”ギャラリーで生の作品を見ると、作家の息吹や視点が生で伝わってくる。美術品だからよしとしている部分がある。それに負けない服。洋服だからっていう既成概念を壊してくれる服。美術館にその作品の隣に服を置いても伝わる服”
→spoken words project 飛田正浩 〜ファッションの純度を高めるという事〜 1/6
→spoken words project 飛田正浩 〜ファッションの純度を高めるという事〜 2/6
→spoken words project 飛田正浩 〜ファッションの純度を高めるという事〜 3/6
—制作過程で考え方の違いなどはありますか?
手作業でいいもの作ったりする初期衝動は自己満足なんですけど、パーマネントはどうしたら気に入ってもらえるだろうって考えるわけですよ。初期の次のステップがある。それでコレクションを見返してみたら、これ自己満足すぎないって振り返る。売れるってなんだろとよく考えるんです。コレクションラインで自己満足を突き詰めて、良い物ができたのだから、売れるだろうって。でも実際には思う様に売れなくて、パーマネントで売れているのを見ているとはたと気がつくことがあるんです。
でもコレクションラインは辞めちゃいけないし、僕の生命線。コレクションラインがあるからパーマネントラインがあるわけだし、それこそ“ぴゃるこ”や“Lamp harajuku”“デスペラード”ではコレクションじゃないと売れない。双方でいい塩梅がとれているんだと思います。多分ここまで聞いてもらうとわかると思うんですけど、作るのは好きなんだけど、売ったり、アーカイブをするのが苦手で。良くも悪くもね。そこを自分で反省して、修正してビジネスが広がってきているんです。これから先は自社工場を持ちたいなって想いもあって。もちろん今お世話になっている工場さんはあるし、仲良くやっているけど。このアトリエでわっせわっせしている雰囲気を広げたいんですよね。
後まったく話がかわるのだけど、僕の服がUNITED ARROWSに並んだ時、ウィンドウに飾ってくれたんですが、そこで自分の作った服を見た時美術館にいって他人の作品を見る感覚に感じられた。僕の服が作品に見えて。未熟だけどそのウインドウが確立されたステージだったので、その未熟が作品に見えた。美術館にいって絵を見るのと同じ感覚で服を見てほしい。10万のコート、10万の絵、10万のソファーを悩む状況があってもいいんじゃないか、
アートかファッションか家具かで悩んでもいいと思う。
―美術館で絵を見る感覚というのは?
ギャラリーで生の作品を見ると、作家の息吹や視点が生で伝わってくる。美術品だからよしとしている部分がある。それに負けない服。洋服だからっていう既成概念を壊してくれる服。今、それをかなえてくれるのが、アトリエでの手作業で。美術館にその作品の隣に服を置いても伝わる服。コンセプトとか手作りがいいのか工場がいいのかとかタブーとか生と死とか、アートだったらバケツの血はアートだけど、血が服についたらどうなるのだろうとか。
アートはそういったものに対して自由で自己責任で訴えかけているけど、それにどれくらい服として入り込んでいけるのか。そういったものを自分でやる事ができるのか。
でも自分でやっていてもちゃんとお客さんに伝わるかは分からないですが。とにかくもっと服が自由であってほしいと思います。
—そういう意見は確かにあり、興味もあるのですが、なかなか実現しないですね。(“Future Beauty 日本ファッションの未来性 展覧会”の開催前にインタビュー)
でもこれからなんじゃないかなと。いろいろな問題があって戦後は便利さを追求していて、それがある程度いったところに、便利ってなんだろって問いが続いていて。いろいろなところに多様性が出てきているし、生活ってものにたいして?マークが出てきているから
洋服ってなんだろって考えた時に良い意味で考えすぎちゃう人が出てきても良いと思う。
お洒落や流行やお金だけで「チャオ」とか言っている業界人が分かってくれないかなって。笑
業界人としてアパレルを傍観して成功している人もいる。でも僕らなんかは絵筆を待ってしまう。プロデューサーじゃなくて自分でギター持っちゃう人。自分で持ったら何枚も売るんじゃなくて、自分にできる事をやろうかと考えるわけですよね。そこでジレンマも生まれますが。
そのジレンマをクリアーして物を売る。作っている人達は極端に言えば自分の血を塗りたくって作っているんですよ。でも現代美術でも、世の中に騒音やノイズやそよ風を吹かせている、話題になっている作品というのは、作って終わりではなくてコミットする努力もしている。そしてコミットすればする程、作品が成立していく。それがオリジナルの流通を作る。美大で作品作っている仲間も、いっぱいいるけど自分の聖なる世界って手をつけてほしくないって人が多くて・・・。共感して欲しいなら多くの人にコミットするという努力をしなきゃだめじゃん。作って終わりじゃなくて、ノイズやそよ風をふかせる努力までして初めて作品なんじゃないのと思う訳です。
作っている人も本気にならないといけないし、作っている人にももっと興味をもって欲しいです。
面識はないですが、keisuke kandaの神田啓介さんなんか自分の恥部の裏側まで見せていますよね。ああいう世界がもっとあっていいと思います。ネガティブな部分を見せて共感させる、グロテスクなところでさえ見せていく、そうしたこと実践していく事で洋服にも佇まいやストーリーを感じることができるようになると思います。
—今のお話を聞いて思ったのですが、例えば現代アートの世界では村上隆さんは欧米にコミットした人ですよね。ファッションも西洋の支配力が強いですが、飛田さん自身そこにコミットすべきだと思いますか?
コミットしたいです。するべきです。
実は学生時代、立川のアトリエのバイトで村上隆さんの作品作ったりしたんですよね。今とは違い村上さんが売れる前ですが。村上さんに直接どうこうではないけれど、動向は気になります。ツイッターでもフォローしています。悪口的な言葉と戦っている感じですが。
人のウェットな感覚ですよねああいうのは。出る杭はうたれるというか。村上さんなんか非常に日本にはがっかりしているんじゃないかな。日本には現代美術で食ってる人なんてほとんどいないし、食ってる人はギャラリーがついていたりと一握りだし、マーケットもまだ確立していない。
実際僕も向こうでいきなり仕事をしてみたいと考えます。