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contemporary creation+

contemporary creation+という東京・吉祥寺にある、ファッションとアートの境界線を辿る、
博物館のような美術館のような小さなショップをやっています。

contemporary creation+
武蔵野市吉祥寺本町2-31-2-101
tel+fax 0422-20-8101
http://www1.parkcity.ne.jp/ccplus/
open=12:30~21:00 月+金=休 (祝日の場合は営業)

DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編

DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編

dan
イタリアでの生活は、率直に言って失望から始まりました。
授業が歴史の話ばかりなんです。それが1ヶ月か2ヶ月続きました。

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失望ですか?でも、歴史は大切だと思いますよ。

dan
僕も今はそう思うのですが、当時は退屈だったんですね。
イタリアまで来て何をやってるんだろうと。。

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デザインの歴史の話は、どこからスタートするんですか?

dan
建築ではなく、デザイン、インダストリアルデザインとして、世界に名を知られるようになったのは、戦後からです。1930年代から息吹きのようなものはあったんですが。
フィアットとかオリベッティはここらへんから片鱗を見せ出します。1500とかMP1です。
ピニンファリーナも。

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オリベッティは、イタリアの企業なんですね。ナルホド。そういえば、グッチとコラボのオリベッティのタイプライターを友人から貰って持ってます。壊れていて使えないのですが、カッコイイです(笑)
フィアッ1500は、よく映画で見るやつですね。マフィアが乗っていたりする車。
ピニンファリーナは、僕も大好きです。

ところで、イタリアというと、ファシズムのデザインや、後の共産主義的・社会主義的デザイン、そして所謂『未来派』という流れがあると思うのですが、それらは、どう関連しているのでしょう??

dan
ファシズムとデザイン(イタリア合理主義建築や未来派芸術)は一時的にしろ、大衆性と革新等の同じ夢を見ていました(ここらへんはとてもややこしいです。。)トリエンナーレもこの頃から始まりました。
ファシズムっていうのは、基本的に社会主義からスタートしているんです。

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そういえば、ナチスも社会主義ですね。名前が『国家社会主義労働者党』ですものね。。

dan
ナチスもデザインの面では国家社会主義なので、すごく発達した部分もあったと思います。ポルシェとかワーゲン作ったりアウトバーン作ったり先進的でした。
ただ、他の面が良く無かったわけですけど。。

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国家で毒ガスやら兵器やら、様々開発して人殺しましたからね。
そういう運動は、自分達がやってることが正しいと思い込むところがやっかいです。
もっとも、ナチスやイタリアや日本だけでなく、共産主義のソ連や自由経済の連合国も、全く同じだったわけですよね。戦争って、そういうものです。
話を続けてください。

dan
一方で、戦後貧しい時代には、ファシズムに対抗するレジスタントとしての共産主義や社会主義思想の浸透からのデザインが始まり、映画『自転車泥棒』に出てくるようなアイテム 自転車とポスターデザインは、やはり発達したと聞いています。秘密警察とかから逃げたり、プロパガンダ用のポスターを籠に入れたり出来たりと生活必需品だったようです。

そのころのイタリアにはジオポンティ(DOMUSの創設者でもある)のような偉大な芸術家や、オリベッティのようなそれを形にする企業、発表する場所であるトリエンナーレや、それらをまとめあげるメディア『ドムス』が揃いつつありました。どこの國でもそうですが、これらの要素が揃わないと、大きなうねりを生む事は無い様な気がします。

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ファッションの世界で、マルタンマルジェラやアントワープ6などが盛り上がったのもまさにそれですよね。デザイナーの力だけじゃなくて、周辺が盛り上がった結果としてああなったわけですよね。
第二次大戦前のデザインは勉強しないのですか?

dan
授業としては戦後からはじまります。

戦後、焦土化した北イタリアに、住宅、生活用品を大量に規格化して制作する必要がありました。それを実現したのが、これらのデザイナーだったのです。
まず、皆が必要としている住宅をデザイナー達が提供したということがあります。
イタリアで、デザイナーが尊敬されているのは、これが理由な気もします。

そして、イタリアンデザインのモダニズムは、ここらへんから本格化しているように思います。
それまではあくまでクラフトマンシップにのっとた物作りでした。それが工業化されていきます。

で、イギリスの産業革命後の物作りにありがちな、美的ではない粗悪品が出回るようになります。
そこでおこなわれたQT8と呼ばれる都市計画もそうではないでしょうか。
当然ながらここらへんの建築家は社会主義思想の人が多いです。

そこから、それではまずいという人たちが出てきます。
内容は異なりますが、遅めのイタリアンアーツ&クラフト解釈のような運動が出て来ます。

そして手工芸に逆戻りするのではなく、工業製品の中にも美的な感覚を生み出して行きます。
ここらへんが一般的なイタリアンデザインの始まりではないでしょうか?

