Interview

MIFUNE/KROFUNE

オリジナルブランド“MIFUNE”“KROFUNE”を運営し、ファッション、アート、グラフィック、Webサイト、プロダクトなどメディアを問わず「表皮・皮膜のデザイン」として広くとらえ、活動しているデザインチームmtrism surface designを主宰する萱場真鳥、萱場麻子両氏に話をうかがった。

M-萱場真鳥, A-萱場麻子

‐mtrism MIFUNE/KROFUNEはご夫婦でやられているんですね

そうなんです

‐2人とも武蔵野美術大学出身なんですね

2人とも仙台出身で。

‐2人の出会いから教えてください

A-美術予備校です。2人とも現役で入れなくて一浪しているので学年が一緒なんです。
M-予備校に入る頃バブル期だったんです。その後武蔵美に入って彼女が視覚伝達デザイン学科というグラフィック中心の科で僕は短期大学でグラフィックをやりました。短大なので2年終わった後に編入試験を受けて空間演出デザイン学科のファッション専攻に入りました。
A-彼が学生の頃は主任教授が今無印のアドバイザリーボードをやっているが(小池一子さんアート系のギャラリーをやっていたりコピーライターからクリエイティ ブディレクターをやっていた)ファッションの主任教授をやっていて彼が入ったのは彼女の授業を受けたいからだったと思います。
M-というわけではなくて単にファッション学科に入りたくて入ったらいたという感じですね。でもその後結局卒業してから小池さんの下でずっと働くようになったんです。彼女がやっているアートスペースで働きながら僕自体はアーティストとして活動をしていこうと思って何度か個展をやっていたら20代が終わりました。

‐武蔵野美大に入ろうと思ったのはなぜだったんですか

M-武蔵野美大に入ろうと思ったというか、美大に入りたくて結果的に受かったのがそこだけだったということ。勿論一通り受けましたからね。多摩美も受ける し芸大も受けるし。

‐希望の学科に入れたんですか

M-希望の学科に入れなかったから編入したんです。
A-私は入れましたけど。

‐麻子さんは何をやりたかったんですか

A-私は予備校時代は家具とかプロダクトとかそういうことをやりたくて受験用の課題をやっていたんですけど、進路を決める時に予備校の先生に工芸工業デザ インていうプロダクトの専攻を出したら「お前は絶対平面系だよ。グラフィック行きなよ。お前から3次元のものが出てくると思えない」と言われて。でも一応 「両方受けてみよう」と思って結局入れたのがグラフィック系の平面的なデザインだったので「やっぱりこっちなのかなー」と思ってやっていたんです。だけど 結局グラフィックデザインの方が色々な事にかかわれるし、やろうと思えばプロダクトも仕事として出来るし良かったのかなと思ったんですけど。

‐Matoriさんは元々ファッションをやりたかったんですか

M-漠然と「洋服好きだなー」というくらいで。単純に物作るのが好きで。

‐専門学校という選択肢は無かったんですか

M-その辺は・・・
A-専門学校という選択肢は考えなかったですね

‐逆にファッションやりたくて美大を目指す人って日本には少ないですよね

M-じゃーファッションやりたくて美大に入ったわけではないです。物が作るのが好きだから美大を目指しただけであって。でも受験て本人だけの問題じゃない じゃないですか。期待する親とか・・・その辺も適当に応えつつ。そういうのもあります。ファッションという言葉が出てきたのは今世紀に入ってからですね。

‐大学に入ったのは何年ですか

A-1991年とかですかね。
M-バブルがはじけた頃です。

‐僕その頃小学生なのでファッションにまだ興味無かったですね、その頃原宿とか行っていたんですか

M-原宿といえば僕は一度店を原宿に1996年に出しています。10ブランド位でみんなでスペースを借りて裏原の外れというかギリギリのところでやってい ました。

‐その中で今現在残っているブランドはあるんですか

M-無いです。
A-それを主催していた人がSoraというブランドでそれはBarneysとかに置かれていたんですけど今またSora Styleというデザインユニットをやり始めていて。その人くらいですね。

‐裏原ブランドと呼ばれたブランドもあまり残っていないですもんね

M-そこら辺のブランドと付き合いがあったわけではないんですけど原宿で勝手に始めましたね。みんな武蔵美の同じ学科の人達で出したんですけどその時の ファッションに影響されていた服とかそういうのじゃなかったので。着れはするんですけど。武蔵美では専門学校のように洋服を作れる技術をたたき込まれるわ けではなくて考え方、どうやってアイデアを出すかというところに重点を置かれていて、それを延々やらされるんですよ。

