国際交流基金は、2011年7月27日より、英国のアイコンギャラリーにて、戦後日本の前衛美術グループ「具体」を代表する女性アーティストとして、海外でも注目を集めている田中敦子氏(1932-2005)の欧州における9年ぶりの個展「田中敦子―アート・オブ・コネクティング」を開催する。
今回の展覧会では、音が展示空間を走る作品ベル(1955)や、約200個の電球が点滅する電気服(1956)を舞台に登場させ、自らもパフォーマンスを行うなど、造形とパフォーマンスを結びつけたパイオニアとしての50年におよぶ活動を、絵画やコラージュ、記録映像など作品約100点を通して紹介する。
本企画の発案者は、2001年にロンドン・ヘイワード・ギャラリーで開催された日本現代美術展「ファクツ・オブ・ライフ展」(基金共催)のゲスト・キュレーターであり、日本美術に詳しい英国バーミンガム、アイコンギャラリーのディレクター、ジョナサン・ワトキンス氏。1998年にはシドニー・ビエンナーレでアーティスティックディレクターを務め、ヴェネチア・ビエンナーレや、テート美術館でも企画展示を手がけている。本展覧会は同氏と3名の専門家から成る日本側実行委員により企画・構成された大規模な個展。英国・アイコンギャラリーでの展示を皮切りに、スペイン・カステジョン現代美術センターを巟回し、2012年東京都現代美術館において展覧会の開催を予定している。
【展覧会概要】
2011年 7月 27日~ 9月11日 アイコンギャラリー(英国・バーミンガム)
10月 7日~12月 31日 カステジョン現代美術センター(スペイン・バレンシア州)
2012年 2月 4日~ 5月 6日 東京都現代美術館
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田中敦子:
1932年、大阪に生まれる。1951年、京都市立美術大学を中退の後、大阪市立美術館付設美術研究所に学ぶ。同研究所に通っていた金山明の助言で抽象絵画に興味を持つようになり、1954年頃に数字をモティーフにした作品を手掛ける。同時期、金山が中心メンバーの一人であった、先鋭な美術を目指す若手作家のグループ・0会に参加し、同会の白髪一雄や村上三郎らと積極的な相互研鑽を図る。1955年に金山、白髪、村上と共に、吉原治良がリーダーを務める具体美術協会(略称:具体)に加入。10メートル四方のピンクの人絹を地上約30センチの高さに張った作品や、順に鳴り響く20個のベルを会場に設置した作品、あるいは、高さ4.4メートル、幅3.6メートルの巨大な人型七体に管球を取りつけ規則的に光を点滅させた《舞台服》、約200個の多彩な電球・管球を組合わせ、明滅する光の服に仕立てた《電気服》、次々と衣装を着替えてゆくパフォーマンスなど斬新な作品を立て続けに発表し、1957年頃から、電球とコードの絡まりに着想を得た絵画を制作し始める。その作品が、1957年に来日したフランスの批評家ミシェル・タピエの目にとまり、具体の中で「国際的にもっとも確固たる作家群と対比並列すべき」メンバーの一人として高い評価を得る。それ以後タピエを通して欧米で紹介されると同時に、国際展への出品・入賞を果たし、具体の重要性を担う作家の一人と目されるようになった。1965年に具体を退会した後も、精力的に制作活動に取り組み、2004年まで定期的に個展を開催。具体再評価の動きが本格化した1980年代以後は、戦後美術をテーマに据えた国内外の大規模な展覧会や、具体を包括的に検証した展覧会で、常に主要な出品作家の一人として紹介される。また、1990年代後半より具体という歴史的文脈を超え、一人の作家として注目されるようになり、2001年の芦屋市立美術博物館および静岡県立美術館での回顧展「田中敦子―未知の美の探求 1954-2000」でその存在を改めて広く国内外に知らしめた。2002年にインスブルック、2004年にニューヨーク、2005年にバンクーバーで本格的な個展が企画され、国外でも再評価の機運が高まる中、2005年3月の交通事故が元で同年12月に急逝。2007年、現代美術の動向を知る上で、ヴェネチア・ビエンナーレと並び重要と見なされている大規模な国際展「ドクメンタ12」(ドイツ・カッセル)の出品作家の一人に選出され、翌年にも第16回シドニー・ビエンナーレで取り上げられるなど、没後も国際的評価はさらに揺るぎないものとなっている。