『未来のイブ』ヴィリエド・リラダン著、斎藤磯雄訳 東京創元社
「私は諸君にかう申上げたい。我々の神々も我々の希望も、もはや科学的にしか考へられなくなつてしまった以上、どうして我々の恋愛もまた同じく科学的に考へてはならぬでせうか、と。」
ANREALAGE 2011-2012 A/Wのショウを観てきました。
(changefashion内リンク http://changefashion.net/fashionshow/2011/04/16225047.html# )
テーマは「LOW」。
配られた資料にはこうあります
—
かたちを見ること
よく分からないかたちを
よく見えないかたちを
かたちは伝え続けている
たとえかたちが変わろうとも
かたちはかたちであることをやめない
—
8ビット音楽(コンピューターゲームやボカロの曲のような)と生演奏ピアノの音楽。
モデル達の顔には一様にルーヴィックキューブに凹凸をつけて半透明にしたようなグラス。
テキスタイルは解像度を低くした花の写真などがプリント、
ジャガードのように編まれたように見える非常にアブストラクトな柄、
そして裾や裾や襟は低解像度の画像の輪郭をなぞるように直線でギザギザにカッティングされている。
このコレクションの「LOW」は明らかに低解像度の「LOW」であり、
低解像度化することによってANREALAGEがいう「かたち」という概念を可視化したというところだろう。
非常に明快なコンセプトとショウだったが、例えばデジタル柄はそれほど新しいものでもなく、
ディテールはギザギザになっている部分が面白いかもしれないが悪く言えばそれしかない。
今回のテーマ「LOW」は「かたち」(低解像度化され抽象化/可視化された「かたち」の概念)への賛美だと判断して良いと思うのだが、
服のシルエットのバリエーションも少なく、「服」を考えたときには面白みもないように思えた。絵柄にフォトショの“モザイク”フィルタをかけただけで「かたち」とはよもや言うまい。
(ただ、たいへん手のかかったように見える生地、生地と生地の接合の仕方?も垣間見られた)
一緒に見にいった方々の周りでは賛否両論、もしくは良い評価は少なかった。
ただ、上記に挙げたような、ある種単純過ぎたコンセプト、決して高いとは言えない「服」の完成度、
が露呈してたとしても、個人的に好感が持てた。それはなぜか。
ショウを観ているとき、僕は押井守監督の『イノセンス』の冒頭で引用されたヴィリエド・リラダンの言葉を思い出していた。
そしてボーカロイドを使用した音楽や、小惑星探査機“はやぶさ”の「擬人化」などにおけるデジタル/機械への愛情についても、
脳科学における心脳問題のように科学的に心情も解明できるということも。
心や情動も脳科学によって分析できること、機械に魂はあるのか?プログラムに愛を求めてよいのか?ボーカロイドは夢を見るか?というような葛藤を一蹴して、
楽観的に直感で進んで行こうダイブしようという、ポジティブなデザイナーの態度が垣間見られた。
社会的なトレンドの抽出、そして人間はこれからどうやって生きていけばいいの?という問いへのデザイナーの態度の表明。
分かりやすすぎるものを作ると違うものにいってしまう、というのは創作においてはよくある。
それを肯定しても良いのではないか。
深読みしすぎと言われればそれまでなのですが、深読みだとしても、この態度は評価すべきだと思う。