Interview

S.NAKABA ~Wearable sculpture~ 4/4

3.11をきっかけに、これからは本当に日本を何とかしなければと思うようになりました。腹をくくって今の日本でしか作れないものをという思いが強くあります

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―今はSHOPをされていませんが、今後やっていくということも考えていますか?

そろそろ時期はきているのかなと。それはやはり3.11の影響が強くて。震災当時は日本でこれからモノつくりができるのかという事も考えましたから。マサチューセッツの友達もこっちに来れば?と誘ってくれましたが、拠点を移すのはそう簡単ではないですからね。小さな子供がいればもう少し考えたかもしれませんけれど。 ただ3.11をきっかけに、これからは本当に日本を何とかしなければと思うようになりましたね。腹をくくって今の日本でしか作れないものをという思いが強くあります。そうした中でSHOPというのは1つの拠点になりますし、S.NAKABAの作品や世界観をいつでもお客様に見て頂ける場所はほしいなと考えるようになってきました。でもファッションの世界にも日本を盛り上げようとする雰囲気はあるでしょう?

―何の根拠も無い主観的な意見ですが、若い世代は3.11を特に意識してモノを作るということはしていないと思います。やれることをやるというというスタンスが多いかなと。個人的には3.11をきっかけに人々の考え方が変わることでファッションも転換期をむかえるかなと漠然と思いましたが。その変化はこれからのことかもしれないですけれど。

地震が引き金とはいえ、侵略されたわけでもないのに自ら日本の一部を失い、汚染してしまった、こんな状況を作ったということが歴史上ありえるのかというくらいの出来事ですからね。戦争でも10年20年すれば復興して取り返すことができますけれど福島の一部は数百年以上かかってももう元には戻らないし、これを体験したということを心に刻んで,その事を忘れるのではなく、きっかけにするしかないと思いますね。僕は土砂を運ぶようなボランティアは出来ないかも知れませんが、自分のするべき事を夢中ですることが巡り巡って日本が元気になる事に繋がるのではないかと考えています。

―3.11によって作品に変化はありましたか?

僕の作品には自然の植物等を直に使ったものが多くあって、例えば山で拾ってきた葉や枝をエポキシ樹脂で固めてジュエリーを作っていたりしたのですが、やはりそれはやめようと思いましたね。今までの空気や環境で育ってきたものとは別のものに見えてしまって。決別と言うわけではないですけれど、自然の植物を直にジュエリーにするという方法は避けなければと。2010年の個展では自然の葉っぱをメインで使用していたので。実物を直接使うというおもしろさと新鮮さはありましたけれど、それは捨てなければいけないなと思っています。それでも決して自然を否定するわけではなく、もっと違った方法で自然の本質的な美しさや重要性を表現しなければいけないと思っています。 実は9.11のときも僕はマンハッタンにいて。目の前でそれを見てその空気を体験しました。あの時もやはり次の時代の価値観を伝える様なジュエリーを広めていかなければと思ったのですが。

―それはJulie Artisans’ Gallery (N.Y)と関係しているのでしょうか?

