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HIROSHI ASHIDA

蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida

1978年、京都生まれ。 京都大学大学院博士課程研究指導認定退学。
ファッションの批評誌『fashionista』編集委員。
京都にある某ファッション系研究機関でキュレーター。
e-mail: ashidahiroshi ★ gmail.com(★を@に)
http://twitter.com/ihsorihadihsa

『fashionista』の情報は↓
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『けいおん!』と縞とミ・パルティ

「次回は物語について書きます」と宣言したのにもかかわらず、いまひとつうまくまとまらないので、とりあえず『けいおん!』(アニメ)の話をすることにします。

『けいおん!』というアニメは、女子校の軽音部に所属する4人の女の子が繰りひろげるコメディです(途中で一人部員が増えますが、それは置いておきます)。このアニメは、メインキャラクターの4人が学校という社会において「疎外」されていることがひとつの特徴だといえます。メインの4人以外の主な登場人物は、主人公である平沢唯の妹の平沢憂(うい)、幼なじみの真鍋和(のどか)、そして顧問の山中さわ子。興味深いことに、メインキャラクターが学校(=社会)と関わりを持つ際には、ほとんど常に生徒会役員の真鍋和を媒介します。つまり、真鍋和というメディアを通じてのみ、軽音部の4人は学校という社会と関わるのです。

実は、この社会から疎外された4人の状況が、ED(エンディング)で「衣服」を用いて象徴的にあらわされています。

見たことがない方はここで見てみてください。


4人が共通して身に着けている柄があるのがわかるでしょうか。

答えは縞模様です。

実は、この縞模様というものはとても面白い歴史を持っています。

『悪魔の布──縞模様の歴史』という本を書いたミシェル・パストゥローが言うには、もともと縞模様を身につけた人物は社会秩序の外部に置かれていたのです。たとえば罪人、病人、低級あるいは不名誉な職業といった理由で。さらにパストゥローが述べているのは、縞模様が音楽家の衣服でもあったということです(音楽家も社会の周縁に位置づけられてきたと彼は言います)。衣服は様々な機能を持っていますが、そのなかには社会的な機能(アイデンティティや権力の表示など)もあります。そしてこの縞模様という柄ひとつだけで、彼女たちが社会(学校)から疎外されていることを示すことができるのです。

そしてもうひとつ。キーボードの琴吹紬に着目すると、彼女の衣服は《ミ・パルティ》と呼ばれるものでもあります。《ミ・パルティ》とは身頃の中央で色分け(あるいは柄分け)された衣服のことで、これもやはり宮廷の道化や奉公人など、社会的に地位の低い人が身につけていたものです(*1)。メインキャラクターの4人のなかで、主人公の平沢唯は真鍋和という幼なじみがおり、田井中律と秋山澪は幼なじみ(*2)です。つまり、琴吹紬はこのなかでももっとも孤立した存在として描かれています。それがミ・パルティ+縞模様という最強コンビであらわされていると考えることができるのです。

と、服飾史的にアニメを見ることもできるんですよ、という話で時間稼ぎをして、次回こそ「物語」について書きたいと思います。

(*1)たとえば、リュック・ベッソン『ジャンヌ・ダルク』では城の衛兵が着ているのを見ることができます。

(*2)秋山澪はさらに、真鍋和とも仲良くなります。

6 Responses to “『けいおん!』と縞とミ・パルティ”

  1. ザキヤマ より:

     かつての、社会から疎外されていた人々は、自らの意志で服を選ぶことができなかったということでしょうか。彼らに上流階級達が縞をシンボルとしてわざわざ与えていたということでしょうか。ミシェルパストゥロー読んでみます!!

  2. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    罪人たちほどでなくとも、近代以前はそもそも服装の自由はありませんでした。フランスの場合であれば、自分が着たい服を着ることができるようになったのはフランス革命以降です。

    縞は単純に柄として目立つので、特定の人々のマーキングに便利だったんでしょうね。
    パストゥローの本は読み物としても面白いと思うので、是非読んでみてください。

  3. KING.J より:

    とても興味深いです。
    縞模様をファッションに取り入れること=疎外を能動的に行い、個性へと変換するのは常套手段ですね。
    しかし、けいおん!の場合、まずは音楽のなかでどう縞模様が扱われてきたか、というのを先に論じるべきではないかと思います。(音楽が一応テーマのアニメですからね)
    ちょっと間にあるものをいっぱい飛ばしすぎている感じがします。

  4. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    >KING.Jさま

    コメントありがとうございます。

    「間にあるものをいっぱい飛ばしすぎている感じがします」というのは仰る通りで、反論の余地もありません。ですが、このブログは論文ではないので、ある程度あいだを飛ばすのは仕方がないことだと思っています。
    万一、今回のネタを論文にするようなことがあれば(ないと思いますが)、その際にはもっと論理展開を明快にしなければいけませんが、今回の記事に関しては、アニメにおけるファッション論のひとつの可能性の提示くらいに思っていただければ幸いです。

    ただし、「音楽が一応テーマのアニメ」だから「音楽のなかでどう縞模様が扱われてきたか、というのを先に論じるべき」というご意見には、完全には賛同しかねます(もちろん、それもひとつの方法ではありますが)。
    ここで主に言いたかったのは、唯たち4人の疎外された状況が縞模様に象徴的に表されているということであって、(音楽家と縞模様の関係もあるとはいえ、)彼女たちが音楽をやっていることは副次的なものです。
    ある作品が何かしらのテーマを持っていたとしても、そのテーマから離れたところに作品の意義や価値を見出すことは何ら不自然ではないと思いますがいかがでしょうか。

  5. KING.J より:

    「彼女たちが音楽をやっていることは副次的なものです。
    ある作品が何かしらのテーマを持っていたとしても、そのテーマから離れたところに作品の意義や価値を見出すことは何ら不自然ではない」

    全くその通りだと思います。明解な返答、ありがとうございます。目先のもの(タイトルや明示されているもの)だけにとらわれることなく、その奥、先を読んで楽しんでみたいと思います。

  6. 蘆田 裕史 / Hiroshi Ashida より:

    ご返信ありがとうございます。

    今回はアニメの話でしたが、作品に重層的な意味/意義を創り出す、あるいは見出すことは今のファッションにも必要だと個人的には思っています。
    それがファストファッションとの差異化を図る方法の一つになり得るはずなので。