現在のフェラーリ等で有名なピニンファリーナが制作した車が象徴的です。
カーデザインがリードしていました。 同じ時期のヴェスパとかも綺麗です。

この波にのってスーパースターデザイナーが生まれてきます。
こういう勉強をしました

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イタリアも敗戦国なので、日本と同じで、焼け跡からモダンデザインが出てくるんですね、なるほど。。

dan
先生はまさにこの輝かしい時代を生で感じ取った人なんですけど、どこか郷愁にもにた感情を持ちながら語ります。「あぁ、良い時代だった」みたいな。

それ以降は50年代の黄金期以降、経済の悪化、学生運動やら労働運動等、不安定な社会に呼応するようにイタリアンデザインの抱える問題も表面化してきます。。。

疲弊した近代化からの脱却という意味で ここらへんから、ポストモダン的なデザインやアヴァンギャルドなデザイン、その後、反ポストモダンになりという表現だけをみるとややこしい世界になります。
そして低迷していきます。

故に、現在のイタリアンデザインについては、ほぼ語られる事はありませんでしたね。
デザインも堅実な物が多い様な気がします。
つい最近は何かもう少しポストなになに的な浮かれた感じがしますが、何なのかはわかりません。。

状況も変わっています。

イタリアンデザインの華やかさの象徴であるデパート『リナシェンテ』が買収される時代です。
たしか伊勢丹かタイの会社が持ってるはずですが。。。

もうイタリアンデザインというものはスタイルとしてはありますが、大衆の生活にも美を、という姿勢は薄れて来ていますね。ALLESI 高いですし笑
生え抜きではなく外国人デザイナーがディレクターとしてもてはやされる事も多いですしね。。

一方では、外国人にも平等にチャンスが与えられているという意味で懐は深いとも言えますが。

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イタリアは歴史がローマ時代から連綿とありますからね。
歴史が連続して積み重なっているので、現代のデザインが出てくるチャンスが少ないかもしれません。
トスカナ地方にあるシエナとか、街が本当に美しいですものね。
広場の傾斜の角度とか半端無く美しく完璧です。あれだけ完璧にデザインされた街に付け加えるものは無いんじゃないかと思ってしまいますよね。
日本は、その点、ダイナミックに変わっているので、現代のデザインが出てきやすいということもあるかもしれません。

dan
だから、デザインは、ほとんどミラノで発展していったようです。
ミラノは大戦でかなりの部分が焼け落ちてしまってますから。
ローマとかは、そういうのが無いですからね。

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日本もそうですよね。
やはり、復興とデザインというのがポイントになるかもしれません。
敗戦国のデザインと戦勝国のデザインの違いみたいなものを体系化して調べていったら、もしかすると、ものすごく面白いかもしれませんね。

でも、たとえば、イタリアでいえば、第二次大戦後の街は、体系的に建てられていき、日本の街は無秩序になっていったわけですよね。
それはなぜなんだろうと思いますが。

dan
domusでは、デザイナーを育てるというよりも『プロジェクティスタ』を育てようとしていました。
デザインというのは、『手技』で、デッサンに近い意味なんですけど、
『プロジェクティスタ』っていうのは、『プロジェクトを統括する人』という位置づけになるのです。

この『プロジェクトを統括する人』っていうのが、デザイナーという職業で、イタリアでは、ものすごく尊敬される立場なんです。

この『プロジェクティスタ』は、計画を立案して実行するのを統括する立場なので、資金も動かしますし、政治にも関わるわけです。
イタリアのデザイナーというのは、日本でいうデザイナーとかなり違うと思います。