初めてN.Yに僕の作品を取り扱ってくれるギャラリーを探しに行ったのがそのときでした。ソーホーやチェルシー、ブルックリン等N.Y中のギャラリーを全部見てまわってもジュエリーをアートとして取り扱うギャラリーは見つからなくて、がっかりして諦めて帰ろうとしていた前日が11日でした。それで9.11が起きて帰れなくなって。それで10日ほど延長して滞在することになってしまったわけですが、その滞在期間中にセントラルパークで話した人がマジソン・アヴェニューへ行けと言っていたことを、ふっと思い出して。マジソン・アヴェニューというのは前の時代の場所として無視していたのですけれど、物は試しと行ってみることにしました。マジソン・アヴェニューを歩き始めるとすぐにJulie Artisans’ Galleryと看板に書いてあり、アーティストが作った服やジュエリーを扱っている様な雰囲気のお店を見つけて、これはもしかしたらと思いながら中に入って、自分でしていた指輪を見せると店員の方が「インクレディブル!」と言って気に入ってくれたんですよね。インクレディブルって褒め言葉としてあまり聴かない言葉だなと思いましたけれど。(笑) それで次の日ショップにオーナーが来るという事で、持ってきていた4〜5点の作品を買い取ってもらおうと持っていきました。英語も自己流でアポイントもポートフォリオも何もなしという持込の方法はあまりお勧め出来ないですけれどね。(笑) そこのオーナーはJulie Schaflr Dale (ジュリー .シェフラー)さんで『Art to Wear』(アートを身につける)という本の著者が経営しているギャラリーだったんです、そこだけ唯一取り合ってもらえました。でもその時は本当に9.11に対して運命のようなものを感じました。

―その後も色々とアメリカで活動されていますね。

2007年まで毎年ニューヨークに行っていました、行き始めて最初に感じたのは『N.Yではユニークなジュエリーは必需品なんだ!』と、しかしリーマンショックの後は暫く作品が動かなくなったり、アート志向の強い方たちが高齢を迎え作品をコレクションする段階から美術館等に寄贈しようかという段階に来ているとか,どちらかというと有名ブランド志向の次の世代に購買層が切り変わってきていることも関係していると思います。でも、どんな状況になろうと彼らにアートは絶対に必要ですからね。

―日本ではどうして探されなかったのですか?

そもそもは自分で作って自分で売るということを目標にしているので、卸すということはあまり考えていませんでした。お店の方の方向に合わせる事も苦手で。日本のショップではあまり個性的な物は売れないんじゃないとよく言われていましたし。結局自分達で売るしかない、しかし、だからこそ自分が面白いと思った物を作りながらも生き残ることができたと思っています。買ってくださる方と作者が直接お話をして、説明することがとても良かったのだと思います。そういう意味では日本のギャラリーなどのシステムは今でも作家が成り立つ様にはなっていないと思いますね。作家を育て上げることがまだまだ成熟していないですよね。一方アメリカの一部のギャラリーは自分達が良いと思えば作者の経歴や人の意見に関わらずにお客様に売ってくれて、その結果作家が育つという風土がまだまだあります。

―なぜ日本はそうならないのでしょうか?

日本人の気質なのかそういう考え方が身に付いてしまったのかどうかは分かりませんけれど、ユニークな物を見つけても裏打ちや保証がないモノはなかなか買って貰えないですよね。これも環境が問題で、アメリカでは例え流行のファッションではなくても自分の個性を生かした独自のスタイルでイベントやパーティーに出席する事はその人の評価を上げることにつながり、仮にブローチに30万円払っても、そのことで自分の格が上がってペイされる、物を見る目が有り自分のスタイルを持っている人だと。そして、それがキャリアに繋がる。喜びと仕事が関連しているというか。日本だと変わった格好をしていると空気読めない人だと思われるでしょう?よくよく考えるとおかしいですよね。アメリカの人は自分の価値基準に自信を持っていて自分が気に入れば手に入れようと思う人が比較的多い。しかし日本は有名なものや皆が付けているものを欲しがるという価値基準の人のほうがどうやら多いみたいで。どうしてこうした価値判断が付くのかと思うのですけれどね。アメリカで、妻にはエデュケーションがあるという様なことを自慢する男性に何度かあいましたが、その意味するところは、物事をより深く味わえて、又自分らしいやり方で思いや感動を表現できるという段階に達しているということらしいのです。教育の行き着くところはそういうところにあってほしいですね。単に計算ができ、知識がありということだけではなく、新しい美を感じ取れ、未知の価値を認められるという方向へ。最初は素敵!と思ったのに色々考えて最後に否定してしまう事の多い日本人ですが、きっと環境や心の置き方でもっと良くなると思います。保証はされていないけれどその可能性にかけてみるというちょっとした勇気が必要なのではないかと思います。日本には利休や光琳の様な素晴らしい先輩方がいたし、世界に類を見ない素敵な物や文化が生まれて来たはずなのですからね。

―話をガラリと変えますが、N.Yで発表された2009/10秋冬コレクションでCamilla Staerkとコラボされていましたが、きっかけは何だったのでしょうか?

