Interview

studio note

アイントホーフェンのデザインアカデミーを卒業後、帰国。2006年にプロダクトデザインを中心とした会社studio noteを設立しプロダクトを中心に活躍する寺山紀彦氏に話を聞いた。

‐出身はどちらですか

栃木県宇都宮市出身です。小、中高と栃木の学校に通っていました。小学校ではプールに通っていてその帰りによく餃子を食べていました。栃木の餃子屋ってご 飯もビールもないんですよ。全国に餃子専門店があると思っていました。でも海外に長くいたので栃木にいた頃の友達ってもうあまりいない気がします。

‐僕らが海外に出た頃ってまだインターネットでメールする人ってそんなにいなかったのでコンタクトが取れなかったんですよね

そうなんですよ。だから実家に帰っても家にいるだけですね。

‐僕も一緒ですね、友人の連絡先がまずわからないので

でもオランダで知り合った人は今も一緒に「novelax」という名前で活動しています。

‐アート活動にも興味はあるんですか

やりたいですね。アーティストは憧れですから。

‐日本で専攻していたのは建築ですよね

建築って模型で終わるんですよ。アートはプロダクトやり始めてから興味を持ち始めたんです。

‐オランダに行ってからということですね

そうですね。ただそれじゃ食べていけないんですよね、どうやってやっていくのかもわからないですし。

‐アートって人との繋がりがきっと重要ですよね。

人が繋がって初めてですよね。

‐オランダの学校に行く前に専門学校で建築を学んでいますが建築をやろうと思ったのはなぜですか

うちの親が設計士なんです。自然と小さい頃から図面を見ていたので何も知らないけど「建築やろう」ってなったんですよね。

‐大学ではなくなぜ専門学校だったんでしょう

大学には入れなかったんですよね。頭が・・・・。だから専門学校に行こうと思って。でもその時に図面のグラフィックに興味を持ち始めてしまって。

‐専門学校では建築の資格は取られたんですか

取ってないですね。(卒業する時には)もう「グラフィックやろう」と思ったので。

‐卒業する頃には建築に興味が無くなったということですか

興味が無いわけではなくて建てられないのが嫌だったんです。現実にならないじゃないですか。小さい模型とか図面とか書くけど実際にそれが建つわけじゃない し。

‐建たないんですか

建たないですよ。学生の作品を「お、いいね。建てよう」とはならないじゃないですか。

‐でもそれを続けていくことによって後々は出来ますよね

ずーっとやっていけばですよね。でも早い返りが欲しかったんですよね。

‐今すぐに建てたかったと

そうです。今すぐに現実になれば楽しいなとは思っていたんですけど。

‐設計事務所に入ることは考えなかったんですか

設計事務所も見学しに行ったんです。でもあの空気が駄目で・・・。もくもくと作業をしてて。「これは駄目だ」と思って。それで金沢に行ったんですよね。

‐KIDI (KANAZAWA INTERNATIONAL DESIGN INSTITUTE)ですね

パーソンズと提携している学校なんです。でも僕にはパーソンズがどれくらい凄い学校なのかもわからないんですけど。

‐ファッションでは凄く有名な学校です。Marc Jacobsなどがそこを出ています

ファッションのことはちょっとわからないですね。コムデギャルソンを知らなかったくらいですので。だから物凄く馬鹿にされるんですよね。

KIDIでは1年次に基礎科で3次元と2次元両方やったんですよ。そうしたら3次元の先生が「そっちの方が向いている」と言ってくれたので「じゃ、そっち の方が向いているんだ」と思ってコミュニケーション(2Dポスターとか)よりプロダクトの方に行こうと決めました。それで勉強している時に日本にドローグ デザインが来たんですよ。それに凄く影響受けましたね。

‐どのように影響を受けたのですか

最初見た時なんだかわからなかったんですよ。勉強してきたのは『椅子』とかなんですけどそういうのは一個も無くて。丸太に背もたれだけ付けたものや柔らか い花瓶とか。それで「オランダに行こう」ってなったんですよね。

‐ドローグに影響されてオランダの学校に行ったということですね

そうです。アイントホーフェンにある大学(Design Academy Eindhoven)に通っていました。

‐有名な学校なんですよね

そうですね。そこの学校は世界的に有名でモーイとかマルセロワンダースとかマーティンバーツとかドローグに参加しているデザイナーもいっぱいそこから出て いるんですよ。

‐同じ学校に日本人はいるんですか

今凄く多いみたいですね。2,3年前にオランダブームが一時来てて、そこでデザインアカデミーがフォーカスされていたのでその影響もあると思います。

‐アイントホーフェン自体は凄く小さな町ですよね

小さいですね。Phillipsの工場地帯とサッカーのPSVが有名なくらいですね。田舎だから凄く良かったですね。オランダという国自体が田舎なんです けど。

‐授業は何語で行われていたんですか

オランダ語と英語での授業がありました。オランダ語の授業の時は(わからないので)下を見ていましたね。

‐オランダ語が出来なくても学校には入学できるんですか

入れますよ。英語だけで。僕はオランダ語も出来なかったし英語も喋れなかったんですけど。僕4年間あまり会話しなかったので。

‐オランダ語が出来なくて問題は無かったんですか

英語が出来ない先生はオランダ語だけなので問題でしたね。でもあまり気にしていませんでしたね。課題の内容さえ把握してその人に作って見せれば大体言われ ている内容はわかるんですよね、勘で。表情とか。

‐日本みたいな授業は少ないですからね

しっかりノート取らなきゃいけない授業とかはないですね。多分僕は一回も授業でノート取ったことないと思います。

‐学生たちのレベルは高かったんですか

レベルは高かったですね。

続く

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