喩えていうと、ミケランジェロとかレオナルド・ダ・ヴィンチみたいなものですね。超人みたいな感じです。

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それは、メディチ家の時代から延々と続いているのでしょうね。
日本の場合は、『プロジェクティスタ』みたいな人が、ほとんど居ないんですね。だからこういう状況になっているんだと思います。

dan
出る杭は打たれますますからね。日本は。。

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そうですね。苦笑
イタリアでは、どうやって『プロジェクティスタ』を育てているのですか??

dan
そうですね。産学協同というか、DOMUSは、在学中から企業の仕事を学生達が受けるんです。
プロジェクトチームを作って、企業から依頼されたデザインを行う。
プロジェクトリーダーはプロの人が一人入っているのですが、実質的にその人はほとんど何もしなくて、生徒達が、企業の要望に答えてやり取り出来るんです。
ヴーヴグリコとかモエエシャンドンのボトルデザインとかスワロフスキーのガラスデザインなんかもやりました。一流企業といきなり仕事が出来るのです。
もちろん、そのデザインが採用されることもありますし、採用されないこともあるのですが、企業はリサーチも兼ねているので、採用されなくてもリサーチ料が支払われる場合もあります。

DOMUSでは基本的に大広間にテーブル、それと小さなワークショップしかありませんでした。
全てのジャンル(建築、ファッション、プロダクト、インテリア)の研究生が、大広間にて入り乱れて勉強します。 各々のクラスの学生が何をしているのかが分かります。
そしてそこでは意見交換や、共同のプロジェクトが生まれたりします。

縦割りの授業体制ではなく、デザインというくくりの中で、クラス全体が関係出来ます。

校長は言いました。

「DOMUSはカクテルシェーカーのようなもの。箱でしかない。あとは、あなた達の化学反応なのだ」と。
生活空間全てを統括して設計して行くイタリアンデザインの特徴が現れています

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それは素晴らしい制度ですね!
日本もどんどんやってもらいたいですね。

dan
本当にそう思います。
向こうの企業の責任者と直接やり取りが出来るので、コネも出来ますし、やり方も憶えてるので、DOMUSを出た人は、まず、就職するのではなく、デザイナーとして直接企業とやり取りしようとします。
ほとんどの人が、そうしますね。

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暖さんは、人に会う行動力が凄いなあと思って見ていたのですが、基本的に会いたいと思っている人、見てもらいたい人に直接話をもっていきますよね?

dan
基本的に、こちらが会いたい人に直接持っていけば良いと思うんです。
欧州だと、権限を持った人に話を持って行くと、すんなり話が決まります。

たとえば、こちらが作品を見せるために欧州の大企業のデザインを統括している
立場の人に会いたいと言うと、取り次いでくれる人が居るのですが、
ミラノサローネのどこどこに何時という感じで、担当の人が作品を見てくれたりします。

そこでは、誰が持って来たかより、何を持って来ていて、それがどのように企業に貢献する材料なのかを見定めようとします。

そして、その立場の人が、美についてきちんと理解してくれているんです。
デザインとかアートに対して、きちんと勉強していて、見る眼も肥えていて、きちんと判断してくれるのです。それは、デザイナーとして、とてもやりやすいです。

もちろん、そこから製品化となると、道のりは厳しいのですが。

一方、日本のある大企業にもアポイントを取ったのですが、担当の人は、作品も見ずに、「経歴書とポートフォリオありますか?」と聞かれました。そこに作品を持参しているのにです。

目の前にある作品やアイデアではなく、履歴書の方が大事みたいなんです。

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そうなんですよね、そこが大問題なんですね。
日本では、作品そのものよりカタログや資料と言われますし。。広告代理店やメディアとタイアップして露出した仕事をしてるから採用とかそんな感じでしょう?
もしくは、こういうのが流行ってるんですとコーディネーターとか広告代理店的な人に言われて、じゃあ、それでいきましょう。みたいな感じです。

向こうは話が早いですよね。
日本だと、まず持ち帰って会議にかけると言われてしまいますが。。

dan
それが面倒なので、現在でもイタリアを発表の場に選んでいるということはあります。
イタリアで学んだことは、とりあえず皆、自分の力で生きていくことを考えるし、実際自分の力で生きていくことが出来る。それをデザイナーが皆実践してるということです。

DOMUSでは、デザイナーが集まるサロンのようなカフェがあるんです。そこに行くと色々なプロジェクトが進行している。そして、欧州のどこの展示会場に行っても、やっぱりそういう仲間達が居る。