あれはJulie Artisans’ Galleryに置いていた僕の作品をN.Y在住のスタイリストでSarah  Ellison(サラ・エリソン)という方がみて連絡をくれたことがきっかけでした。彼女はトップスタイリストのKarl Templer(カール・テンプラー)のアシスタントをしていたこともある方で。アートジュエリーとファッションを組み合わせたらおもしろいと考えていたみたいで、連絡が来てそれで彼女が日本に来ることになりました。彼女の旦那さんが日本で育ったフランス人のDJ ALEX FROM TOKYO(アレックス・フロム・トーキョー)という有名なDJの方で、2人で一緒に家に来たんですよ。それでRobert Mapplethorpe(ロバート・メイプルソープ)の作品から影響を受けたという設定でショーを作るということで僕のジュエリーを使いたいと。僕自身もMapplethorpeが大好きっだったこともあって、じゃあ引き受けようと。それで僕の作品の中からSarahが気に入った物を選んでショーに使いました。ショーではジュエリーのほうが注目を浴びたみたいで。

―ショーの写真を見ても正直ジュエリーの方に目が行きますよね。

あのショーの時ニューヨークのデザイナー達は経済的にも大変な時期だったみたいで。そういう理由もあってSarahの思い通りの組み合わせが可能になったんだと思います。普通はあそこまで実験的なこころみはせず、服が主役でアクセサリーは引き立て役という感じになりますからね。社会的にマイナスの状況が人によってはプラスに作用する事も有るということかもしれませんね。

―反響はありましたか?

ありましたね。ショーをきっかけにカナダの高級百貨店のHOLT RENFREW(ホルトレンフリュー)のバイヤーの人やニューヨークののHenri Bendel(ヘンリベンデル)のバイヤーのAnn Watson(アン・ワトソン)が「私のデパートで扱わせてください」というメールをくれました。しかし、価格や制作に時間がかかり沢山作る事は出来ない等の事も有り最終的にはデパートメントストアでの販売は難しいですねという結論に達しましたけれど、なんだかとても自信がつきました。それからNumeroなどの海外の雑誌にも色々と取り上げていただけるようにもなりましたね。

―日本での反響はありましたか?

ショーが関係してかどうか分かりませんが、最近は日本でもアルミやスチールのジュエリーを買ってくださる方がだんだん増えてきています。ただやはり2006年のroomsに出たことが大きかったかもしれませんね。あれは1つのきっかけでした。それ以前は買ってくださる方の年齢は比較的高い方が多かったのですけれど、僕は元々ファッションが好きでしたし、ファッションの世界の方にも見てもらいたいと思うようになって、roomsに出させて頂いた事でファッション関係者や若いバイヤー達にS.NAKABAを認識してもらえる様になってきたり、ミキリハッシンのソウタ君にも出会ったり。僕のアルミの菊ブローチを気に入って買ってくれて。彼も自分がほしいと思ったものはどうしても手に入れたくなってしまうようで、作品の前で真剣な顔をしてかなりの時間動かなくなっていましたからね。(笑)その後撮影に協力したり、作品を貸し出したりと色々一緒に仕事をしています。こうした若い世代の方が見てくださる機会が増えたことは素直にうれしくて、なんだか日本が面白くなって来たぞという実感を感じ始めています。 そして、これからも物作りを通して何か貢献することができればやって行きたいなと思っています。

HP:http://www.s-nakaba.com/

Interview & Text:Fumiya Yoshinouchi, Tomoka Shimogata

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