‐それって海外のやり方に近い感じがしますね

M-教授の一人が70年代にセントマーチンを卒業している人なんです。そこでそういう教育を受けてその教育方法を武蔵美のファッションが出来る時に取り入 れたみたいです。
A-そのやりとりを延々とする方法で教えられたのでいざ作るとなると気力が残っていないんですよね。学生の頃って全部自分でやりたいじゃないですか。「こ れがこの人が得意だからこの人に頼もう」とかそういう発想が無いじゃないですか。そこの部分をもっと出来るような考え方になっていれば良かったと思います ね。クリエイションて全部自分でやらなくてもいいじゃないですか。だからそれに早く気づいていればもうちょっとファッションも楽しく出来ていたかなと思う んですけど。

‐麻子さんもファッションを学ばれていたんですか

A-学んではいないんですけど一緒にいたので彼がどういうの作っているとかそういうのは見ているじゃないですか。
M-彼女はあたかも見たかのように想像で話しているんですけど。

‐その頃はファッションが好きだったんですか

M-モードには興味無かったですね。ファッションというより衣服ですね。でも僕洋服全然興味無いですよ。だから帽子作っているんですけど。

‐ブランド設立にいたるまでの経緯を教えてください、2人でずっと一緒に仕事されていたわけではないんですよね

A-違いますね、Mifuneを始めてから2,3年経ってからですね。2005年くらいから。
M-最初は(大学)卒業してアートスペースでバイトさせてもらいつつアートの世界に身を置こうという感じでしたんですけど。

‐なぜファッションを学んだのにアートだったんでしょう

M-何となく武蔵美のファッション科というのがアート&ファッションに沿ったカリキュラムだったんですね。学生の頃にアートとファッションの折衷点じゃな いですけどその両方に興味を持って、だからアーティストといってもアート&ファッションだったんですよね。洋服の形態を取った表現というかアートとしての ファッションですね。後々そんなことは「意味無いな」と思ったんですけどその頃は凄く一生懸命でしたね。

‐当時はどういうものを作られていたんですか

M-金髪の人形なんですけど端っこ持って「ブーン」と回すんですけどそうすると「きゃーっ」て叫ぶんですよね。それはアート寄りなんですけど。それをビリ ヤード場とかで防犯カメラで撮影して編集していましたね。
A-ライフスタイルの50年史というグループ展があって宇都宮美術館と広島でやったんですけど2000年までの50年間を時系列に並べた展覧会でそれの 90年代のところでやったんです。90年代は「世界をリメーク、リミックスしよう」みたいな感じのテーマで。それをテーマにBurberryのコートをコ ラージュしたりしてましたね。

‐着るものとしてのファッションではなくて表現方法としてのファッションだったんですね

M-そうですね。そういうのりで僕が表面的なことをしてそれを服にしてもらうとか。永遠に着替えられる服をギャラリーで発表したりとか。
A-ジャケットなんですけど元はフェンシングジャケットでそれを袖を外すとベストみたいになったり、それをひっくり返して下に下げるとスカートみたいに なったり、それを着替え方によってどんどんずっと着替え続けられるんですよ。アイテムは変わるんですけど。

‐お店で売っていた洋服もそっち(アート)寄りの洋服だったんですか

M-革で作ったネクタイとかTシャツとかですね。
A-着替え続けられるというのは個展用に作ったんですよね。
M-小学校の水泳の時間て早く着替える為にパンツの上から海パン履いていたりしたじゃないですか。バスタオルを巻かずに着替えるっていう。それが『パンツ 大作戦』という名前だったんです。その発想で人前で肌を見せずに着替えるという。なんかみんな知っているということを服で表現してみたりとか。

そういう活動しつつ世紀末を迎え2000年になりちょっとアーティスト活動より仕事していこうかなと思った時に自分で何を仕事に出来るか考えた時に表面的 な生地にプリントするとか、色を作るとかテキスタイル的なことをやっていこうと思ったんですね。で、何個か生地を作ったんですね。でも生地作ったは良いけ どどうしようかなと思って。テキスタイルの営業行ったら良いのかとか。でもそんなことしているうちに大学の先輩でずっと帽子を作っている人がいる。卒業し てから5年くらい経っていたんですけど「その人に帽子にしてもらえば」と言ってくれる人がいて。「じゃーこの生地で帽子にしてください」と。それで10個 くらい帽子が出来たんですよ。そのまま出来て満足して1年くらい放置していたんですよね。「あー出来た出来た、満足だ」って。
A-じゃーそれ終わったからまたテキスタイルをやるのかと思ったら「なんかちょっと」という時期があって。その時期が半年くらい経ってから友達に 「Cannabisっていうお店が出来たらしいよ」ということで「そこに帽子あるんだから持って行ってみれば」って言われて持っていったんです。
M-ちゃんと電話はかけました。突撃だと悪いので。持って行ったら向こうのバイヤーさんがいて並べたら「うちにぴったりの帽子です」とその場で置いても らって。でもその時ブランド名も値段も付いていなくて「置きますけどブランド名なんなんですか」と言われた時に出た言葉が『MIFUNE』だったんです ね。

続く

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