そういう環境に皆が居るんです。

それは、とても大きいと思います。
仕事がしやすいですし。

向こうは、いろいろなパーティーとかカフェとか、そういうところで、仕事の話が進んでいく場合が多いです。

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日本だと、会社の仕事が急がし過ぎたり、会社の後の時間が、愚痴を言う場だったりしますからね。そういう非公式的でクリエイティブ場がなかなか無いですからね。

dan
もっとそういう場が必要だと思います。
それに、日本は、とりあえず就職するじゃないですか?企業の傘下のデザイナーになろうとする。

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日本のデザイナーって、ほとんどが下請けみたいな感じになってしまっているんですよね。
やたらデザイナーがいっぱい居たりして。

dan
少なくとも、イタリアでは、デザイナーは、人々から尊敬されます。
デザイナーは、尊敬される職業なんです。
私がデザイナーです。と言うと、工場の人やスタッフの人は、必ず一目置いてくれますね。
街の人の理解も違います。

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日本もそうなってほしいです。
それには、美とかデザインの根本を理解して他人に伝える説得力がないとダメですよね。
それと、クライアントが理解してくらないとダメだし。。向こうは、それがあるんですよね。
その辺りが難しいところではありますが。。

イタリアで一番学んだのは何ですか?

dan
欧州で一番学んだのは、プレゼンテーション力もありますけど、社交力ですね。

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暖さんは、交友範囲の広さとか友達の多さに驚かされるのですが、昔から社交的だったのですか?
それとも、欧州に行ってから??

dan
昔からな気がします。
人とコミュニケーションすることが好きなんです。コミュニケーションするためにデザインしているといっても良いくらいなんです。

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ミラノサローネに出展されているそうですが、ミラノサローネについて、聞かせていただけませんか??

dan
ミラノでは、ミラノサローネという大規模なデザインイベントがあって、そこで出展させていただいているのですが、そのイベントをやっている時は、街中がお祭り騒ぎなんです。
デザインそのものを祝福してるような感じです。街のあちこちで様々なイベントが開かれています。

ミラノサローネの外側ではfuoriサローネという、ミラノサローネには入りきれなくなった若手のデザイナー達がシャッターの下りた商店とかをその時だけ借りて展示していたりします。その雰囲気が好きなんです。

そして、fuoriサローネがマンネリ化してくると、更にその外側でfuori fuoriサローネっていうイベントをやっていたりします。
どんどん面白いことをやろうとしている人達が更新されていくのです。

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なるほど、パリコレの時にマレの外側からオベルカンフとかの周縁で若手が発表しているのと同じですね。

dan
そうですね、そういうことを日本でもやっていきたいという風に思います。

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是非やってください。協力しますので!

dan
2009年にイタリアの大学院domusは卒業したのですが、そういうこともあって、日本に帰ろうと思いました。
でも、発表は欧州でもやろうと思ったのです。

第三部帰国編につづく

帰国編は、さらに面白くなりますので、ご期待ください。

クリエイター・インタビュー第一回 DAN TOMIMATSU 富松暖
http://changefashion.net/blog/ccplus/2011/12/23231910.html

DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編
http://changefashion.net/blog/ccplus/2011/12/25152709.html

DAN TOMIMATSU インタビュー 第三部 帰国編
http://changefashion.net/blog/ccplus/2012/01/19210940.html

クリエイターインタビューシリーズ

クリエイターインタビュー第二回 TAKIZAWA NARUMI その1
http://changefashion.net/blog/ccplus/2012/03/31151012.html

4 Responses to “DAN TOMIMATSU インタビュー 第二部 イタリア編”

  1. まなみ さいとう より:

    おもしろいーー!

  2. ccplus より:

    まなみ さいとう様
    次回、もっと面白くなりますよ!

  3. ケニック より:

    この前はどうもありがとうございました。
    久しぶりにお話出来て楽しかったです。
    カレーも食べに行きました。
    今日荻窪のお店も行ってきました。

    この方はあのアクセサリーの方ですね。
    とても面白いです。
    続きも期待して待っています。

  4. contemporary creation+ より:

    ケニック様
    コメントありがとうございます。
    暖くんの話は、デザイナーとして参考になるというか、勇気が湧くというか、そういうところがあるので面白いです。
    日本帰ってから、やってることが、これまた面白いので、ぜひ続きを読んでみてください。近日中にアップします。