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POTTO/Yamamoto

POTTO / 山本哲也

1974年兵庫県生まれ。1997年文化服装学院卒業。
2001年にPOTTOを設立。2002年に中古のぬいぐるみを解体して洋服に仕立てたコレクションを発表。以降毎シーズン、コレクションを発表している。
2004年より東京コレクションで発表。
2007年にショップをオープン。
コレクションは全て、自身の手で、一点ずつ製作する。
恵比寿のPOTTO SHOPで、そこで作ってそこで販売してそこで暮らす、というやり方で、2007年以降は制作、発表をしている。

POTTO SHOP
150-0013東京都渋谷区恵比寿4-13-2
HP:http://www.potto-web.com/

ひふみよ

町に血が流れる時

 投資界に、「町に血が流れる時は買い時」という格言がある。ロッカフェラーが言ったとか、ロスチャイルドが言ったとか。
 よく「戦後の闇市で一財を築いた」などという表現も聞く。
 町に血が流れる、大混乱の時には、普段できないようなお金儲けができる、ということらしい。
 それは、僕らの今の社会の性質らしい。

 町に血が流れる時、多くの僕らは泣き、立ちすくみ、走り出し、座り込み、呆然とする。
 心配で眠れなくなる。疲れる。誰に向けたらいいのか、怒りがこみ上げる。気持ちが混乱する。後悔する。未来がわからなくなる。居座ろうと腹をくくる。でも、怖い。
 それは多くの僕らの、善意がこんがらがった気持ちだ。
 けれど、町は善意だけではできていない。
 善意に見えるものの裏に、何かがあることがある。
 善意とは関係ない、何かが。

 では、目にする善意を疑ってかかるのか? そんなことはできない。
 あふれる善意は圧倒的に輝き、それは僕ら自身だ。
 でも、その光の中で、巧みに動き回る影もある。
 強い光の中で、影も強くなる。

 だから、ちょっと気をつけていた方がいい。
 いま、いきなり世の中が、違う世の中になったわけではない。
 真実や嘘や、善意や策略や、何だかんだが入り混じった世の中だということは、いつもと変わらない。

 例えば、家族が病気になったとする。
 家族の一人は、ただ心配でつきっきりになるかもしれない。
 別の一人は、俺が稼いでやるからと、一生懸命働くかもしれない。
 別の一人は、落ち込んでいるだけかもしれない。
 病人に言うことも、一人一人違うだろう。
「だいじょうぶだよ」と慰める人もいれば、「まったく、だから煙草は止めろと言ったのに」と怒る人もいるだろう。
 その家族の中に、病人を理由に、自分にとって都合のいい方向に家族内の話を進める人がいても、おかしくはない。
 伊丹十三さんの映画「お葬式」のように、人の中に色々な思惑があるのは、緊急時も普段も、変わらない。
 以前から別荘を欲しがっている人は、「ほら、病人を休ませるために、静かな別荘が必要でしょう?」と、話を進めようとするかもしれない。
 以前から車を欲しがっている人は、「ほら、病人のために、車はやっぱり二台必要だよ」と、家族を説得しようとするかもしれない。
「あたしが警告していた通りじゃない。これからはあたしの言うことを聞いて…」と、家族内での発言力を高めようとする人もいるだろう。
 そのどれもが、僕らの普段の生活の縮図だ。
 それと同じように、社会の緊急時には、僕らの普段の社会の縮図が現れる。

 いつも通り世の中には、善意も策略も、真実も嘘も、美しさも汚さも、混じっている。
 その中で、僕らは生きる。
 多くの僕らは、計算高く生きてはいない。
 多くの僕らは、自分に都合のいいように緊急時を利用しようとは、夢にも思わない。
 けれど、そういう人もいる。
 いるのが普通。
 後で幻滅しないように、そのことは思い出しておいた方がいい。

 その上で、だ。
 あふれる善意を信じたい。
 誰かを、普段より強く思いたい。
 涙をこらえて、強く抱きしめたい。
 言葉は要らなくなり、詩人の役割はなくなる。
 多くの人が、詩そのものになって、きらきらと生きる。きらきらと、亡くなる。
 その詩の中に、宣伝の言葉が入ってくるのなら、「あれって宣伝だ!」と叫んだ方がいい。
 その詩の中に、政治キャンペーンの言葉が入ってくるなら、「あれってキャンペーンじゃん」と見抜いた方がいい。

 緊急時に現れるのが社会の縮図なら、これが最後ではない緊急時を助けるには、縮図のもとになる社会をどうするかということになる。
 縮図のもとになる社会をどうするか。
 つまり、例えば湿疹が出た時、塗り薬を塗って治すことはできる。けれど本当は、湿疹のもとになっている、大きな原因があるのかもしれない。
 そういう話。
 でもそれって、緊急時にする話なのか? とも思う。
「でも緊急時は、人が社会のことを考えるきっかけになるから、利用しないと」と言う人もいる。
 確かに、病気をきっかけに自分の生活のあり方を考え直す人がいるように、緊急時をきっかけに社会のあり方を問いはじめる人もいる。
 わかる。それは自然だ。
 でも、利用って。
 町に血が流れる時を利用するって、それ…。
 多くの僕らには、それはできない。
 けれど、いつも通り、判断は時と場合によって違うだろう。

 強い光の中で、影も強くなる。
 善意に見えるものが策略だったり、悪意に見えるものが真実だったり、賢く見えるものが阿呆で、阿呆が賢かったり。
 でも、それは、いつもの世の中と同じ。

 一つ、大空のように見える。

 おおぜいの人の苦難は、おおぜいの人が助ける。
 すぐに去る苦難ではないけれど。
 おおぜいの人が動く。ほとんどは、美しい詩のように動く。
 動く。回る。走る。止まる。方向を変える。
 気をつけながら。

メキシコシティーにて、4月11日
小沢健二

*投資界の格言”The way to make money is to buy when blood is running in the streets.”など

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