルチメディアでのdiscours研究はまさにこのような現象を対象としているのですが、
    他のメディアと交錯するからこそ、ファッションがそれ自身が内包する意味は何か、という疑問がわいてきます。

    毎回とても楽しみにしています。

  5. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    ありがとうございます。

    現在増えつつあるショーのネット配信や映像でのプレゼンテーションなど、時代とともに変容するメディアが今後ファッションとどう関連していくかというのも重要な問題だと思います。

    「ファッションがそれ自身が内包する意味は何か」、これは本当に難しい問題ですよね。少なくとも個人で答えが出せるようなものではありませんし、language carineさんをはじめ、色々な方が多様な観点からのファッション論を展開してくださることを期待します。