1週間ほどロンドンに行っておりました。観光というより、調べ物です。
ロンドン大学の図書館を使わせてもらったのですが、見知らぬ本棚を眺めるというのはそれだけでとても楽しいものです。学生たちものんびりと勉強しており(ときに館内でスナックを広げ、コーラを飲む!)、学ぶことに対してリラックスしている環境がとても良いなと思いました。
束の間のキャンパスライフを満喫してしまいました。
繁華街に戻れば、地下鉄では青年がニール・ヤングばりの声で歌い(彼とは滞在中に2回も出会った)、H&Mのフロアではスタッフと小さな男の子が突然ダンスバトルをおっ始める(前回渡ったときも見た。これは恒例行事なのか)。
テート・モダン前を流れるテムズ川では、ストリート・ミュージシャンが膝下まで浸かり、フィードバックギターを鳴らす(こちらはルー・リードを彷彿とさせる歌/語り。渋い)。
滞在した日は、ちょうどセントパトリックデーで、いい年をした男たちが緑のハットを被って陽気に合唱しながら電車に乗り込んでゆく。
週末のパブからは夜遅くまで4つ打ちのビートが鳴り響き、それは夜が更けていくに連れ、複雑な変則ビートへと変化していった。
この街は音楽に溢れている。
今回の目的の1つは、『THE FACE』誌の創刊初期の号を収集することでした。
『i-D』『BLITZ』と共に1980年に創刊された『THE FACE』には、その当時の若者のカルチャーライフが生々しく記録されています。「The World’s Best Dressed Magazine」なんてサブタイトルが付いているのですが、音楽やクラブ情報が中心の「スタイル誌」です。
創刊号の表紙はザ・スペシャルズのジェリー・ダマーズ。ネオ・モッズや、ザ・クラッシュという新しい肖像を獲得したルード・ボーイなどのパンク以後のロンドン・カルチャーが取り上げられています。なぜかフィル・ライノットが日本の高校生たちと記念撮影した写真が掲載されていたりも。
誌面は、次第にニュー・ロマンティックスやクラブ・カルチャー色が強くなっていくのですが、当事者たちのインタビューと彼らをスナップした写真などからその微細な変遷を紡いでいくことができ、その一冊一冊がとても貴重な資料です。
この時期に頻繁に取り上げられていた人物に、デヴィッド・ボウイとジョン・ライドンがいます。
彼らはグラムやパンクといった現象との関連ばかりで注目されがちですが、80年代のクラブ・カルチャーのファッションに多大な影響を与えていたりもします。
また、ヴィヴィアン・ウエストウッドも同様で、この時期の活動がとても面白かったりするのですが、ファッション史のなかではけっこうスルーされてしまうんですよね。
ヨウジやギャルソンのいわゆる「ぼろルック」も、こうした80年代カルチャーとの関連のなかで紹介されていたりもします。ファッション史で語られる定説とはちょっと違う文脈での消費のされ方ですよね。
日本のピテカン周辺の人たちやトンガリキッズがコムデギャルソンを着ていたのと似ているなぁと思いました。
テート・モダンでは、草間彌生展が開催されていて、水玉模様の赤いバルーンがいくつも浮遊するエントランスロビーで、僕はフランス人と思われるロリィタ集団と遭遇した。
ミラールームに入り込む彼女たちは、まさにワンダーランドの住人のようで可愛らしかった。
また、同館では寺山修司の短編フィルム上映も開催されており、海外の地で見る日本の前衛芸術は、むしろアンディ・ウォーホルのファクトリーや、サイケデリックムーブメントなどと奇妙なほど結びついて感じられた。
売店に向かうと、monoマガジン別冊の『古着屋さん』のバックナンバーや、昨年パルコで開催されていたデニス・モリス写真展のカタログ『A BITTA PIL』を発見。文化出版局から出ている『パターンマジック』の英訳版が平積みされていたりと、とても新鮮なかたちで、日本の文化に触れることができました。
「London Bye Ta Ta」はデヴィッド・ボウイの曲です。
『スペース・オディティ(40周年記念エディション)』のボーナストラックなどで聴くことができますが、個人的には『Bowie at the Beeb: Best of the BBC Radio 68-72』の音源がおすすめです。
「さよならロンドン。ここは奇妙で、若い子たちの街だよ」